「ねぇ古式さん」
「はい、何でしょう?」

斜め上から、上機嫌な声が聞こえた。
近頃浮遊する事を覚えたらしい彼女はその状態をいたく気に入っている様で、地に足を付けている姿を見たのがいつだったのか思い出すのも難しいくらい、ふわふわと浮いている事が多かった。
最も、彼女が律儀に地面を歩く必要性などないのだが。

「どうしてあの時消えちゃったの?」
「…え?」
「いや、確かに古式さんが幽霊になった本当の理由があるから成仏しなかったっていう理屈はわかるんだけどさ、あの時古式さんは確かに消えちゃったでしょう?それはどういう事なのかなー、と思ってさ」
「そう、ですねぇ……」

人差し指を口元に当てながら、彼女は空を見上げた。
浮いている分、顔を上げなければ彼女の表情が見えない。
背の高い女性と歩く男性の気分はこんな感じなのだろうか……なるほど、確かにコンプレックスに感じる気持ちも理解できなくはない。
そんなアホな事を考えていると、古式さんが考えるのをやめ、ふにゃりと顔を綻ばせて、言った。

「わからないです」
「えー」
「私も覚えてないんですよ……ならこういうのはどうですか?霊界まで行ったんですけど、門前払いされちゃったとか。こう、ぺいっと」
「ぺいって、あんた……」

適当な事を言う古式さんに、思わず溜め息が零れた。
この人はいつからこんな人になったのだろうか……幽霊として初めて会った時は、まずもってこんな事を言う人ではなかったのに。
むしろ元がこういう性格なのか?
明るくなって大いに結構なのだが、目の前の現実と脳内イメージのギャップに、僕は戸惑いを隠せなかった。

「いいじゃないですか、そんな事は」

そんな僕の心情を気にする事もなく、古式さんは僕の問いに対する解答を投げ捨てた。
本当にどうでもいい事と言わんばかりの笑顔で。

「あの時何が起きたのか、それを知る術はありませんし、知る必要もないと思います……今ここに、私がいるという現実しかないのですから」
「そのあなたの存在自体が現実味ないんですがね……」
「でも現に私がここにいる、直枝さんと一緒に歩いて、お喋りしている……その事実を、直枝さんは否定しますか?」
「……」

卑怯だと思った。
相変わらず笑顔のままで、その表情には悲しみも不安も、何も感じられない。
僕が否定するはずがない……僕と言う人間を、信じきっている笑顔だった。
そして、彼女の意思通り、否定出来ない僕がいた。
そんな笑顔を見て、目の前に見える『人』を、いないものとする事が、出来るはずがなかった。

「……さぁ、行こうよ。どこに情報が落ちてるかわからないからね」
「……はいっ」

問いに答えず先を促した僕に、彼女は黙ってついてきた。
僕と古式さん、2人でのんびりと歩く。
2人だけど、足音は1つ。
けれど、やっぱり2人の空間。
グラウンドの方から、軽快な金属音が聞こえた。

「野球……やってるみたいですよ?」
「いいよ、今日くらい休んだって皆何も言わないさ」

不安げに見つめてくる古式さんを宥める様に言い聞かせ、道を進む。
上着のポケットの中で、しきりに震える携帯を無視しながら。

「今日はどうしようか?」
「そうですね……気分を換えて、学校の外にでも行ってみましょうか?」
「うん、それいいね。行こう」
「はい」

この着信を取るのは、まだまだ先になりそうだった―――







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