「そのイケイケフェイスと素敵ヴォイスでもってほぼ確実に誰かしら持ち帰りするのだろうと思うと果てしなく気に入らないから一度足りとも声をかけないでいたんだが、急きょ人が足りなくなった。棗、物凄く嫌だが、仕方ないからお前来い」
 何だか随分な言い草だと兎にも角にも思ったが、「金は俺が持つから」という先輩の一言でほいほいと合コン会場の居酒屋に着いてきてしまったことを、恭介は先に来ていた女性陣の顔ぶれ――具体的に言うと、その中の一人――を見て後悔した。
 テーブルを挟んで、男三人、女三人が座る。週末ということで人がだいぶ入っているらしく、通路を店員やら客やらがひっきりなしに通っていく。
「三枝葉留佳、二十歳です。よろしくお願いしまーす」
 やかましい中にもよく通る声で、対面に座る女性は自己紹介した。ちゃっかり二歳鯖読んでいた。
「若い!」
「そんなことないですよ」
 わけのわからない先輩の合いの手を受け、葉留佳がはにかむ。容姿はもちろんだが、呼吸をするようにウソを吐くこの女は、どうやら自分の知っている三枝葉留佳で間違いないようだ。まだ始まったばかりにも関わらず青天井で高まり続ける周りのテンションについていけず、ひっそりとビールを飲みながら恭介は思った。それと同時、理樹と付き合っていたはずの葉留佳が何故ここにいるのかという疑問が生じたが、それに対する答えはすぐに浮かんだ。
 ――別れたのか。
 高校二年の時に付き合い始めてから、約二年。若いカップルとしてはそれなりに続いた方か。よもやこんな風にして知らされるとは露にも思わなかったが、と少しばかりの哀愁を感じながらビールを飲み干そうとジョッキを傾けた時、葉留佳が話しかけてきた。
「こういう飲みに参加するの初めてって聞きましたけど、もしかして緊張してるんですか? 棗さん」
 棗さん!
 ありえない呼称を耳にし、思いっきりむせる。三枝テメーどういうつもりだコラァと息絶え絶えになったまま睨みつけてやると、葉留佳は眉根を寄せておしぼりを渡してきた。
「だ、大丈夫ですか!? ごめんなさい、話しかけるタイミングが悪かったですね」
 お前誰だ!
 出かけた言葉を無理やり抑えこむ。よくよくじっくり見てみると、葉留佳の目は笑っている。ひぃこりゃいいもん見させてもらいましたわぁ、と笑い転げている。余程慌てふためく恭介の様がツボに入ったのか、ぴくぴくと頬がひくついている。しかし、それでも心配そうな表情は崩さない。あくまでシラを切れ、という意思表示か。恭介は葉留佳の意図を掴めきれなかったが、恭介としてもここで葉留佳と知り合いだとバレて何かと面倒事が増えるのは避けたい。掌で踊らされているようで癪だったが、乗ることにした。
「いや、こっちこそ悪い。もう大丈夫だ」
「そうですか?」
「それより、俺が合コン初めてだって、誰から聞いた?」
「隣の方から」
 指された会社の先輩はというと、向かいに座る化粧の濃い女性と大声で笑い合っている。余程馬が合ったのか、女性の目尻には涙が浮かんでいる。その奥の席でも、残った二人が楽しげに話している。先輩の友人ということで人となりは知らないが、喋りはいけるようだった。
「いつの間に自己紹介終わった?」
「棗さんがぐびぐびビール飲んでる頃にはもう」
「そうか」
 妄想に入り浸っている間に、先輩達はうまく事を運んだらしい。これで自分が存在をスルーされて端っこに追いやられれば、そこに閉じこもったままひたすらタダ飯にありつけたはずだった。目の前の女が自分に着いてしまったせいで、少なくとも自分の計画はおじゃんとなってしまったが。
 そういえば、葉留佳は高校時代から何かと自分の邪魔をしてくる奴だった。多分悪気はなかったのだろうが、とりあえず事あるごとに被害を被った。当時の流行語で言えば、KYだった。
 だが、話せばわかってくれる奴でもあった。しっかりと言い含めれば、素直に従ってくれる奴だった。気がしなくもない。
 今ならまだ間に合うかもしれない。ふっと湧いた考えに縋り、恭介は悪あがきを始めた。
「実は俺、急きょ呼ばれたんだ」
「そうなんですか?」
「しかも合コン初体験と来てる。もう何が何だかわからん」
「それは大変ですね」
「なもんで、非常に申し訳ないのだが、まともに話せる自信がない」
「そうですよね」
「そんな奴と話したってつまんないだろ?」
「まぁ確かに、会話はなかなかスムーズにいかないかもしれませんね」
「だろ? だから、俺のことは気にしないであっちに混ざるのがいいと思う」
「でも、つまんないなんてことはないですよ。むしろ、仲良くなれたらどんな話してくれるのかって思うと、とても楽しみです」
 駄目だった。ついでに寒気がした。効き過ぎた冷房のせいではなく、葉留佳の優しすぎるほどの声色に。コミュニケーション不足感満載の最低な言葉をわざと紡いでやったというのに、目の前の破天荒――だったはずの――少女は、それをあからさますぎる優しさに包んで返してきた。久しぶりに会ったお前キモすぎるだろ、と心の中で毒づきつつひくついた笑いを返すと、葉留佳がふっと目を伏せて呟いた。
「それに私、本当は静かな雰囲気の方が好きなんです」
 言外に「あっちの人たちとは気が合いません」宣言。裏を返せば、「今日はあなたととことん話すことに決めました」宣言。
 オー、ジーザス。恭介は心の中で天を仰いだ。何だかわからないが、葉留佳はいつの間にか大人しめなキャラに変わっていたらしい。
「次、何飲みますか?」
 そんな恭介の心を知っているのかいないのか、笑顔でメニューを渡してくる。面影は高校時代のまま。今となれば少し子供っぽい気もする髪飾りだって、相変わらずあの頃と同じ位置に着いている。だのに、恭介にはあの頃の葉留佳と今の葉留佳が似ても似つかない。とりあえず口調をどうにかしろ。姉にでも矯正されたか。
 言いたいことはたくさんあるが、それを今言うわけにもいかず、渡されたメニューを突き返す。
「俺はもう決まってる。三枝さんは?」
「私も決まってます」
「そっか」
 呼び出しボタンを押す。迅速に駆けつけた店員に、生中とシーザーサラダを頼み、目線で葉留佳を促す。
「あ、あと、カシスオレンジお願いします」
 無難すぎるチョイスだった。自分のことを棚に上げて、お前が三枝葉留佳なら少しは冒険してみろよと思う恭介は、やっぱりまだ少し混乱しているらしかった。



