「ふむ…ここで落ち着いたわね」
「猫…?」
「鈴ちゃんが連れてる猫でしょ?直枝はただ突っ立って見てるだけだし」

放課後。
『直枝が1人になる瞬間をひたすら待つ』という勝沢の作戦を遂行すべく、3人は理樹とその他面々の後を追跡した。
最初睦美をどこか別な場所に待たせて理樹をその場に向かわせるという考えだったのだが、そこに至るまでに誰かと鉢合わせる危険性を考えるとあまり得策ではないと判断し、その結果、睦美も共に同行し、理樹が1人になった瞬間即座に聞きに行くという作戦に切り替えた。
何とも地味でなおかつ終了時刻が不透明という文句を引っ下げ、高宮が机をバシバシと叩いて猛抗議したのが5時限目後の休み時間。
その後冷静に考えて別の結論にでも至ったのか、6時限目終了後は手の平を返した様に乗り気になっていた。
最も単純なのは何も考えず理樹にそのままメールアドレスを聞きに行く事なのだが、そこは睦美の親友。
きちんと彼女の心情を察して周りに知られない様にと努めているのだ。
何とも微笑ましい友情ではないか。

「ま、直枝の前で顔真っ赤にしておどおどしまくる杉並を覗き見するってのも面白いわね」
「ちょっと…?」
「冗談よ、ジョーダン!」
「もぅ…」

涙が出る程素敵な友情である。
それで、追跡を続けた結果。
理樹は、十数匹の猫が集まっている場所で歩みを止めた。
そこには、もちろん鈴の姿が。

「どーすんのよ、鈴ちゃんも一緒じゃない」
「まぁ、井ノ原君とかが野球しに行って人が少なくなったのだからいいでしょう」
「私、あそこに行って聞くの…?」

不安げに勝沢を見る睦美。
実は理樹と鈴が両思いなのではないかと危惧している睦美にとって、あの場でアドレスを聞きに行くのは鬼門に他ならないだろう。

「大丈夫よ、杉並。考えはあるから」
「あんたさっきからホント自信満々ね」
「ええ。私の作戦が失敗する可能性なんて、『つめた〜い』お茶を買おうと思ってたのに、うっかり『あったか〜い』お茶を買ってしまうくらいありえないわ」
「いちいち伸ばすんじゃないわよ…」

しかし、そこは親友。
対策を練っているらしく、勝沢の表情に『不安』の二文字はどこを探しても見当たらなかった。

「んで?あんたの作戦ってのは?」
「あえて直枝じゃなくて鈴ちゃんを足止めする作戦よ。直枝達はこの後野球をする予定があるからここでずっと猫の世話をするはずがない。そこで鈴ちゃんを足止めしておけば、『それじゃ僕はグラウンドに…』となるに違いないわ」
「逆の発想というわけね……恐れ入ったわ、勝沢。やっぱあんたには敵わないわ」
「褒めるのは作戦が終わってからにして…まぁ、結果は見えているから今言っても同じなんだけれどね」
「そんなに簡単に行くのかなぁ…」

ふふふと勝ち誇った様に笑みを交わす2人をよそに、睦美はやはり不安を隠せなかった。
足止めをするって、どうやるつもりなんだろう。
というか、滅多に他人と会話をしない鈴ちゃんにどう切り込む気なんだろう。
疑問は尽きなかったが、睦美は何も喋らなかった。
自分の為にわざわざ時間を割いてくれている2人に口を挟むのは、我侭だと思ったから。
そもそも自分が1人で聞きに行けないのが悪いのだと、睦美はツッコミを自制し、事の成り行きを見守る事にした。

「それじゃ行ってくるわ」
「成功が見えてるのに言うのもなんだけど…健闘を祈るわ」
「頑張って、勝沢」

もはや成功を確信して止まない勝沢は、機会を窺う事もせず堂々と理樹達の視界に入る範囲へと足を踏み出した。
元々それ程人気のない場所である。
理樹がすぐさま勝沢の存在に気づく。

「やぁ、直枝と鈴ちゃん」
「どうも、勝沢さん。こんな所でどうしたの?」
「こらっ!あたしの頭に乗るな!」

気づいていないのか、それとも無視しているのか、鈴は目の前に現れた勝沢の事など目もくれず猫とじゃれついている。
勝沢は無視された事に気に障った様子もなく話を進めた。

