まただ。
また、あの夢だ。
誰もいない教室。
私と、直枝君しかいない教室。
どくんどくんという心臓の音。
視界が揺らめくくらいに頭が真っ白なのに、けれどすんなりと紡がれる想いの言葉。
私が私じゃないかの様に。
そう、それこそ夢だ。
不可能を可能にする、何でもありの世界……夢。
そこで私は、彼に告白する。
彼が驚く。
呆けた表情をしながら振り向く。
暫しの、静寂。
そして。

「あ―――……」






「……」

私はまた、現実へと戻ってくるのだ。






******






「……なーんか、辛気臭い顔してるわねぇ」

秋の匂いを感じさせる肌寒い朝の廊下に、高宮の気だるげな声が響く。
今日も今日とて間に合うか間に合わないかの微妙な時間に登校する彼女らの周りには、やはり生徒の姿はほとんど見当たらない。
もう少し早めに来ればそれなりの活気が溢れる場所であろうが、予鈴間近ともなれば、大体の生徒が自分の教室に落ち着いている。
横切る教室の中からはがやがやとした喧騒が耳に入ってはくるが、廊下はひっそりとしたものだ。
そんな、変わり映えしないと思われる彼女らの今日の朝はしかし、いつもとは決定的に違うものがあった。

「……」
「なーに? 勝沢がいないのがそんなに寂しい?」
「ん? まぁ、それもあるんだけ、ど」

後頭部に両手を添えて問う高宮に、睦美は曖昧な笑みではぐらかした。
本日の登校は、睦美と高宮の2人だけ。
勝沢の姿はなかった。
とはいえ、こういったことがそれ程珍しいというわけではない。
病欠や用事があった場合に3人の誰かが朝の風景から欠けることも、今までの十数年の日々の中では頻繁ではないにしろ、少なからずあることではあった。
よって、『勝沢が朝一緒にいない』というそれのみを見るならば、彼女らがそれ程気にかけることではない。
つまり、『彼女らがすんなりと勝沢がいないということを受け入れられない何か』、『気に病む何か』があるということである。
それは例えば、姿が見えない、連絡がなかったであったり。
相当の重病であったり……といったものが挙げられるが。
今回の件に関して言えば、原因はそれらの類ではない。
いや、ある意味で類似している部分もある。

何があったのか。
ずばり言えば、『つい先ほどまで勝沢は彼女らと共にいた』のだ。
先ほどとは、朝食を食べ終え、一旦身支度のために各々部屋に戻り、そして集合し。
『さぁ、行こうか』、という所までである。
ということは勝沢は制服を着用していたわけであって、それはつまり『学校へ行こう』という意思があったと見ていい。
わざわざ休む人間が制服を着て食堂に現れるわけがないし、仮に校外に用事があるためといった例外的な欠席であったとしても、そのことは朝食の時点で言うべきことである。
彼女らの友好関係を考慮して言えば、今日という日よりも前に報告されていてもおかしくないものであるわけだ。
だがしかし、勝沢は、寮を出る間際に言った。
『私、今日学校行くのやめるわ』、と。
どう見てもそれは突発的、気紛れ、その場で思いついたかの様な発言だった。
もちろんそこで2人が『うんわかった』となるわけもなく、どうしたのだと詰め寄ったのだが、勝沢は相変わらずのニヒルな笑みを浮かべるだけで、口を割ることはなかった。
顔色は悪くない。
何か用事があるわけでもなさそう。
とくれば、2人が『何故?』と頭を悩ますことになるのは、何ら不思議なことではなく、当たり前のことであった。

