「好きなのは…本当だから…」

緊張していた。
唇が震えていた。
どくどくと、視界が揺れるくらい心臓が激しく鼓動していた。
言葉を向けた先に…あの人の、驚いた顔が見えた。

「それって…僕を?」

戸惑いながら問うあの人に向けて、はっきりと頷いた。
何かに突き動かされる様に。
こんな自分が内にいたのかと思うくらい、力強い態度だった。

「恭介とか謙吾じゃなくて…?」

未だ信じられない様子の、あの人。
私は、首を縦に振る。
違う。
私が好きなのは、棗先輩でも、宮沢君でもない。
私が、ずっと好きだったのは…。

「私は、直枝君の事が…好きだから…」

ゆっくりと、噛み締めるように、言葉を吐き出した。
思っていたより、軽く言えた。
誰かに後押ししてもらってる様な感覚だった。
でも、自分で言えた。
もたつかなかった。
自分の好きな人に、自分でその気持ちを伝える事が出来た。
嬉しさで、心が満ち足りそうになった。
でも、まだ早い。
まだ、返事をもらってない。
後は、あの人の言葉を待つだけだ。
あの人の口が開く。

「あ――……」

そして……。





雀の囀り。
カーテンから差し込む光。
寝巻きの私。
午前7時を刻む時計。

「………夢、か」

私は、眠りから目覚めた。









* * *








「……何だったのかなぁ」

朝方の廊下を歩きながら、睦美はぽつりと独り言を漏らす。
彼女は、今朝の夢を気にしていた。
誰もいない教室。
残っているのは、睦美と…理樹。
出て行こうとする理樹を呼び止める様に。
二度とない機会を掴み取る様に。
彼女が、告白の言葉を紡いだ……そんな夢。
夢というものは、酷く曖昧なものである。
目覚めた時に見たものを丸々覚えている事もあれば、全く思い出せない事もある。
今回の睦美は、前者の方だった。

「……凄い、ドキドキしてたなぁ」

そう言って、手を唇に持っていく。
内容もさることながら、睦美が特に気にしていたのは、その生々しいまでの緊張感だった。
夢とは思えなかった、あの感覚。
実際に起こった事の様な錯覚を受けていた。
そんな事は、まずもって起こり得ないのに。
それを思い出してか、彼女は自嘲気味に笑った。
どんなに現実味があっても。
克明にその内容を、感覚を思い出せても。

「夢は夢…だもんなぁ…」

そう言って、虚空を見上げた。
さながら、遥か上空の雲を掴もうとする気分だろうか。
今の彼女に、そんな度胸はなかった。
想い人の理樹に、想いを告げる事など出来るわけがなかった。
きっと対峙した所で、上手く言葉を喋れなくて、おどおどした挙句……適当な事を言って、逃げ出してしまうに違いない。
夢の中の自分には、到底なれるわけがなかったのだ。

「直枝君、何て言ってたのかなぁ…」

目線を廊下の奥へと戻し、夢の続きを夢想する。
あの後、理樹は彼女へどんな言葉を伝えたのだろうか。
好きだと言っただろうか。
ごめん…と、断っていただろうか。
考えはすれど、答えが出てくる事はなく。
夢の中の出来事が現実に現れる事などまずありはせず。
つまるところ、考えるだけ無駄というものだった。
けれども、彼女は願う。

「せめて、夢の中では成功しててほしいなぁ…」

自らが果たせていない思いを伝えた、夢の中の自分だけは。
想い人と手を繋いでいける間柄になっていてほしいと、彼女は願った。
それは、諦観から来る夢物語なのか。
それとも、いつかは自分が…という、意気込みから来るものなのか。
彼女の薄い笑顔からは、それを読み取る事は出来なかった。

「やっほー杉並ぃっ!何辛気臭い顔して歩いちゃってんのっさーっ」

そこへ、睦美の横にいきなり現れる高宮。
若干息が上がっている所を見ると、前方に睦美の姿を発見してから走って来たらしい。
朝からギアがハイトップくらいに入っていそうな高宮を見て、睦美は苦笑を浮かべた。

「高宮さん、朝から元気だね…」
「何よその微妙な顔はっ。朝はテンション低めじゃなきゃいけないなんて決まりないでしょーがっ」
「や、まぁそうなんだけどね…」

矢継ぎ早に言葉を発射してくる高宮。
今朝の件があれど、睦美はそれ程朝に強いわけではなく、未だ脳がきちんと活動していない。
口の速さでは通常時でも勝てるはずがないのに、朝方では勝負にすらならないということで、睦美は高宮の意見をそこはかとなく認める言い回しをして、追撃を避ける。
それに満足したのか、高宮も言葉を飲み込み、大人しく睦美の横に収まる。

「勝沢さんは?」
「さぁ?まぁそのうち来るでしょ。先に行って席取ってましょ」
「そうだね」

そのまま、2人肩を並べて学食へ向かう。
高宮が来た事もあり、睦美は夢についての思考を一旦切るのだった。









* * *









その後、少し遅れてきた勝沢を交えて3人で朝食を取り、一旦部屋に戻って身支度をし、再び集まる。
3人揃った所で、学校へ出発した。
そして、校舎内に入り、途中の廊下を歩いていた時の事だった。

「というわけで、私は思うわけよ」
「……どういうわけ?」

いきなり、高宮が不可解な事を言い、睦美が眉を潜める。
何が『というわけ』なのか。
あからさまに過程が吹っ飛んでいる。
睦美と高宮のすぐ後ろでは、勝沢があくびを噛み殺しながら歩いていた。