「実は、鈴ちゃんにお願いがあってね」
「鈴に?」
「ええ。私も猫が好きなんだけど、これがイマイチ懐かれないのよ…で、鈴ちゃんは猫と仲いいじゃない?だから、ぜひ猫の飼いならし方をご教授してもらおうと思って」
「そうなんだ…でも鈴は口下手だから、きちんと教えれないかも…」
「別に見てるだけでも構わないわ」
「そう?…どう?鈴?」
「ん?どうした理樹……っ!?」

漸く勝沢の存在を認知したのか、猫も真っ青なスピードで理樹の背後に隠れる。
続くように、鈴と理樹の周りに猫が纏わり付いた。

「ありゃ…ごめん勝沢さん。鈴は人見知りが激しくて…」
「まぁわかってたことだから…ダメそう?」
「鈴、勝沢さんが猫と仲良くなる方法を教えてもらいたいんだって」
「……」
「鈴はいつも通り猫と遊んでるだけでいいから。ダメ?鈴」
「……………別に、いい」

長い沈黙の後、そう言って鈴は理樹から離れ、先程の場所に腰を落ち着けた。
そんな鈴の行動を目で追っていた2人は、同時に顔を見合わせた後……ゆっくりと相好を崩した。

「よかったね、勝沢さん」
「ええ。それじゃぁ邪魔にならない程度に観察させてもらうわ」
「うん、鈴は本当に猫とじゃれるの上手いから参考になると思うよ」

理樹と話をしつつ、勝沢はちらりと睦美達のいる位置へと視線を向けた。
その視線の先……高宮と睦美は、緊張の糸が途切れた様に長い息を吐いていた所だった。
どうやら、3人の会話は聞き取れている様だ。

「漸くここまで漕ぎ着けたわね…」
「うん…」
「わかってる?次は杉並の出番なんだからね?直枝がいなくなった瞬間ダッシュよっ!」
「う、うん…」

バシっと背中を叩かれ、睦美はどもりながらもやる気を漲らせる様に握りこぶしを作る。
そう、これはまだ第一段階にしか過ぎない。
ここから、鈴をこの場に留めつつ理樹をグラウンドに向かわせなければならないのだ。
理樹が場を離れようとする時まで待機の、忍耐力の勝負である。
高宮と睦美は再度気を引き締め、機を逃さぬ様目を光らせた。












* * *











「えっ!?あの先生そんな癖があるの!?」
「そうよ、今度授業中見てみるといいわ」
「全然気づかなかったよ…勝沢さんよく気づいたね」
「偶々ぼぅっと見てたらね。見つける時なんてそんなものよ」

理樹と勝沢の会話は異様に弾んでいた。
もはや鈴と猫の触れ合いなど全く見ていない。

にゃーにゃー。

「お前は毎回汚くしてくるな…いつもどこで遊んでるんだ?」

鈴は鈴で、普通に猫に毛繕いしている。
立ち話しに夢中になる理樹と勝沢、そして周りなど意に介さず猫と戯れる鈴。
公園に子供を遊ばせに来たご近所の主婦達の様だった。

「ねぇ…」
「何?」
「あたしらいつまで待ってりゃいいの?」
「さぁ…」
「さぁ…て、あのねぇ……あれから1時間よ、1時間!待機ったって長すぎじゃない!?」

我慢ならんと喚き散らす高宮。
高宮の言う通り、実は、あれから1時間が経過していた。
睦美達は約60分、あの井戸端会議の様な光景を見続けていたのだ。
それは喚きたくもなる。
ちなみに、2人の足元には空になった紙コップが置いてある。
30分程経った頃、休憩と言わんばかりに2人が自販機へと向かった名残だった。

「……ふぅ」
「辛いわねぇ、ホント」
「え?あ、うん、そうだね…」

苛立ち気味な高宮と対照的に、睦美はどこか上の空だった。
先程からちらと3人の光景を見ては、深い溜め息を吐いている。
集中しすぎたせいで疲れたのだろうか?