「まぁ、あいつの事だから何かやることあったんでしょ。気になるんなら今日帰った後にでも聞けばいいじゃない」
「うん、そうだ、ね……」

情報が足りない以上考えるだけ無駄だと言外に言い聞かせる高宮に対して、睦美は頷き返すものの、煮えきる様子はない。
彼女の心を乱すものは、勝沢の件だけではない。
それは、昨晩見た夢のこと。
2度目のそれは相変わらずの生々しさを伴って、始終の映像が睦美の脳裏にこびりついていた。
夢とは、無意識下に存在する願望を映し出すという説がある。
だとするのならば、睦美の見たそれは、潜在化している彼へ想いを伝えたいという願望が顕在化したものなのだろうか。
睦美はその考えには頷くことは出来なかった。
――あの夢は、本当に私の夢なのかな。
その考えが、先ほどのそれよりもよほど突飛で、おかしいことには、睦美は十分すぎる程に理解していた。
しかしながら、それでも彼女はあの夢が、あそこにいた自分が、とてもではないが己の望みが反映した姿とは思えなかったのだ。
それはまるで、誰かに喋らされている様な。
『杉並睦美』という同じ名前を持つ少女だけれど、自分とは全く異なる物質で構成された、別の何かの様な。
そんな気がしてならなかったのだ。

「何ぼーっとしてんのよ」
「はっ!? ご、ごめん」
「はよ行くべー。ギリギリ間に合う時間なんだしさー」
「う、うんっ」

――夢なんだから、そんなことがあってもおかしくはないんだけど。
そもそも夢のメカニズム自体、お偉いさん方でさえもまだ解明しきれていないのだから、睦美がうんうん唸ったところで光明が差すわけがないのだが。
それでもふとした瞬間にフラッシュバックする映像のせいで、彼女はそれについての思考にのめり込んでは放り捨てるといったことを、延々と繰り返すのであった。

「またぼーっとしとる……こら杉並っ!」
「あっ! う、うんごめん!」
「もう、考え事は授業中にしなさい」
「授業はちゃんと受けなきゃダメだよ……」
「それもそうね。じゃぁ今はとりあえず、遅刻せずに教室に滑り込むことだけを考えなさい!」
「う、うんっ」

そうやって睦美を急かし、高宮は若干足を速め。
睦美もそれに続いて、二人はやや急ぎ足で教室を目指した。




結局睦美らが教室内に入ったのは、本鈴一分前のことであった。
ゆっくりする暇もなく、本鈴が鳴ると同時に担任が教室に入ってきた。
そして、ホームルームが行われ、最後に勝沢の欠席が、担任の口から淡々と報告された。
今日も学校は、いつも通りに過ぎ去っていこうとしていた。





******





周りとは違い、少しいつもとは違う日を過ごす睦美の下に、また日常とは逸脱する事態が転がり込んできたのは、三時限目の古典の時間である。
初老の男性教師の眠くなる様な穏やかな声と共に紡がれる、宇宙言語かと思わされる古語により、半分程の学生は睡魔に誘われ、こくこくと船を漕いでいる。
睦美はそこまでは行かなかったが、やはり退屈さは否めないのか欠伸を噛み殺し、うっすらと涙を浮かべながら、でも寝まいと目をごしごしと擦りながら黒板へと向き直り、教師の声に耳を傾ける。
そんな、ようやく授業時間も半ばを過ぎようとしていた時のことである。
――……ん?
ふと睦美は、机の中に潜ませていたケータイのサブウインドウが光っていることに気づいた。
LEDが、様々な色を持って薄暗い机の中を照らしている。
言うまでもなく、ケータイが何かしらを受信した合図である。

授業中にケータイをいじっているのが発見された場合、その場で没収、指導室行きが通例となっている。
説教部屋送りにされた生徒の話によれば即日で返されるらしいが、やはり大目玉を食らうのは誰だって嫌だろうし、休み時間は自由に使用することを許可されているのを考えれば、授業中の使用は相当リスクが高い。
とは言うものの、それをわかりきっていても大半の生徒は『でもそんなの関係ねぇ』と言う具合に、死角に忍ばせたケータイを何の気なしにいじくっているわけだが、睦美は根っからの小心者なので、一応手を伸ばせる位置に置いてはいるものの、授業中にそれを使ったことはあまりない。
『皆で渡れば怖くない』の要領で罪の意識が薄れ、何度か試みたことはあるが、やはり彼女の蚤の心臓ではそう何度も出来るものではないらしい。
ゆえに、今回も次の休み時間に見ればいいだろうという気持ちが睦美の心を支配するわけなのだが、丁度良く着信を見てしまった以上、せめて誰から来たものなのか、メールなのか電話だったのかは知りたいという欲も、当然ながら芽生えてしまっていた。

