一日の勤めを果たし、疲れた体を引きずるようにして自宅へと戻った棗鈴がまず始めにしたことは、服を脱ぎ散らかして下着姿になることと、グラスに氷を放り込むことだった。 「あのばか上司め……なんであたしが怒られなきゃならんのだ……まったく……」 近所のスーパーで購入した安物のブランデーが、鈴の手によってグラスにトクトクと音を立てて注がれていく。夏の暑さに温くなった琥珀色の液体が氷を溶かし、からんころんと音を立ててグラスの中を踊った。 「あ、レモン忘れてた」 独り言をつぶやき、再び冷蔵庫のドアを開けてレモンを取り出すと、まな板を出そうとして――めんどくさそうに一瞥しただけで手に取ることはなかった――そのまま手の中でスライスする。手を切らないようにゆっくりと果物ナイフの刃を入れて薄切りにすると、グラスのふちにかけ、満足そうに鼻を鳴らす。 「うむ、完璧だ」 いつの間にか足元に群がっていた猫に餌を与え、グラスを持ってリビングへと移動する。テレビをつけ、チャンネルを適当に回す。取り立ててみるべきものもなかったようで、やおら電源を落とすとソファーにぽんと身を投げた。ほぼ素っ裸であることを特に気にした様子もなく、カクテルを飲みながらノートパソコンのスイッチをいれ、日課のサイト巡りを始める。胡乱な目でディスプレイを眺め、一人仮想世界に耽るのだ。 「あー、つまらん」 お気に入りのサイトの更新が一ヶ月も滞っていることに愚痴をこぼし、酒をぐいっと呷る。その姿に10代のころの面影を見ることは、とてもではないができない。よくよく見ればたしかにその容姿や口調などに朧ながらも面影が残されてはいるのだが、おそらくかつての級友たちが彼女に会っても、目の前にいる人物を棗鈴だと認識することには非常な困難が伴うことだろう。 「この勝ち組どもが」 とだけつぶやき、また視線を天井へと戻した。 できる、と思っていた。 一人社会に飛び出していったって、なんだかんだで上手くやっていける――そう信じていたかったのだ。 時々思い出したようにグラスを呷り、つぶやく。 「うまいな……酒」 まるで自分に言い聞かせるように。 「このためだけに、生きてみてもいいな」 そうでなければならないかのように。 「このためだけに、生きるのか?」 しかし迷いは生じてしまう。鈴はまだ20代の前半、すべてを投げ打つには躊躇いが多すぎた。欲もあったし、半ば捨てかけてはいるにせよ希望もあった。 「どうしてあたしは、生きるんだ? あたしの望みはなんだ? あれ……なんだったっけ……」 けれど、希望だけを糧に生きるには、少し年を重ねすぎてもいる。 「なんか釈然としないな。こんなときはネットでばかどもを釣るに限る」 カタカタとキーボードをたたくと、ネット上の掲示板へと移動する。そこでは日夜様々な人がやってきては何かを語り、あるいは騙り、伝え、有意義に、あるいは無意味に時を過ごしている。いつのころからか鈴も住人の一人となって、時々顔を出していた。もちろん、匿名で。 「『30分で500まで行ったらおっぱいうpする』っと。これでよし」 スレッドを立てて5秒もしないうちにレスがついたが、特に気にも留めず、愛用の睡眠薬を酒で流し込むと、鈴はしばし安息の眠りにつく。 「誰か、教えてくれないか?」
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