***



「普段休みの日とか、なにしてるんですか?」
「バンドの練習かなー。ギター担当なんだ、俺」
「すごーい! ライブとかやったりするんですか?」
「おう、来月やるぜ。よかったら見に来てよ」
「絶対行きます!」
 静かな雰囲気が好きとか、ウソじゃねーか。
 上目遣いで先輩に喋りかける葉留佳に、恭介は心の中で何度目かのツッコミを入れつつ、チヂミを頬張った。
 独占欲の強い先輩が恭介と葉留佳を放っておくわけがなく、十分と経たずに先輩は葉留佳を自分の会話に引き込み、恭介は隅に追いやられた。一時はどうなることかと思ったが、結局予定通りの配置になったことに安堵し、暫く飯を食うことに専念していた恭介であったが、ある程度腹が膨れ周りを観察する余裕ができると、葉留佳を目で追うようになっていた。取られたことを羨んでいるわけではない。葉留佳の男への擦り寄りぶりが、気になったのである。
 三枝葉留佳は、鉄壁の女だった。誰にもおちゃらけた態度で話しかけ、仲良くしているようでいてその実、自分を見せることは決してしなかった。ふざけることで、彼女は彼女自身を煙に巻いていた。パーソナルスペースは、誰よりも広かった。
 それが今はどうだ、と恭介は再び葉留佳を見る。かつての彼女ではありえない程、人との距離が近い。肩を組まれても嫌な顔一つせず、むしろ自分から科を作ることすらしてみる。
「はるちゃん、大丈夫? ちょっとペース早くない?」
「余裕余裕! ていうか、ゆきちゃんこそ顔真っ赤だよ? あんま強くないんだから無理しなさんな!」
「ふふ、わかってるよ」
 まぁ、一概にそうは言えないか。
 人間、嫌な部分ばかりが見えてしまうものだからなと、恭介は葉留佳とその友達の会話を耳にして、少し考えを改めた。単純に、人と仲良くする方法を彼女なりに見つけたということなのだろう。三枝は三枝なりに頑張っているということか。それに比べて今の俺はなんてみじめなポジションなんだろう。どう考えてもハブでぼっちな引きこもりじゃないか。
 今さらになって己の状況を恭介が悲観し始めた時、先輩の友人が「ちょっとトイレ行ってくる」と立ちあがった。そして、恭介の背後を通り過ぎる瞬間、背中を軽く突いてきた。何だと思って彼を見ると、ちらとこちらを一瞥し、歩いていく。着いてこいという意思表示だと判断した恭介は、続いてトイレに行く。
 トイレに入ると、彼は鏡を見ながら髪をセットし直していた。突っ立っているのも何だか気まずいので、恭介は用を足すことにした。酒を飲んでいるからだろう、意識すれば、尿意はなかなかのものだった。
「お前、葉留佳ちゃん狙ってんの?」
 ぶしつけに彼は聞いてきた。あまりに唐突すぎてひっかけるところだった。いかん、危ない危ない。
「いや、その。何で、そんなことを?」
「別に。お前が狙ってるんなら、アシストしてやろうかと思って」
 蛇口から水を出し、手を洗いつつ彼は言う。
「あいつはゆきちゃん一択だろうし、俺と未緒は幹事同士、このままだべってりゃいいし。ってことでまぁ、余りモンっつったらあれだけど、お前と葉留佳ちゃんがよろしくやるならそれでもいいかな、と」
 てっきり先輩が幹事かと思ったが違ったのか。場違いな思考を恭介が抱いた時、彼は蛇口を閉めてから言った。
「葉留佳ちゃんは合コン女王らしいから、まぁ、一発イケるんじゃね?」
「マジで!?」
 さらりと提供された情報に対し驚きの声を露わにする恭介に、彼は軽く声を上げて笑う。
「次、一応皆でカラオケ行くってことにしてるから、そっからまぁ抜けるなりなんなり、ご自由に」
んじゃ、と手を上げ、そそくさと出て行った。制止の声を掛ける余裕もなかった。今から追いかけて詳しく聞くか。でも尿がまだ出る。くそぅ。
「静かな雰囲気が好きとか、ウソじゃーん」
 変わったようで変わってねぇ、あいつはやっぱり三枝葉留佳だ。
 色々言いたいことを全部ひっくるめて、恭介は今日何度目かのツッコミを初めて口にしつつ、そんな思いを、恭介は胸に刻み込んだ。