「……いいなぁ」

後ろで手を組み壁に寄りかかりながら、切なげに零す。
意中の人と楽しげに会話をする親友に軽く嫉妬している様だった。

「それじゃ、そろそろお暇するわ。ありがとう、直枝、鈴ちゃん」
「こちらこそ楽しかったよ。じゃあね」
「……」

そこで、何故か会話を切り上げ帰ってくる勝沢。
もちろん理樹はその場に残っており、作戦は途中である。
素知らぬ顔で戻ってきた勝沢に、2人は怪訝な目を向ける。

「ちょっと、何戻ってきてるのよ?」
「どうしたの、勝沢さん?」
「飽きたわ」
『おいっ!』

ぞんざいな勝沢に一斉にツッコむ2人。
あれだけ待たせておいて、飽きたというそれだけの感情で諦めてくるとは…勝沢も中々のツワモノである。

「飽きたのもあるけど、彼ら、当分野球しに行く気ないわ。今日の所は引き上げましょう」
「ここまで来て骨折り損かぁ。まぁしんどいし今日はいいわ……でももうちょっと早めに見切りなさいよ、1時間は長すぎ」
「疲れた…」

各々微妙な空気を漂わせながら引き上げる事に。
もう少し愚痴を零すかと思ったが、やはり1時間待機は辛かったのか、2人は大した文句も言わずその場を後にした。
結局、高宮同様勝沢の作戦も失敗に終わった。
むしろ、高宮の作戦よりも無駄に時間が掛かった為、精神的疲労度は高かった。












* * *










「進展なし、かぁ…」

寮に戻り暫し経った後、睦美は寮の周りを散歩していた。
そろそろ日が沈もうと、ゆっくりと空が朱に染まっている所だった。
突発的に行ったメールアドレス聞き出し作戦だったが、内容が悪かったのかはたまた運が悪かったのか、途方に終わってしまった。
直枝理樹に会い、メールアドレスを交換する。
これだけの事が1人で出来ない自分が、睦美は心底恨めしかった。
どうしてこんなに臆病なのだろう。
どうして1人で出来ないのだろう。
赤く染め上がる世界を1人ふらふらと歩き回りながら、彼女の思考はどんどんと深みに嵌っていく。
高宮と勝沢。
彼女らは多少遊んでいる雰囲気がなかったわけではないが、それでも自身に協力してくれてるのだから、感謝こそすれ悪態を吐くなどもってのほか。
昔から、2人には助けてもらっていた。
彼女らはふざけながらも、睦美の手を引っ張っていってくれた。
子供の頃から、何も変わってやしない。
恋する相手に、話しかける事すら出来やしない。
いつだって、遠くからただ見てるだけ。
いつまで私は、こんなにも弱いままなのだろう。
考えれば考えるほど、睦美は自分を卑下していく。
それこそが、弱さの根源である事を知らずに。

「あれ?杉並さん?」
「っ!?」

そんな睦美を現実に引き戻したのは、ある1人の男子生徒の声だった。
あまりに聞き覚えのある声に、睦美は跳ね上がるのではないかというくらいに体を震わせた。

「(まさか…まさかっ!?)」

ありえない。
いや、でももしそうなら…。
若干の不安と、それ以上の期待を胸に、睦美は振り向く。

「こんな所で何してるの?」
「…な、直枝、君…?」

振り向いた先に見たのは、何を隠そう、本日2人きりになることを願って止まなかった人物…直枝理樹である。
何という偶然。
何という奇跡。
漸く願いが叶ったということで普通なら心の中で万歳三唱する所なのだが。
まさかの予想が当たってしまい、睦美の頭は真人の宿題並みに真っ白になっていた。

「……杉並さん?」
「えっ!?あー、その、だから…さ、散歩中なのっ!気分転換にと思ってっ!」
「そ、そうなんだ…」

極々自然な質問なのに、睦美がやけに大声で回答してきたので、理樹は驚いた様に目を丸くした。

「(あぁもう私のばかっ!直枝君の前で何でそんな…っ!)」

心の中で自分をぽかぽかと殴りつけるイメージを描く睦美。
そして心を落ち着けようと大袈裟に深呼吸をし……ひくひくとぎこちない笑顔を理樹に向けた。

「な、直枝君は…?」
「僕は、これだよ」

挙動不審すぎる睦美に何の疑問も抱かず、理樹は手に持っていたグローブを胸元まで掲げた。
せっかく理樹が流しているのに――感づいているのかは不明だが――睦美は相も変わらずカチンコチン。
1分程前に自問自答していた事を全く生かせていない。

「グローブを何でかそのまま持ってきちゃってさ。今から部室に返してくる所なんだ」
「へ、へぇ〜…」

何とも話の広げようのない返事である。
もはや彼女にはメールアドレスはおろか、理樹と二人きりになれた事すらも念頭に置かれていない。
何とかこの場を乗り切ろうとする、逃げの思考しかなかったのだ。

