ひっそりとした往来を佳奈多さんと共に歩く。
彼女は委員会活動、そして僕は野球とお互い放課後の用事を済ませて落ち合った時には、暮天が僕らを覆っていた。
今日の彼女は三枝家に帰ると聞いていたので、「送っていくよ」と言った僕に、「一人で大丈夫よ」と淡々とした調子でにべも無く言ってのける彼女。
しかしそこを、「帰ってる途中で暗くなるだろうし、心配なんだ」という言葉でもって何とか説き伏せ、僕は帰路に同道している。
彼女を夜道一人で歩かせるわけにはいかない。
僕は、佳奈多さんの彼氏なのだから。

「……」
「……」

佳奈多さんは何も言わず、ただ黙々と足を動かしている。
前を見据え、その唇はぴっちりと閉じられている。
薄い桃色のくちびるは、街灯によりきらりと照り、潤んでいるのがわかる。
瑞々しい彼女の口元を横目で捉えながら、僕は、ごくりと固唾を飲んだ。

『別れる瞬間にそっとキスをして、じゃあねと笑って立ち去る……どうだお前ら、これは?』
『中々に悪くないな』
『いいじゃねえか……いや、微妙にむずいな。いきなり顔近づけることになるんだろ?』
『まぁそうなんだが……そこは理樹の腕の見せ所さ。恐らく別れる場所は二木の家の前になるかと思うが、そこでどうやって彼女に上手く接近できるか……そういうことだな』

『去り際がチャンスだぞ』と最後に強調した、恭介の言葉が思い起こされる。
佳奈多さんとの仲が一向に進展しない事を嘆いた僕に手を貸してくれた、恭介、真人、謙吾。
これまで彼らと協力して、幾日も試行錯誤してきた。
具体的には三日だけど。
濃密な三日間により練り出された数々の案はしかし、どれも実行段階に移せるものではなく、全てが水泡と化していった。
いや、どう見てもふざけてたけど。
でも僕が彼女と仲を深めたい、『キスがしたい』という現実的進展を望んでいる事はやっぱり事実なわけで。
それを素直に喋ったら、『じゃぁこんなのはどうだ?』と普通なアドバイスをくれた。
今までの三日間は何だったんだろうと考えもしたが、僕の言い方が悪くなったのだろうという事で納得しておいた。
確かにこれはいい作戦じゃないかと、僕も思っている。
僕の少ない恋愛経験ではムード作りなんて上手く出来ないけれど、このやり方なら何かロマンチックっぽくて良い気がする。
キスした後、そのまま帰るというのが何だか無理矢理感が漂っていて、そこだけは懸念しているのだが。
しかしあれこれ言って行動に移さないでおくと、何だか一生佳奈多さんとは大人の階段を登るどころかキスすら出来ない様な気もしてくるのだ。
佳奈多さんの過去を思えば、なおさら。
別に駆け足で登る気はないけれど。
それでも、ゆっくりでもいいから、僕は佳奈多さんと近づきたいのだ。
恋人として、彼女と近しくなりたいのだ。

そんな意思確認をしながら、自然と前を見ていた顔を彼女の方を向ける。
すると偶然にも彼女もそうしようとしていて、二人同時に顔を見合わせた形になった。
お互い驚いた様に目を見開き、彼女が口を開く。

「何?」
「い、いや、キスしたいなって……あ」

あ。

「キス?」
「あ、いやっ、うんっ、ちがくて、そのっ!」

やっちゃった。
やっちまった。
ついつい考えていた事を口に出してしまった!
何やってんだよ僕!
これじゃムードもへったくれもない、というかもう去り際にふいなチューとか無理じゃないか……!
とか思ってると、佳奈多さんがきょとんと小首を傾げながら、僕に言った。

「……別に、すればいいじゃない」
「へっ?」

何ですと?

「キス、したいんでしょう? すればいいじゃない。私は構わないけど?」
「え、いや、そのー……とりあえず、なんでそんなあっさり風味?」
「付き合い始めた時から覚悟してるわよそんなもの。恋人で在り続けるなら遅かれ早かれするいつかはするものでしょうに」
「い、いやまぁ、そうなんだけど……そこまで豪快にされると引け腰になるというか、ムードに欠けるというか」
「あぁ、それもそうね……というか、それ以前に『キスしたい』とか突然言ってる時点で、ムードとかの話じゃないと思うんだけど?」
「いや、今の今まで気を配ってたんですが、ついうっかりぽっくり口から零れちゃいまして……」
「何よそれ」

「馬鹿ね」と続けながら、彼女は可笑しそうに、くくっと声を殺しながら笑った。
なんだか馬鹿にされた上に、うやむやにされた気がしないでもない。
くそぅ、今日も無理か……。
恭介案は既に瓦解したも同然、というか今の会話をしておきながら、帰る瞬間にクールに唇を奪えるわけがない。
むしろ『やっぱり我慢できなかった、ごめん』という、早漏的展開しか見出せない。
しかしながら、佳奈多さんがそういったものに抵抗感がない事を知れたのは収穫だろうか。
……まぁ、なさ過ぎる様な気もするが、それはそれで僕を信用してくれている証拠に違いないと楽観しておくことにする。

