「やっほー理樹君!愛しの美鳥ちゃんが起こしに来てあげたわよーっ!」
「……起きてるよ」
「あらそれは残念……でもまぁとりあえず。理樹君おはよう!」
「……おはよう」

時刻は朝8時。
カレンダーの数字が朱色に染まる日……日曜日。
遅めの朝食、満腹中枢を刺激され暫しの小休止を部屋で迎えていた理樹を訪れた、やかまし過ぎる程の少女。
名を、美鳥と言った。

「おい美鳥、俺には挨拶はねぇのか?」
「いたの?真人君」
「おっと、聞き捨てならねぇな……この、盛り上がった筋肉が見えねぇのか?おらぁっ!」
「はいはい素晴らしいわねこのみかん箱」
「誰もちゃぶ台の話はしてねぇよ!?」

今日も今日とて元気だねぇ。
加速度的にテンションを上昇させていく2人の姿とは対照的に、未だに脳内が活発化しない理樹は、アマチュアの芸人コンビの漫才を見る気分で、そう分析した。
刺激的な様で、変わり映えのしない毎日。
いついかなる時間の出来事も等しいはずがないのに、日常という言葉が使われる矛盾。
だがしかし、やはりここで理樹は、日常という言葉を使わざるを得なかった。
平日だろうが休日だろうが、彼らのする事は変わらない。
馬鹿な事を思いついて、それを実行して、笑い転げて。
そしてそんな楽しさを、皆で味わう。

ビバ、日常。
コマネチ、コマネチ!

存外、理樹の頭も元気に働いている様だった。

「まぁいいや。で、何しに来たんだ?」
「ん?理樹君に会いに」
「理樹に?……残念だが、理樹はこれから俺とマッ――」
「やらないよ」
「せめて最後まで言わせろよっ!?魅力的な提案かもしれねぇだろっ!?」
「じゃぁ、言ってみてよ」
「マッス――」
「はいダメー。もうその時点で99%確定したのでダメー」
「何故だあああぁぁぁっっ!!!」

毎回同じ事しか言わないからだよ。
理樹と美鳥の心のツッコミは、某バトル漫画の妙な変身ポーズ並にシンクロした。
それを察したのか、転げまわる真人を横に、2人は視線を絡ませ、静かに微笑み合う。
その様は、まるで十年来の友の様な、それでいて、気持ちを自然と分かち合う熱い恋人の様でもあった。
もちろん、真人はその場面に気づく事はなかったが。

そうして若干の嵐が通り過ぎた後、真人がのっしとその大柄な体を屹立させた。
ベッドに腰掛けていた2人が、顔を上げる。

「どうしたの?」
「出かけてこようかと思ってな」
「真人君どこに行くの?」
「俺の体が疼いて仕方がなくてな……ちっとばかし、冷ましに行ってくらぁ」
「あっそ、いってらー」
「もう少し良いリアクションしろよっ!どう見ても熱い展開だったじゃねぇかっ!」

ギラギラとした獰猛な眼光は、美鳥の気のない手のひらの一振りで綿毛の様に吹き飛ばされた。
打てば響くとはこういうことか。
実は、美鳥が1番真人の扱いに長けているのかもしれない。

「それじゃ、行ってくるわ。美鳥もゆっくりしてけや」
「うん、いってらっしゃい」
「はーい、存分に満喫していきまーす」

そうして真人は、部屋の外へと姿を消した。
扉を閉める際に、理樹の申し訳なさそうに手を合わせる姿を目に入れてから。

「……さて。どうしよっか」
「この部屋には、特に遊ぶ物もないしなぁ……」

困った様に理樹が目線を天井へと泳がせた。
あるのは野球盤と、人生ゲーム。
どちらも、女の子と2人きりという状況にそぐう玩具ではない。
野球盤でも楽しそうに遊ぶ美鳥……という姿を描けなくもないが、理樹は即刻それを頭から放り出した。
ムードというものを、彼もそれなりに考慮している様だった。

コンコン。

動きのない部屋の空気を変えたのは、軽く叩かれたノック音だった。
お互い、あーだのうーだの呻いていたのが、ぴたりと止まる。

「どうぞー」

部屋奥から出された許可。
それを受け、来訪者が、薄っぺらい鉄製のドアを緩やかに開ける。
ちらりと覗いた……コバルトブルーの髪。

「……こんにちは、直枝さん」
「こんにちは西園さん」

来訪者その2、西園美魚。
言うに及ばず、リトルバスターズメンバーの1人。
制服に身を包む彼女のその慎ましい態度は、休日の静まった寮内の雰囲気に溶ける程に、調和していた。
どこかの誰かさんの様な、豪快な登場とは対照的に。

「やっほー、美魚も来たの?」
「美鳥もいたんですか……」

ベッドに並んで腰を下ろす2人を見やり、美魚の前髪がさらりと揺れる。
微かに伏せられた目線に、理樹達が気づく事はなかった。

「何か用かな?」
「いえ、直枝さんは何をしてるのかと思って……」
「私とおんなじだー」
「僕は今日は特に用事はないよ。野球も休みだって恭介が言ってたし」
「では、今日は部屋でゆっくりするのですか?」
「うん、そうしようかと思ってたんだけど……」

そこで言葉を止め、ちらりと2人の少女へと目を動かした。
理樹の目線を辿った美魚が、なるほどと言った具合で、ゆっくりと頷く。
なかったけれど、たった今用事が出来た……少女達を相手にするという、用事が。

「じゃ、今日はのんびりここでお話でもしようか」
「僕はいいよ」
「私も、別にそれで構いません」

美鳥の提案は、瞬く間に了承される。
それが彼らのお馴染みな流れであり、それが日常。
変化のないその空気を、どうしようもないくらいの安寧が染め上げていった。

「じゃぁ1人最低1ネタは出して、10分はトークを長引かせることにしましょう!」
「えー、適当に話せば――」
「ダメ、こういうのはルールがあるから面白いの!じゃぁまずは私からね、お題はズバリ『理樹君の好きな人』ね!」
「ちょっ、初めから切り込みすぎっ!それナシっ!」
「……恐らく直枝さんは私に惚れています」
「西園さんも乗るんじゃありませんっ!」
「えー、私だよー」
「だからっ!」

変わらない日々を望みつつも、どこかで変化を望む二律背反。
壊れる事を恐れ、今一歩踏み出せない彼らは、どっちつかずの場所で日常と言うぬるま湯に浸かっていた。
いつかは進まなければならない、変わらなければならない。
でも、今はまだ、このままでいたい。
思いを本気で伝える事の怖さを、彼らは知っている。
綺麗な正三角形は、軽い一押しでいびつに歪んでしまう事も、彼らは知っていた。
境界線を越える勇気は、まだ彼らにはない。

「わかってるって、理樹君は照れ屋だもんねー」
「だから違うって言ってるじゃんっ!」
「……今日も本音が言えず、私達が帰った後に直枝さんは枕を濡らすのですね」
「濡らさない、濡らせない、濡らしてたまるかぁっ!」
「あっはっは、やっぱ理樹君面白いね!」

彼らは暗黙の了解の下、ぬるま湯に浸かる。
3人で笑い合う事が、楽しかったから。
胸の奥で萌芽する淡い想いをひた隠してでも、彼らはまだ一緒にいることを望む。
彼らのそんな日常は、いつまで続くのか。







「……じゃぁ、2人が本当に好きだと思う人を、教えてよ」
『……え?』

こうなる日が、いつか来る事を、彼らは常に恐れている―――







inserted by FC2 system