「僕、杏に告白しようと思うんだ」

 居酒屋に来て一時間程が経ち、ふと話が途切れた時に放たれた陽平の一言に、朋也はジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に煽ると、深々と息を吐いて言った。

「春原」
「ん?」
「別にお前が死にたいと言うなら俺は止めないし、止める権利もないだろう」
「……えーっと、何の話?」
「むしろ死んだ方がいいかもと思わないでもない。いや、確実に思う。そうだ、やっぱり死ね」
「いきなりひどっ! つーかあんた今権利ないとか言ってましたよねぇ!?」
「だが死ぬにしても、人の力を借りるのはどうかと俺は思うんだ。杏だって、いくら死んでほしくて仕方がないであろうお前を、自らの手で殺したいとは思ってないだろう」
「あの、そんなに二人は僕に死んでほしいんすかね?」
「それに、わざわざお前みたいなの殺して経歴に傷付くの嫌だろうしな」
「ってそっちが本音かよ!? つーか別に僕は杏に殺してほしくて告白するわけじゃねぇよ!」

 陽平の叫びを無視して、朋也は通りがかった女性店員にビールと摘みを適当に注文する。恐らく少し耳に入っていたのだろう、何やら物騒な話題を大っぴらに口走る二人に、同じくらいの齢であろう女性店員は顔をひきつらせながらも何とか笑顔を作って注文を取り、厨房へと戻っていった。そんな店員の態度に、朋也は何か妙な噂でも流れなければいいのだがと、田舎特有の情報伝達速度に懸念を抱きつつ、憮然としている陽平の方へと振り返った。

「で?」
「何だよ」
「何で杏に告白するんだ? 自殺願望以外に、俺には理由が思いつかん。教えてくれ」
「……もう少し物事を普通に考えられないか、岡崎?」
「すまん、お前の口から普通なんて言葉が出てくると寒気がするんだ。言いなおせ」
「まるで僕が普通じゃないみたいな言い方っすね!」
「……」
「否定してくれよ!」
「あー、わかったわかった。で、急にどうしたんだよ?」
「最初からそう言えよ……」

 げんなりした様子で陽平は言ったが、すぐに気持ちを切り替えるようにビールを飲むと、「僕らってさぁ」と口を開いた。物憂げに目を伏せたのが朋也の鼻についたが、これ以上無駄な時間を取るのも面倒だったので何も言わないでおいた。

「高校時代から、けっこう一緒にいるじゃん?」
「まぁ、杏と同じクラスになった二年の時からだから、ざっと四年は経ってるな」
「あの頃は、正直杏が絡んでくるの、嫌だったんだよね。僕らみたいな不良に、いいこちゃんがつっかかってくるなよってずっと思ってたんだ」
「いいこちゃんってタマじゃねぇだろ、あいつ」
「そうなんだけどね。でも、ずっと僕は思ってたんだ。『どうせお前も他のヤツみたいに僕らを馬鹿にしてるだけなんだろ』ってね」
「お前、卑屈すぎな」
「わかってるよ。それに、昔の話さ。今はそんな毎日が楽しかったって思ってる」

 いつになく素直に口を開く陽平に、朋也は高校三年の冬を思い出した。てっきり地元に戻るものだと思っていた陽平が、この街に就職を決めたのはそんな頃だった。「地元に戻らなくていいのか?」と聞いた朋也と杏に、「僕がいないと、二人は無茶しそうだからね。心配なのさっ」と言ってのけた陽平をボコボコにしたのもいい想い出だった。
 ボコられながらもあーだこーだと叫ぶ陽平は笑っていた。その時はついぞ本格的に頭に支障をきたしたか、と杏と二人で気味悪がったものだが、今になってようやく、陽平の笑顔の意味を朋也は理解できたような気がした。

「岡崎や杏と知り合ってからは、楽しかったんだ。今もこうして、馬鹿やれる時間があるのは、すごい楽しい」
「語るねぇ」
「偶にはいいだろ」
「お前はいいかもしれんが俺は飽きた。一言で説明しろ」
「そんなん無理に決まってるだろ! つーかここからがいいところなんだから聞けよ!」
「あ、ホッケ食いてぇな」
「あんた、ホント人の話聞かないっすね……」

 ぐちぐちと文句を呟く陽平をよそに、頼んだ料理を丁度持ってきてくれた女性店員にホッケを含めて何品か注文する。先ほどの店員とは違ったが、また若い女性だった。都市部への人口流出が何とかと騒ぐわりに若い人間も残ってるもんだな、などととりとめのないことを考えつつ、女性店員の後ろ姿を見送ってから、朋也は陽平に言った。 