「それじゃ、僕は行くね。また明日」
「っ!…」

しかし、理樹の別れの言葉を耳にし、彼女はようやっと事態を把握し始める。
それは、危機感という名の本能。
理樹が行ってしまう。
こんなチャンスは2度とないかもしれないのに…っ!
どれ1つ大事な事を忘れていた脳内が、目まぐるしく情報を整理していく。
無情にも徐々に離れていく理樹の背中。
何かに突き動かされる様に。
縋るように。
何も考えずに。

「……ま、待ってっ!」
「え?」

睦美は、呼び止める声を振り絞った。
理樹が振り向く。
呼び止めて、どうするのか。

「メールアドレスを、教えてほしいの…」

彼女は、理解していた。
何をするために今日理樹を追い続けていたのかを。
そして見事、その目的を成し遂げたのだった。
あれだけ1人で出来ないと悩んでいた、睦美が?
土壇場の状況が後押ししたのだろうか?
しかし、臆病と言う厚手のコートを何枚も着込んだ様な少女、それが杉並睦美である。
とても切羽詰ったからといって、ここまでの振る舞いを出来るとは到底思えなかったが。

「え?…うん、いいけど、急にどうして…?」
「ほら、私たちクラスメートだし、知っておいた方がいいかな、て思って…」
「そっか、それもそうだね…」

けれども、彼女が今それを成そうとしている事には変わりなかった。
彼女は確かに、たった1人で、理樹からメールアドレスを聞きだそうとしているのである。
『たかがそれだけの事で何を大袈裟に…』と、普通なら一笑に付す所かもしれない。
しかし、睦美にとっては今までの人生で最大の大立ち回りと言っても過言ではなかったのだ。
いつも誰かに助けてもらっていた彼女が、己の為に、1人で何かをしようとしている。
そこは、初めてと言って良いかもしれない世界だった。

「赤外線でいいよね?」
「うん…」

お互い、制服のポケットから取り出した携帯の頭部分を近づける。
睦美の手は、震えていた。
数秒の沈黙の後…

「あ、来た」
「私も」
「これが杉並さんのアドレスと番号だね。うん、登録しておいたよ」

携帯画面を睦美の方に向け、理樹はにこりと笑った。
睦美からは逆行のせいで画面が見えなかったが、登録完了の画面を見せたかったのだろうと彼女は解釈した。

「じゃぁ僕は行くね。また明日!」
「うん、ばいばい…」

予定でもあったのか、若干小走り気味に理樹は部室の方へと向かっていった。
胸元で手を振っていた睦美は、理樹の姿が見えなくなった後暫くして。

「……はぁぁぁ」

長い長い溜め息を吐いて、その場にへたり込んだ。
あっという間だった。
けれど、精神的な時間の経過の感覚は、異常な程長時間だった。
それ程緊張していたのだろう。
想い人たる理樹のアドレスと番号が入った携帯を握り締めながら、暫しぼぅっとしていた。

「……これで、告白とかになったら…」

言葉に出しながら考える。
今のでさえ意識が真っ白になるのではないかと思う程の緊張だったというのに、実際にこの想いを伝えるとなったら…。



「直枝君……す、好きですっ!」



「っ!!??」

想像して、茹蛸の様に顔を真っ赤にして俯く。
告白するなど、とてもではないが無理だと睦美は思った。

「…でも」

握り締めていた携帯をちらと見やる。
そして、ピッピッ、とボタンを押してアドレス帳を呼び出し…

「直枝、理樹……」

その名前が入力されている事を、再度確認する。
無機質な画面の中に、確かにその名前はあった。
さらにボタンを押す。
その先には、もちろん理樹のアドレスと電話番号。

「…………」

じんわりと、彼女は先程の事実を実感し始める。
頬と、心が熱くなるのを感じた。
そして。

「……よかったぁ」

心の底から吐露する様に、喜びの言葉を呟いたのだった。
自然と笑顔が浮かんだ。
色々あった1日だったけど。
半ば急かされる様に始まったメールアドレス聞き出し作戦だったけど。
やっぱり欲しいのは事実だったわけで。
それが叶って本当に嬉しいと、彼女は笑った。
意味もなく携帯を弄びながら。

「あっ!?ど、どうしよう、今日メール送った方良いのかなぁ…」

さらなる受難が待ち構えていそうな雰囲気を醸し出しながら。
睦美達の、メールアドレス聞き出し作戦は終了したのだった。





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