「居眠りしてる鈴に悪戯する理樹」

掃除当番のゴミ出しを終えたころにはもう陽が沈みはじめていた。
もう教室には誰も残っていないだろうな、などと考えながら戻ると、案の定閑散としている。遠くから微かに聞こえてくるグラウンドからの喧騒とは対象に、物静かな教室には誰も――起きている人はという意味だけど――残っていなかった。
窓際の席で腕を枕にうつ伏せになっている鈴の元へと、足音を立てずに近づく。
鈴の髪が夕陽に染まって黄金色に輝き、一陣の吹き抜ける風に靡いて机の表面をなでるさらさらとした音が、まるで僕の心を撫でられているようで妙にくすぐったい。
なんだかおかしい。胸がドキドキする。辺りが静かなせいで、自分の心臓の音さえ聞こえてきそうだ。
窓ガラスに映る自分の顔が赤く見えるのは、気のせいだろうか。
こんな感情を鈴に覚えた試しは、記憶の限りではなかった。端整な顔立ちだなとふと思ったことはあっても、寝顔をじっくりと見て、もっと見ていたいなんて、そんな気持ちを抱いたことは――

「んー」
「わっ!?」

ふいに鈴が起き上がりそうな気配がして、驚いてしまった。
すぐにただの身じろぎだと気つき、みっともなく大声を上げてしまったことが妙に気恥ずかしくなった。
別に誰が見ているわけでも、聞いているわけでもないのに。

ふと気づけば、先ほど抱いていたような感情が砂上の楼閣のようにサラサラと消えていくところだった。
顔を寄せて間近に鈴の顔をうかがっても、あの胸のドキドキは湧き上がってこない。
それが気の迷いだったのか、それとも何か――あるいはそれは恋と呼ばれている類のものかもしれない――の兆候だったのか、消えてしまった今となってはもう、判別もつかない。
僕はそっと鈴の髪を撫で、それから彼女の長く艶やかな髪の房を入念に椅子に背に縛り付けると、

「火事だあああああああああああああああああああああああああ!!!!」

と力の限りに叫び散らした。
びくん!と跳ね上がるように起き上がる鈴。
そして反射的に、勢い良く立ち上がろうとしたところで、椅子の背につながった髪の束がビィィィン!と強くしなり、激しい音を立てて彼女の体が引力に引き戻されるように椅子に吸い付く。が、勢いを殺しきれず、そのまま後転して倒れていった。
周囲の机や椅子を派手に巻き込みながら二転ほどした後、がっくりと倒れ伏した鈴に、僕は静かに、かつ優雅に頭を垂れた。

「ごめん、やりすぎた」
「理樹……後で殺す……」

この後一時間ほど、椅子を地面に引きずりながら般若の面相で追いかけてくる鈴に、再びあの胸のドキドキを感じたことは、生涯忘れることもないだろう。




    
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