***



 会計を済ませて店を出ると、先輩がぐるりと見まわして言った。
「よーし、次カラオケ行くぞー」
 ゆきに肩を回し、ずかずかと歩いていく。それを先輩の友人と未緒が苦笑し、ついていく。
「あー、すみません。私帰ります」
 そんな彼らの背中に、申し訳なさそうに葉留佳が告げた。先輩が驚いた表情で振り返る。
「マジで? 葉留佳ちゃん帰っちゃうの?」
「本当にすいません。明日用事があって朝早いんです」
「そっかー、それならしょうがないなー」
 先輩が肩を落としたその瞬間、彼が恭介に目配せをした。恭介が目を見開かせると、顎をしゃくってみせる。
 これがアシストってやつか。
 彼が薄らと下劣な笑みを見せていたのは気に食わなかったが、カラオケに行く気もさらさらなかった。ここは葉留佳をだしに使わせてもらおう。恭介は苦笑を貼り付け、手を挙げた。
「じゃ、俺が送っていきますんで」
「いいんですか?」
「あぁ、途中まででよければ」
「ありがとうございます」
 葉留佳が笑顔で礼をする。頬が少し赤く、色っぽい。ふと浮かんだ感情を、恭介は首を縦に振ってかき消した。
「棗、テメーホテルに連れ込むんじゃねーぞ」
「わかってますって」
「大丈夫です、私、身持ちは固い方ですから」
「そっか? こいつはケダモノの権化だからな、気をつけなよ?」
「はい」
 その後、散々恭介をボロクソにこきおろして、先輩達は夜の街へと消えて行った。手を振って見送りをしていた葉留佳は、彼らの姿が見えなくなると、ふぃーと息を吐いて言った。
「いやー、猫被るのも疲れるもんですネ」
「いきなり本音を出すな」
「えー、だって恭介さんの前でぶりっ子したってしょうがないしー」
 やははー、と笑ってみせる葉留佳に、恭介は呆れた溜息を吐いた。本来の葉留佳がどんな人間なのか。それは本人以外、誰にもわからないのだろうと思うと、今まで振り回されていた自分が馬鹿らしくなったのである。何だかどっと疲れていた。
 もう家に帰ろう。そして寝よう。
 恭介は踵を返し、手を挙げる。
「んじゃ、俺帰るわ」
「えー、恭介さんもう一軒回りましょうよー」
「お前、明日早いんじゃなかったのか?」
「はて、私そんなこと言いましたっけ?」
「……理樹と別れてから、大分遊んでいるみたいだな」
 恭介が真面目な顔で問うたが、葉留佳は何も言わず、ただ笑うだけだった。酔っているのだろう、締りのない、蕩けた笑顔だ。しかし、潤んだ瞳は真っ直ぐ恭介の目を見据えている。それが女の誘惑のように粘っこく絡みついてくるような気がして、恭介は俯いた。
「ねぇ、恭介さん。飲み直しましょうよ。二人で」
 そう言って、葉留佳は恭介の手を掴み、歩き出す。自然に指を絡めてきたことに顔を顰めつつ、しかし振りほどくこともできず、恭介は誘われるがままに足を動かす。
 恭介には葉留佳が見えない。昔馴染みとして気安く接すればいいのか、全く別の女として構えればいいのか、決めかねている。連れていかれる店はどんな所なのだろう。そこはただ酒を飲む場所なのか。もしかしてもっと違う用途の店なのではないか。恭介の頭に、彼の情報が過る。
 ――まぁ、行ってから決めればいいか。
「おい、手離せ」
「えー、いいじゃないですかー。せっかく二人きりなんですし、恋人チックにいきましょうよー」
「お前と恋人なんて絶対いやだ」
「ひどっ」
 本気で吐かれた言葉も気にせずはしゃぐ葉留佳に連れられ、恭介は煌びやかな飲み屋街を歩いていく。夜の街は、まだ終わりを告げない。






 




    
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