「ねー理樹くーん」
「何? 葉留佳さん」
「……」
「えへへー、なんでもない。呼んでみただけ」
「ははっ、おかしな葉留佳さん」
「……」
「ねー理樹くん」
「何? 葉留佳さん」
「えへへー、なんでもないよー」
「ふふっ、おかしな葉留佳さん」
「……」
「ねー理樹くん」
「あなた達いい加減にしなさいっ!」

どばぁんっ!
部屋に鳴り響く轟音。
発信源のテーブルが悲鳴を上げるかの様に、ギシギシと節々から悲鳴を上げた。

「……びっくりしたぁ」
「もぅ、いきなり大声で怒らないでよお姉ちゃん」
「何もなかったら私だって怒らないわよっ! 2人とも、私達が何の為に集まったのかわかっているのっ!?」

怒髪天をつく佳奈多の手にはシャープペンシル。
3人が囲んでいるテーブルには教科書やノートが置かれている。

「何って」
「テスト勉強でしょ?」
「だったらあなた達が今やってたのは何なのよっ!? どう見てもイチャイチャしてただけじゃないっ!」
『………………いやー、そんなことはないですヨ?』
「声を揃えて言うなぁっ!」

怒髪天をつく佳奈多だが、暖簾に腕押し。
ビリビリと空気を震わす程の剣幕を見せる彼女に対して、のほほんと麦茶を口に含む程の余裕を見せる2人。
かれこれ1年という歳月を佳奈多と共に過ごしてきた彼らは、鬼の風紀委員長のお叱りにもすっかり慣れきってしまっていた。

「勉強会始めて1時間! 未だにあなた達教科書もノートも閉じたままじゃない!」
「大丈夫大丈夫、これからこれから」
「そーですヨ。これからこれから」
「直枝理樹はまだいいとして、葉留佳! あなたは本当に対策しないと危ないわよ!?」
「あー、ひいきだー、お姉ちゃんえこひいきだー」
「事実でしょうがぁっ!」

ここまで怒りを露にする佳奈多も珍しい。
学校では嫌味に始まり嫌味に終わる……そんな皮肉屋のはずの彼女ではあるが、本来の性格は純正なツッコミ気質らしい。
自宅というプライベートな場所にいるということが、彼女の仮面を剥がす要因になっている事は間違いない。
理樹や葉留佳がいる前で素顔を曝け出しているのも、それは彼らが気の置けない仲である事の証左であった。
最も、今の彼女は感情を爆発させすぎて血管が切れそうだが。

「……まぁ、佳奈多さんの言う事も最もだし。そろそろちゃんと勉強しようか、葉留佳さん」
「えぇー、本当にやるのー?」
「せっかく佳奈多さんが時間割いてくれてるんだし。やっといて損はないんだからさ……ね?」
「……わかった、やるよ」
「最初からそうしなさいよ……」

理樹の取り成しにより、ようやく勉強しようという流れになり始める。
わざとやっていたのではと言いたくなるくらいの変わり身の早さに佳奈多はぶつぶつと文句を言いながらも、望むべく方へ向き始めたことで、目に見えて冷静を取り戻す。
不機嫌面しながらも勉強へと意識を入れ始めた彼女を見やり、理樹は小さく微笑んだ。
空気の読める男、直枝理樹。
悪ふざけしていた彼ではあるが、リトルバスターズの中では唯一のツッコミである。
お遊び出来る境界線を見極めることなど、造作もないことだった。

「それじゃ、数学からやろっか?」
「うぇー……いきなりきつい」
「嫌なものは先にやっておいた方が楽よ?」
「そういうこと。僕が教えてあげるから」
「はーい……」
「……」