「だから……そろそろ、再始動した方がいいんでない?」
「さいしどう?」

ちょこんと首を傾げる睦美。
未だ要領を得ない睦美にやきもきしたのか、高宮は人差し指をずい、と睦美の眉間に押し付けて、言った。

「だーかーらーっ!直枝へのメール、もっかい送り始めたらいいんじゃないって言ってんのよっ!」
「……あー…」

高宮のようやっとの端的な発言に、睦美も理解を示したらしく、何度か頷いた。
しかし、その様子に、かつての恥じらいや戸惑いはなかった。

「何よ、随分落ち着いてるわね…」
「え?そう?」
「そうよ、前にこんな事あんたに言ったら、『えっ!?そんなの無理無理、無理だよぅ〜!』って駄々こねてたじゃない」
「……さすがにそれはしてない自信はあるよ」
「まぁ言いすぎかもしんないけど、こんな感じだったじゃない」
「……そう、かもね」

睦美は、目を伏せて、呟く様に同意した。
その姿には、やはり今までの彼女のイメージとは違うものだった。
今までは、嫌だ嫌だと言っていても、本心はそんな事はなかった。
メールアドレスを聞き出すのも、その後にメールを送る事も。
だがしかし、今回は明らかにそれらとは異なっていた。
彼女からは、明らかに尻込みするというか、前向きな態度は窺えなかった。

「何?あんたもしかして冷めちゃったわけ?」
「…そういうわけではないよ…」
「なーんか煮え切らないわねぇ…勝沢も何か言ってやんなさいよ」

高宮が後ろを向き、後方を歩いている勝沢に援軍を求める。
気だるげに廊下を歩いていたはずだった勝沢だが……睦美を、真剣な表情で見つめていた。
それは、いつもの勝沢とは明らかに違っていた。
いつも2人の少し後ろを歩いていて。
2人が行き詰ったのを見計らって、何か助言をしてくれたり、たまにふざけてみたり。
言うなれば、静の睦美、動の高宮のバランスを保つ、丁度真ん中に位置するのが、勝沢だった。
しかし、今の勝沢に、それはなかった。
むしろ、3人のバランスを壊す勢いだった。
抑えていたのか、出す気がなかったのかはわからないが……ここまで、感情をむき出しにする勝沢の姿は、滅多にない事だった。
その変わりように、そしてその緊迫した雰囲気に、高宮だけじゃなく、睦美も息を呑む。
そして、小さかったが、しっかり伝わる程度の声量で、言った。

「……杉並が嫌だって言うのなら、やらなくていいんじゃない?」
「ど、どうしたのよ、いきなり……あんた…ちょっとマジになってない?」
「別に…」

高宮への対応を適当に返し、勝沢は睦美へ歩み寄る。
くすりと笑いもせず、登校時の廊下には場違いすぎる雰囲気を纏って近づいてくる勝沢に、睦美は少し腰が引ける。
が、後ずさるまでには至らなかった。
人1人分程度の間まで詰め寄り、勝沢は言葉をかける。

「ねぇ、杉並?」
「な、何…?」
「あなたは、どうしたい?」
「ぇ…?」
「あなたがまだ直枝にアプローチしたいと言うなら、私は協力するわ。でも、無理強いはするつもりはない……どうする?」
「…わ、私は……」

何かを言おうとするも、返す言葉が見つからず、口ごもる。
勝沢は睦美が何かしら答えを返すのを待っているのか、身じろぎせず睦美を見続けている。
高宮も2人の…というより、勝沢の雰囲気を察し、2人に心配している様な眼差しを向ける。
暫し視線を彷徨わせた後、ぼそぼそと呟く様に、睦美が口を開いた。

「わ、私は、まだ……頑張り、たい」
「本当に?」
「……う、うん」

勝沢の問いに肯定するも、その言葉尻は酷く弱々しい。
時間が空いたせいか。
それとも、心変わりするような出来事が他にあったのか。
雰囲気に当てられた面もあるとはいえ、確実に彼女の意志の脆弱化が見て取れた。
答えを聞いた後も、勝沢はじっと睦美を見つめ続けた。
対する睦美は、勝沢の目に耐え切れず、視線を地面に落とす。
また、数秒の間の後。

「……まぁ、いいわ」

すっ…と、勝沢が睦美から離れる。
2人が勝沢を見ると、そこにいるのは、いつもの気だるげな勝沢だった。
先程の雰囲気をあっさりと取り去り、あくびをする口を手で隠していた。
息の詰まる時間が終わりを告げ、高宮と睦美が大きく息を吐いて肩を下ろす。

「さ…さーて!とりあえず再始動する事は決まったし、今度は新しい目標でも決めましょーっ!」
「そ、そうだねっ」

そして、未だ残る微妙な空気を吹き飛ばすかの様に、高宮が明るく声を出し、睦美もそれに乗る。
その高宮の姿に、勝沢は小さく笑った。
それを見て、安心感を分かち合う様に、顔を合わせて顔を綻ばせる高宮と睦美。
2人が前を歩き、そのすぐ後ろに勝沢が着く。
先程と、同じ立ち位置に戻る。
今度は勝沢も、初めから加わって、計画を練る。

「そうね…やっぱり前に言った、挨拶を普通に交わせる仲になる、なんてどうかしら?」
「おっ、勝沢いい事言うねぇっ!それ採用っ」
「え、えぇ…それはちょっと厳しいかも…」

あからさまに空元気を出して、会話を盛り上げようとする高宮。
しかし、そのおかげもあってか、表向きとはいえ、空気はがらりと変わっていた。
いつもの3人に戻っていた。

「何言ってんのよ、挨拶くらいどうって事ないじゃない」
「だ、だって…直に話すのはやっぱり…」

しかし、高宮と睦美が会話するその後ろで。
寒気がする程真っ直ぐな目をした勝沢が、睦美を見つめていた……。






web拍手を送る
面白かったら押してください。
inserted by FC2 system