「そういえば、葉留佳さんは帰ってこないの?」
「今日は帰らない、と言ってたわ」
「ふーん」

もう今日は無理だなと悟った僕は、普通の話題を振りまくことにした。
がっつくのも何だかみっともないし、佳奈多さんの気持ちを知ることができたのだから、それが現実となる日はそう遠くないだろう。
何かと忙しい身――僕は遊びで、だが――で二人だけの時間は中々取れないが、週末に遊びに出かけることも幾度かあったし、そういう機会を狙っていけば、その内出来るだろう。
何だかさっきから楽観視ばかりしているが、まぁそこまで気を張り詰めるものでもなし、のんびりいこうと思う。
今しがたまでは、『恋人らしいことしなきゃ』という気持ちに苛まれてたけど、佳奈多さんの話を聞いたら、何だかどうでもよくなっていた。

そうして極々何気ない会話を道中でしていけば、あっという間に三枝家へと着く。
楽しい時間はすぐ過ぎるというもので、名残惜しい気持ちを一歩一歩踏みしめる様に、家へと近づいていく。

「ここでいいわよ」

三枝邸の門の手前で彼女は立ち止まり、僕の方を向いて言った。
そして、腕時計にちらと視線を落とし、「時間、少し危ないから早めに寮に帰りなさい」と風紀委員長らしい小言を口にする。
僕らリトルバスターズにはそんな規則あるようでないものなのだが、ここでそれを言うと小言がお叱りに変わるので、言わないでおく。
ふと空を見上げると、学校を出る時には夕焼けだった空が、すっかり宵の口となっていた。
吹いている風はやや冷たく、秋らしい涼夜がやってきていた。

「それじゃ、また明日」

僕はそう言って手を振り、彼女も「えぇ、また明日」と言い、同じく肩の所で手を振り返す。
それを見届けてから、僕は踵を返した。
恭介の言葉が脳裡を掠めたが、もう今日キスをすることは諦めていたので、そのまま背を向け、三枝邸を去ろうとした。

「あ、理樹」

だが、一歩踏み出そうとした僕の背中に佳奈多さんが声をかけてきたので、足を止め、振り返る。

「どうし――」

一瞬だった。
佳奈多さんの顔が近づいてきて、彼女の睫毛が目に入って、「長いな」と思っていたら、彼女はもう離れていた。
清かなミントの香りが僕の鼻腔をくすぐった。
じんわりと、唇に温かく柔らかい感触が残っていた。

「キス、したかったんでしょ?」

そっと唇に手を添える僕に目を細めながら笑った彼女は、「それじゃぁね」と言って、今度こそ玄関の中へと消えていった。
くちびるの温もりが、風によって冷えていく様な気がした。
しかし、胸のドキドキは止まらなかった。
キスをした。
キスをされた。
彼女のくちびるを味わった。
気持ちよかった。
ぐるぐるとなんだか色々な感情が回っていって、そのまま空へ飛んでいく様な感覚だった。
キスをした後の微笑んだ彼女の顔を思い出すと、きゅぅと胸が締め付けられた。
やばい、僕、佳奈多さんの事。

「好きだ……」

何をいまさら。
自分で言っておきながら、そう思った。

「キス……」

しちゃった、と女々しく何度も頭の中で繰り返した。
嬉しくてたまらなかった。
キスをしたことが何故これ程までに嬉しいのかよくわからなかったけれど、心が躍り上がっているのが自分でもよくわかった。
しかしいつまでも三枝邸の前でニヘラニヘラしているのも気まずいので、余韻を噛み締める様に、一度玄関に目を向けた後、先程の道のりを戻る。

夜が深まってきたからか、住宅街の人通りは行きの時よりも随分少なかった。
たまに通り過ぎていく車のライトが闇路を照らすが、そこに人の影が見えることはほとんどなかった。
いつもの僕であれば、その状況に少し怯えたかもしれないけど、今日はむしろ幸運だと思った。
正直、口のニヤケを止められそうにない。

「とりあえず……」

恭介達に、報告しよう。
出来なかったけれど、出来たんだって。

幾度目かの佳奈多さんの微笑を思い出しながら、寮へ帰っていくのだった――。








勃発! 第二回一言掲示板TOPミニSSリクエスト第一弾!
リクエスト内容は『理樹と佳奈多が恋人という設定で、キスができないと恭介達に相談してそれを聞いた野郎共がキスにもっていく雰囲気をどうつくるか、理樹と恭介たちが奮闘するラブコメ…いわばリトルラブラブハンターズのノリ』
仮タイトル『お別れは突然に』

全然違うものになってるのは仕様です(ぇ

というのは冗談で、まぁ色々と事情がありまして、こういった形になりました。
詳しくは『駄文』の5月20日を見て欲しいのですが、要は『リク内容が膨大すぎて、TOPSSじゃとてもではないが書ききれなかった』ということです。
これは俺の見通しが甘かったのが全ての原因なのですが、リクエスト者のクロノ様からお許しが出まして、こういう風なお話へとなりました。
まぁこんな苦しむ姿を、『marlholloの奴、困っておるわ、フヮハハ!!』といった感じで見ていただけたら幸いかと。
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