今回の3人での勉強会は、佳奈多の発案だった。
本格的に姉妹として暮らし始めてから、佳奈多は何度も葉留佳に勉強する様に言い聞かせてきた。
自由に生きて欲しいという思いは当然持ってはいたものの、やはり姉として、せめて学業は人並みに頑張って欲しいという願いがあった事は言うまでもない。
それ以上に、今まで姉らしいことをしてやれなかったという負い目や、元来染み付いたお節介焼きな部分もあったのかもしれないが。
いずれにせよ、佳奈多はあれこれと葉留佳の面倒を見てきた。
葉留佳自身、佳奈多と接したい、甘えたいという気持ちは持っていたのであろう、概ね佳奈多の言うことは素直に聞いていた。
だが、そんな優しい、大好きな姉の言葉でも、勉学に関してだけは聞かなかった。
校内では、真人と同類項に挙げられる葉留佳。
頭が悪いわけではないのだが、如何せん学業へのモチベーションは著しく低い。
佳奈多が手を焼く程に。
そんな彼女が苦悩の末に出した結果が、この勉強会だった。
葉留佳の恋人、理樹。
姉である自分よりも依存している理樹がいれば、葉留佳も勉強してくれるかもしれないという、苦肉の策であった。
もちろんそれで葉留佳の考査が目に見えてよくなるとは思ってはいないが、『勉強をする』という習慣づけをする事がまず大事だと、佳奈多は考えていた。
――直枝理樹、お手並み拝見ね……。
数学の教科書を葉留佳に手渡している理樹に、鋭い眼光を向ける。
最悪、今日だけはまともに勉強させて欲しい……それが佳奈多の心境であった。







1時間後。

「……出来たー」
「どれどれ…………おっ、凄いじゃん葉留佳さん、全問正解だよ」
「ほんとっ?よかったー!」
「葉留佳さん、本当は勉強できるんじゃない?」
「えへへー、理樹君が先生ならいくらでも解ける気がするよ」
「……」

――ば、馬鹿なっ!?
佳奈多は内心で慌てふためいていた。
葉留佳が予想よりも大幅に飲み込みが早かったのだ。
いや、そんな事よりも、『ちゃんと勉強している』ことに驚愕していた。
――な、何なのっ!? そんな某バスケット漫画の刈り上げのポイントガードみたいな事言っちゃってっ!?
葉留佳の解いている問題集は、比較的易しい問題を取り上げたものだった。
教科書を見ながら取り組めばなんてことはない、基本的な問いばかり。
だがしかし、語学や数学は一朝一夕で身につくものではない。
既に2年の暮れ、授業で扱うものもそれなりにややこしくなっていることを考えると、葉留佳がそう易々と解を導き出せるはずがなかった……少なくとも、佳奈多の予想では。
だがしかし、そんな予想を葉留佳は軽々と飛び越えていった。
理樹という助力を得て。
その事実は、佳奈多に1つの仮説を生み出した。
――直枝理樹は、人に教えるのが超絶的に上手なの……?
どれだけ言い聞かせようともペンを持とうとしなかった妹が、理樹の存在でまさかのスピードで学習している。
ペンを走らせる速さ、理解の速さ……それらを総合して考えれば、当然の帰結だった。
葉留佳の彼氏だとか依存対象であるとかそんなものを超越した何かがあるとしか、彼女は考えられなかった。
そして、そんな思考へと至った佳奈多が次の瞬間、信じられない行動に出た。

「……あ、あの、直枝理樹?」
「ん? 何?」
「わ、私にも……教えてくれないかしら?」

理樹の突出した教育能力を見出そうとも、成績的には全てにおいて劣っている。
わざわざ彼にご教授願うこともないはずである。
だがしかし彼女は、理樹に教えを請うた。
それは、彼女の水面下で淡く芽生える感情が何かしら起因しているのかもしれない。
上気させた頬は、彼女のプライド故の気恥ずかしさか、それともそれとは違う何かなのか。
彼女自身何なのか理解していないのだから、判断しようもなかった。

「佳奈多さんに? 全然いいよ」
「ちょっと、理樹くん?」

乗り気な理樹に、葉留佳が眉をぴくりと揺らす。
いじらしいまでの独占欲は、姉に彼との時間を少しでも取られてしまうことへの嫉妬にも波及したようだ。
しかしそれを理樹もわかっているのだろう、「大丈夫」と葉留佳に笑い、そのままの表情で佳奈多に向き直ると、するりと一言を放った。

「『べっ、別にあなただから教えて欲しいとか、そういうわけじゃないんだからねっ!』って言ってくれたらいいよ」
「……は?」
「ちゃんと恥ずかしそうにしながら、でもちらちらとこっちを見るっていう仕草もつけて頼むよ」
「あー、ツンデレかー」
「そう、ツンデレだよ」