既に光は消え、ケータイは机の中で大人しくなっている。
手探りでそれを弄びながら、睦美は目前で教鞭を振るう教師を見た。
白髪が見え隠れする、初老の男性教師。
その目元は柔らかく、教師というフィルターを外せば、気の良い爺さんといった風情。
半数が机に突っ伏しているのもお構いなしに、教科書片手に暢気に竹取物語の講釈を垂れている。
――この先生なら……。
己の中で冷静に"敵"を分析した睦美は意を決し、ケータイを横向きに開いた。
ケータイは一通のメールを受信していた。
そして、その送り主の名は、勝沢。
本日欠席している彼女が何事だろうか、ノートを取っていてくれとかいう頼み事だろうかと考えながらメールを開いた睦美は、思わず眉を顰めた。

『今日の放課後、屋上前の階段に来て』

体調不良を理由に欠席したわけではないということは睦美も何となく予想してはいたが、ここに来てさらに、今日の勝沢の行動は謎に拍車が掛かっていると感じた。
そこに呼んで何をしようというのか。
全くもって意図がわからない。

「えー、ではこの尊敬語が誰が誰に対してのものなのかをー」

そこで唐突に大きくなった教師の声に驚き、睦美はケータイを机の奥に押し込んだ。
挙動不審だったかと一瞬不安が過ったが、教師は睦美の様子など目もくれず、辺りをぐるりと見回すと苦笑し、「ここの泣きたまふは、作者のかぐや姫を敬うものであり」と自ら答えを言い始めた。
何事もなく、ほっと安堵の息を漏らした睦美は、その後高宮の方へと視線を投げた。
高宮は、腕枕をして寝ていた。
ケータイを触ることはおろか、ここ数分目覚めた気配すらない。
高宮にもメールが来たのかを知りたかったが、それは望めそうにないと、睦美は目を黒板の方へと戻した。

「これを見て、親たちもどうしたのですかと騒ぎ尋ね――」

次の休み時間に聞けばいいかと思い直し、睦美はケータイを手放した。





******





ところが授業終了後も、睦美はそれを訊ねることは出来なかった。
高宮は幾度かケータイを使っていたのに、睦美に何も聞いてこなかったからだ。

「杉並ー、帰ろー」

結局昼も、そしてその後も訊くことが出来ず、放課後になっていた。
――私にしかメールをしてないということは……。
もしかしたら、内密のものなのかもしれない。
そう考えると、やはり睦美はその事を高宮に打ち明けることが出来ないでいた。
しかも、そのメールが届いていれば何事もなく『帰ろう』などという言葉が出てくるはずがないわけで。
この瞬間、高宮のケータイに勝沢からのメールが届いていないことを、睦美はより確信づけた。

「どしたの? 帰ろうよ」
「う、うん……その、ね」
「ん?」
「実は私、ちょっと用事があって」

結局、睦美は高宮に嘘を吐くことにした。
勝沢の意図はわからないが、自分だけを誘っているということは、やはり高宮を連れていくべきではないという思いを強くしたからだ。

「用事って、何さ」
「ちょ、ちょっとね」

あぁ、何でこう咄嗟に上手く言えないんだろう。
睦美は胸中で歯噛みした。
こんな態度では、何か隠しているのがバレバレだ。
高宮のことだ、つけ入る隙を見つけたと言わんばかりにとことん追求してくるだろう。