「つまるところ、あれか。友達やってくうちにお前は杏に惹かれていたと。そういうわけだな?」
「……その通りです」
「一言で説明できるじゃねぇか」
「ムードってもんがあるだろっ」

 俺との間でムードを出してどうする。
 反射的に朋也は思ったが、そのことに言及すれば生粋の馬鹿である陽平は大声でまたあらぬことを言いたてるであろうことは想像に難くない。そんな展開はとても面倒だったので、何も言わないでおいた。

「それにしても、お前が杏をねぇ……ほーぉ」
「あぁ、そうだよ。悪いかっ?」
「いや。別にいんじゃね?」

 ごくごく普通な感想だった。だからどうしたと朋也は思う。第一、陽平が告白したからといってあの杏が受け入れるとは思えなかった。それに、万が一二人が付き合うようになったとしても、それこそ朋也自身には関係がない。好きにしてくれという気持ちが大部分を占めている。
 ――けど、まぁ……。
 もしそんなことになれば、今までみたいに三人で馬鹿騒ぎすることもできなくなるのか。そう考えると、少しばかり寂しい気もする。何だかんだで四年近くも続いた、学生の延長戦のような関係に終止符が打たれることには、朋也も少なからず抵抗はある。いつまでも三人でいれるなんてことを思うほど甘い理想は持ち合わせていなかったが、実際にそれが現実となって忍び寄る気配がしてくるとなると、やはり良い気はしなかった。

「岡崎、どうした?」

 陽平が訝しげな表情を浮かべている。何でもないと頭と一緒にほの暗い思考を振り払って、朋也は努めて気だるげに口を開く。

「まぁ、お前が杏に告白して辞書を投げられようが首絞められようが東京湾に沈められようが俺は一向に構わんから、頑張ればいんじゃね?」
「……正直どれもありえそうで、怖いっす」

 日ごろの折檻を思い出したのか、陽平が震えだす。恐怖を忘れるかのように海鮮チャーハンを一気に平らげると、朋也に縋った。

「岡崎、頼みがあるんだっ」
「嫌だ」
「まだ何も言ってない!」
「大体わかる。どうせ杏の腹探れとか、そういうことだろ?」
「何でわかったんだ!?」

 バレバレだろ、と朋也は思う。告白すると決めたとは言え、「よし、じゃぁまずはデートに誘ってみるよっ」などと殊勝な意見が出てくるようならば、そんなヤツは春原陽平ではない。「弱いものにはとことん強く、強いものにはとことん弱く」を地で行く陽平が、藤林杏を相手に積極的に出るなど、まずありえない。もしそんなことがあれば、それは春原陽平ではない。とりわけ強者――と認めた――に対して取る陽平の行動に関して、朋也はそれなりに理解しているつもりだった。

「なぁ頼むよ。聞いてくるだけでいいからさ」
「めんどくさい。何で俺がそんなことしなけりゃならん」
「何もタダでなんて言わないさ」
「ほぅ」

 わざわざ交渉してくる辺り、陽平の本気が窺えた。マジで好きなんだなこいつ、と朋也は妙なところで感心したが、だからといって陽平の頼みを聞き入れるかはまた別問題だった。
 杏は容赦がない。それは何も陽平に限らず、朋也にもあてはまる。それでも実害として陽平と朋也に圧倒的差があるのは、引き際を見極めているからだと朋也は思っている。調子に乗りすぎれば、当然自分だって辞書の餌食になる。最近急成長を遂げた猪に追い回された日には、もしかすれば怪我では済まないかもしれない。最悪の事態を思い浮かべ、朋也の頬に冷たい汗が流れる。
 ――断固として引き受けん。
 固い決意を心の中で誓い、とりあえず陽平に聞いた。

「で? 何をくれるんだ?」
「ここの勘定、僕が出すよ」
「よし乗った!」
「早っ!」
「聞いてくるだけでいいんだな?」
「あんた相変わらず現金なヤツですねぇ!?」
「何言ってんだ。男らしくズバッと告白できないヘタレなお前の為にわざわざ動いてやろうとしてるんだ。むしろありがたく思え」

 五秒前の決意など知ったこっちゃなかった。給料日一週間前の今、財布は中々にクールだった。

「何か、岡崎だと不安になってきたなぁ」
「任せろ。土産は杏の辞書投げ百連発でいいよな?」
「あんた真面目にやる気ないでしょ!?」

 陽平のツッコミを適当に流しつつ、まぁ聞くだけならいいか、と朋也は思う。それで今日いくばくかの出費をしないで済むのならば安いものだろう。この時は本気でそう考えていた。




    
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