――何? どういうこと?
話についていけず暫し呆然とした佳奈多であったが、何を要求されたかをやんわりと理解すると、かっ、と顔を真っ赤にし、怒鳴った。

「そっ、そんな馬鹿みたいな真似できるわけがないでしょうっ!?」
「あー惜しいよお姉ちゃん、そんな感じでさっきの一言をささ、どうぞどうぞ」
「んー、そういう佳奈多さんもかあいいけど、今の僕の気持ちを満たしてくれるのはそれじゃないんだなぁ」

――こっ、このアホアホカップルが……っ!
ぎりぎりと拳を握りしめながら、佳奈多は心の中で吐き捨てる。
その傍らで、『どういうことかな、理樹くん』『や、やだなぁ葉留佳さん、深い意味はないよ』というアホアホカップルの会話が成されていた。

「ぐっ!…………それを言えば、私にも教えてくれるのね?」
「おぉっ」
「おー」

佳奈多は考え直した。
確かに恥ずかしい。
何でそんな事をしなければならないのか、一ミリも理解できやしない。
けれどこんなもの、過去の苦渋の日々に比べれば、何てことはないではないか。
私の一時の、些細な小恥ずかしい一言で、妹の成長理由を見定められるのだ。
そう、妹の為。
こんなものを拒むくらいのプライド、どうってことないわ。

「それじゃ、行くわよ」
「いつでもどーぞっ」
「わくわく、わくわく」

すぅ、と深く深呼吸して。

「べっ、別にあなただから教えて欲しいとか、そういうわけじゃないんだからねっ!」

本当に恥ずかしいからか、顔を赤く染めながら、そして視線を泳がせながら、佳奈多はそのセリフを放った。
――ど、どうっ!? やってやったわよっ!?
妙な達成感に酔いしれながら、佳奈多は「さ、これでいいでしょ」と言わんばかりに、得意げに二人へ目を向けた。
しかしその先には、深刻そうに顔を締める妹とその彼氏が。

「な、何よっ。何か不満でもあるのっ?」

予想外の反応に慌てて声を荒げるも、これといった反応はなし。
――な、何かいけなかったのかしら。
「やっぱりどん引きされたのかしら」とか「そうよね、私がこんな事言うなんて変だもの」とか、果ては「もしかして語尾の『ねっ!』のアクセントが弱かったのかもっ」なんて彼女の思考も相当のぶっ飛び具合を見せたところで。
二人が、ほぅと息を漏らしながら、ぽつりと呟いた。

「困りましたな、葉留佳さんや」
「うん、全くですな理樹くんや」
「な、何――」
「あまりの破壊力に、一瞬『佳奈多さんは僕の嫁』って言いたくなっちゃった」
「うん、わかる。というよりむしろ、私の方が『お姉ちゃんは私の嫁』って言いそうになったよ」
「よ……?」

固まる佳奈多。
嫁?
嫁って何?
私が直枝理樹の嫁でも葉留佳の嫁でもあってだけれど葉留佳とは姉妹でそれに女同士だから土台無理なのであって、でも同性愛が認められる場所に行けば何とかなるかもいやいや別にしたいとかそういうことじゃなくて何を考えていたんだったかしら。
そこまでいって、彼女は現状を理解し。

どばんっ!

「ひっ、人を馬鹿にするのもいい加減になさいっ!」

ぴしゃんと雷を放った。
けれどそれは軽いステップでひょひょいと回避され、二人は目を輝かせて佳奈多に擦り寄る。

「ということで、次は『い、いやよっ! 何で私があなたなんかとっ!』を、ちょっと嬉しそうにしながらで!」
「待ってよ理樹くん、次は私の番ー。ということでお姉ちゃん、私は『も、もう……そこまで言うなら、やってあげなくもないわよ?』を、ちょっと偉そうな感じで!」
「ちょ、ちょっと、約束が――」
「あー違う違う」
「お姉ちゃん、もっとこう、もじもじしながら!」
「だからっ、何で私がっ!」
「うーん、これは僕らが教育する必要がありそうだね、葉留佳さん」
「うん。お姉ちゃんを完璧な『ツンデレ』に仕立て上げようよ、理樹君」
「べ、勉強をさせてーーーーっっっ!!!」

佳奈多の叫びも虚しく部屋に木霊した。
彼女に何かの属性が付加されたのかは、定かではない。

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