「ふーん……わかったわ」
「えっ?」

しかし、そんな睦美の予想を覆し、高宮は素直に引き下がった。
驚いた様な声を上げた睦美に、

「言いたくないんでしょ? 急いでいるみたいだし。後で教えてくれればいいわ。反応次第では吐かせるし」

高宮がにししと笑いながら、そう言った。
そして、手をひらひらと振って、踵を返す。

「あ、高宮さんっ」
「というわけで、あたしゃ帰るよ。報告は後ほどということで」

「んじゃ」と挨拶して、教室を去っていった。
追求されなくてよかったと思いつつも、妙に物分りがいいな、と睦美は感じずにはいられなかった。
が、そこでふと、自分の今日の、特に三時限終了以降の様子を思い返し、納得した。
多分、相当そわそわしていたに違いないな、と。
そして、何か言いたそうにしながらも中々言えない自分の姿を眺めて、彼女は楽しんでいたに違いない。
そう思うと、高宮の意地悪ぶりに呆れつつも、苦笑を禁じえなかった。

「……よしっ」

高宮を見送った後、むんっと気合いを入れて。
睦美も教室を後にした。
高宮とは違い、上の階段を登って。






******






「来たわね」
「勝沢さん」

四階の階段前に、勝沢は立っていた。
制服を身に纏って。
まるで今日も学校に来ていたかの様に。

「高宮は?」
「勝沢さんからメール来てなかったみたいだから先に帰ってもらったけど……」
「それでいいわ、言ってなかったから、連れてくるんじゃないかと思って少し不安だったわ」

「まぁ、いても構わないのだけれどね」と付け加えた勝沢に、睦美は何だか冷酷な印象を受けた。
何だか、高宮を仲間はずれにしているみたいで。
もう小学生ではないのだから、いつまでも皆一緒で、などとは睦美は思ってはいなかったが、それでも何か、快く思わない気持ちになることは否めなかった。
もやもやとした気持ちを吐き出す様に、睦美は少し不機嫌な声色で口を開いた。

「そう……で、こんなところまで呼んで、どうしたの? というか、今日は何して――」
「まぁまぁ。とりあえずここで話すのもなんだし、場所変えましょう?」

睦美の心情をわかっているのか、はぐらかす様に、宥める様にくすりと笑って、勝沢はおもむろに歩き出した。
下ではなく、上へ。
躊躇せずバーを跨ぎ、上へ登っていこうとする勝沢に、睦美は困惑の色を強くして問うた。

「勝沢さんっ? い、一体どこへ?」
「この上って言ったら、一つしかないでしょう?」
「い、いや、そうだけど……」

勝沢は喋りながらもずんずん進んでいくので、睦美も仕方ないと言わんばかりに溜め息を一つ吐き、同じくバーを跨ぎ、階段を登る。
四階から上へと続く階段の先にあるものは、一つしかない。
屋上。
しかしそこは立ち入り禁止とされ、入り口となる鉄製の扉は固く閉ざされ、その前の踊り場も机や椅子が積み上げられ、半ば物置状態と化している。
どう考えても、人が出入りする場所としての用途は失われている。
だからこそ、睦美は疑問を呈せずにはいられないのだ。

「何で屋上なの?」
「私が入ってみたいから」
「えー……でも、屋上開いてないよね?」
「まぁ、そういうことになってはいるわね」

そうこうしている内に、屋上への入り口前に着いた。
当然、扉は鍵が開いている様子はない。
どうするのかと睦美が勝沢の方を見ると、彼女はどこから取り出したのか、ドライバーを手に取り、横についている窓をいじっていた。

「ちょっ、勝沢さん――」
「あら、意外に楽に開くものね」
「……え?」

睦美が驚いているのも束の間、固定していた木ネジは容易く外れ、窓が開け放たれる。
入ってきた風が睦美の顔を撫で、通り過ぎ、踊り場に溜まった埃を吹き飛ばしていく。

「よっ……と! あ、杉並はそこにある椅子使うといいわよ」

呆然とする睦美をよそに、勝沢は桟に手をかけ、ひょいと跳んで屋上へと侵入してしまう。
こんな事していいのだろうか、と一瞬引け腰になるが、しかしここまで来たらもう仕方ないだろうという、諦めの気持ちが睦美の胸に広がる。
それに、勝沢もいることだし何とかなるだろうという妙な信頼感もあって、睦美もいつになく不敵な心持になり、屋上へと入ることを決めた。

「うん、私は椅子を使うよ」

勝沢が跳んだ瞬間、舞い上がったスカートの中の黒い何かが見えていた睦美は、当然の如く足場を用意することにした。






******






「おぉ、思ってたよりも大分綺麗ね」

屋上へと出た二人を歓迎したのは、強い風と、眼前に広がる街並みだった。
徐々に秋づいてきているとはいえまだ日は長く、四時を回ってもなお西日は強く、地を照らしている。
野ざらしにされているかと思われた屋上はそれ程汚らしくはなく、コンクリートの地面も、緑色のフェンスも、汚れはあまり見当たらない。
立ち入り禁止の場所とはいえ、誰かしらが清掃に赴いているのかもしれない。

「うわぁ……一階、二階くらい高さが違うだけで大したことないんじゃないかって思ってたけど……うん、何か開放感がすごいっていうか」
「そうね」
「もったいないね、こんなにきれいな場所なのに。危ないから仕方がないんだろうけど」
「……さすがリトルバスターズの一員ってとこかしら」
「え? 何か言った?」
「いいえ、何も」

睦美の問いを否定し、勝沢はさらに先へと歩んでいく。
きょろきょろと四方八方眺め回していた睦美も、それに続く。
何故勝沢があの様な術を知っていたのかという謎は、睦美の中で既に消えていた。
屋上から見渡した景観に感嘆し、頭の隅に追いやられたというのもあるし、『勝沢さんだから』というこれまた不可思議な帰結を持って納得した、というのもある。
つまるところ、その辺りの話は、睦美にとってはさしたるものではなかったということだ。

「……少し、風が強いわね」
「うん」

最奥まで辿り着き、フェンスに手をかけた勝沢が呟き、睦美も風で乱れる髪を抑えながら答える。
横に吹く風は、遮蔽する物がないからか随分と勢いがあった。

「やっぱり、別に具合が悪いとかってわけじゃなかったんだね」
「え?」
「ほら、学校休んだから」
「あぁ、今日はただのサボリよ」
「えー」

何て事無しに言ってのける勝沢に睦美は呆れの声を漏らすも、それも彼女らしいと言わんばかりに、その顔に微笑を浮かべた。
対する勝沢も笑いながら、さらに口を開く。

「サボリもたまにはいいものね」
「それは……どうかな」
「いいものよ? だって、こんな素敵なことを思いついたりするんだから」
「う、うーん……」

おどける様に喋っていた勝沢はそこで一旦大きく息を吐き、顔を俯かせ、自嘲気味な声色に変えて言った。

「それにね、考える時間をもらえたから」
「え?」
「卑怯な手かもしれないけれど、でもやっぱり私にもそれをしなきゃいけない時があって、それをしたくて」
「勝沢、さん?」

困った様な笑いに変えた睦美を見やりながら、勝沢は腕を組み、フェンスに寄りかかる。

「そうして時間を勝手に作って、考えて、ようやく私は決心した。だから私はここにいるの」
「どういうこと?」
「杉並は、直枝のこと、好きよね?」
「……また、その話?」

笑みを消し、困った表情だけを残しながら睦美は言った。
一人、勝沢に呼び出されてから薄々はわかっていた。
高宮を外す理由はよくわからなかったけれど、自分と話すことと言ったら、それくらいしかもう心当たりはなかった。
自分の気持ちの変化。
そして、勝沢の様子。
近況を思い返せば、睦美に考えられるのはその話題しかなかった。

「……あなたが直枝の事を好きになったのは、いつのことだったかしら」
「……」
「去年の、今頃だったかしら」
「……そう、だったかな。うん、はっきりと気づいたのは、この頃だったかも」
「学校中を巻き込んで大騒ぎする、リトルバスターズ。その中の一人に惚れたっていうもんだから、あの時は驚いたわ。杉並がそんな賑やかな人間を好きになるとは思わなかったもの」
「そ、そうかな」
「でも、直枝なら何となくわかる気もしたわ。彼はあなたと同じ匂いがしてたもの」
「え?」

どういうことだろう、と睦美が思ったその刹那、勝沢はギシリとフェンスを鳴らし、立ち上がる。
そして、真っ直ぐに睦美を見据え、言った。

「どうして杉並は直枝のことを好きになったのかしら?」
「き、急にどうしたの?」
「知りたいのよ。今まで恋なんてまともにしてこなかったあなたが、直枝理樹という同級生のどこを好きになったのか」
「…………好きになるのに、理由なんているのかな?」

嘘だ、と睦美は自分の言葉を内心で否定した。
どこかで耳目したものを吐いただけに過ぎなかった。
何故か。
自分が理樹のどういった部分を好いているとか、嫌いとか、何一つ浮かんでこなかったからだ。
勝沢に対する問いに、彼女は答えるものがなかったのだ。

「……そうね。感情をロジカルに解明しようというのは、野暮かもしれないわね」

それを知ってか知らずか、でもあえて勝沢は睦美の意見に一応の賛同を見せ。

「でもあなたにそれは適用しない。だって、あなたは見ているだけだもの。遠くから、ただ見ているだけ。興味を惹かれるものがなければ、そんなことはありえない」

完膚なきまでに、打ち返した。
一寸もぶれぬ真一文字の瞳と唸る矢の如き鋭い言葉が、睦美の心を容赦なく穿ち、彼女は返そうとした言葉にもならない言葉を詰まらせた。
目は絶えず、睦美を捉えている。
ずっと、ずっと見つめている。
彼女が解放される暇などありはせず、動悸が激しく襲い掛かってくる。

「で、でもっ」
「話して何となく好きになったとか、一緒にいて楽しいとかなら納得してあげる。でもあなたは違う」
「う、あ……」
「さぁ、教えてちょうだい。あなたは直枝のどこを見ていたの? 顔? 性格? それとも身体?」

答えられない、答えられるわけがない。
睦美には返すものがないのだから。
全ては出まかせで、本当は何一つわかっていないのだから。
自分のことも、理樹のことも。
睦美は、恋に恋していただけだったのだから。

「用件、言ってなかったわね……あなたへの、忠告よ」
「ちゅ、うこく……?」
「適当な気持ちなら、もう諦めなさい」
「そ、そんなっ!」
「彼の周りには、確固たる気持ちを持って接している女の子がたくさんいるわ。あなたの柔な意志じゃ――」

勝沢はそこで言葉を切り、前に歩み入る。
睦美に、ゆっくりと近づいてくる。
何も言わない。
けれど目はずっと睦美を向いたままで。
やめて、来ないで。
何か喋って。
いつもみたいに、だるそうにしながら「冗談よ」って言って。
お願いだから、勝沢さん。
そんな、辛くなる様なこと――

「一生かかっても、あなたは直枝に近づくことは出来ないわ」

擦れ違いざまに、吐き捨てた。
そのまま振り返らず、勝沢は去っていく。
そして睦美も微動だにせず、遠くの方をただ見つめるだけ。
その瞳には何の感情も見えない。
親友からの痛烈な言葉。
それは今までありえなかったことで、睦美の心をどうしようもない程に苦しめた。
いつだって、揺り篭の様に優しくて。
引っ込み思案な自分を陰になり日向になり助けてくれて、『杉並は仕方ないわね』って笑ってくれた。
甘えていたのだ。
勝沢が、高宮がいれば何とかしてくれると、心のどこかで思っていたのだ。
自分を理解しようともせず、彼女らが教えてくれるのを待っていたのだ。

ガタ、と後ろで物音がする。
勝沢が屋上を去っていった音だ。
睦美は、依然として振り返らない。

睦美の目には、ようやく暮れ始めた日の光が、ただただ映されていた。





web拍手を送る
面白かったら、押してもらえると嬉しいです。 
後書きみたいなもの

杉並かわいいよ杉並。



inserted by FC2 system inserted by FC2 system