「ごめんね、僕なんかで」
「いえ、そんなことはありません」

隣で申し訳なさそうに畏まる直枝さんに、私は笑顔を返した。
社交辞令ではない。
私も、知りたいと思っていたから。
あの人が剣の道を捨てる事も厭わない程、大切だと言った人達の事を。

「それにしても、凄い紅葉だね」
「そうですね」
「学校の周りでこんなに凄いんだから、名所とか言ったらどうなんだろう」
「実際に行った事はありませんが、写真などを見る限り、辺り一面紅葉なんでしょうね」
「確かに。これくらいのものとじゃ比べ様ないくらい凄いんだろうね」

ひらひらと落ちるもみじを見渡しながら、直枝さんが感嘆の声を漏らす。
世間はすっかり、秋になっていた。




















                    秋華対談






















こうやってあの人と会話をする事を始めて、どれ程経ったろう。
あの出来事があってから私もそれなりに落ち着き、日常生活において何ら支障のない程度には回復した。
身体的にも、精神的にも。
だというのに、私もあの人も、ここで落ち合って1時間と満たない会話をすることを、今もやめていなかった。
なぜなのか。
惰性か。
それとも、別の何かか。
それはわからなかった。
わからなかったが、その事に不思議は感じても、やめようと考えた事はなかった。

「謙吾はどれくらいで来るかなぁ」
「さぁ…あの人は一度世話を焼くととことん焼く人なので、もしかしたらけっこうかかってしまうかもしれません」

そして、今日この場に居合わせたのは、あの人ではなかった。
あの人の親友の1人…直枝理樹さんだった。
本来ならあの人が今ここにいるはずなのだが、急遽後輩に頼まれ事をされたらしい。
待ち合わせ時間の少し前の出来事だったし――実際に私は既に来ていた――、中止を言いに来るのは憚られたらしく。
繋ぎとしてやってきたのが、直枝さんだった。
出会い頭から恐縮気味の直枝さんだったが、少し会話をすると私と接する事にも慣れてきたらしく、表情も柔らかくなっていた。
最もまだ萎縮した感が残ってはいるが、それは仕方のない事だろう。
恐らく直枝さんは、私の事を全くと言っていい程知らないのだろうから。
対する私はというと、驚くくらいに落ち着いていた。
直枝さん達の事は、散々聞いていたから。
あの人から。
あの人の話は、終始直枝さん達の話で持ちきりだった。
口下手なあの人でも、直枝さん達の話題になると思わず目を丸くしてしまうくらい饒舌になった。
最初は驚いて呆然としてしまった程である。
数々の武勇伝、騒動、失敗談…。
あらゆる話が私にとって想像の斜め上…いや、遥か頭上を越えるものばかりだった。
御伽噺を聞いているのではないかと思ってしまうくらいだった。
何よりも、その話をするあの人の嬉々とした表情が印象的だった。
そんなわけで、私の世界観を大きく揺るがした人達として、直枝さん達の事は非常に気になっていた。
話をしてみたい。
あの人から聞かされるだけでなく、直に会って話をしてみたい。
そう思っていた。
だから、今日の直枝さんとの邂逅は、逆に良い機会だと思った。

「……」
「?…どうかされましたか?」
「えっ!?あ、いやー、その…」

ふとそこで、直枝さんが私の方を見ていた事に気づく。
何かあったのだろうかと頭を巡らせかけた所で、気づく。
あるじゃないか。
私の身に持つ、誰しもが感じる違和感を。

「眼帯、気になりますか?」
「うっ……ごめん。もう、治ったのかなぁと思って…」
「ええ。おかげさまで痛みの方はすっかりなくなりました」

出来るだけ素の感情が表に出ない様に、優しく言葉をかける。
痛みは、もうとっくになくなっていた。
けれど、それを嫌でも思い出させる傷痕は、今もなお残っていた。
それを公衆の前で曝け出す事は、出来ない。
言われても、見せられない。
この眼帯は、私の弱さ。
あの事故を未だに受け入れられていない私の、心の表れだ。
眼帯について触れられる事には慣れつつある。
仕方のない事なのだ。
違和感とは、普通とは違うものに対する感情だ。
それを咎める事などできやしない。
けれども、その事を聞かれると、心のどこかが軋むのを感じずにはいられなかった。
なぜ私だけが、という不条理感。
よそよそしくさせてしまう申し訳なさ。
『仕方のない事』と理解しつつも、心の奥ではどろどろとした黒い感情が、まだ蠢いている。

「直枝さんも、あの事故の怪我はもうよろしいのですか?」

だから、話題を変える。
まだこの問題を平然として迎えるには、時間が必要だと思うから。

「…うん。僕は全然大した事なかったから」

私の問いに、直枝さんは若干トーンを落として答えた。
直枝さんの表情に陰が差した気がした。
……何か、聞いてはいけない事だったのだろうか。
あの事故は酷い惨状だったにも関わらず、全員が無事生還した。
誰か事故の影響で後遺症が残ったという話も聞かない。
不幸中の幸いと喜ぶ事はあっても、落ち込む事はないはずだが…?
いや、あれだけの事故だったのだ。
恐怖感や苦痛は尋常ではなかったろう。
私も経験しているのでわかる。
きっと、直枝さんもあの状況を振り返ってしまったのだろう。

「古式さんと謙吾はいつもここで話してるの?」
「そうですね、いつもここです。雨の時などはなしにしてますので」

そして、直枝さんも私の様に話題を変える。
私も、それに従う。
せっかくの機会なのに、暗い話題は相応しくない。

「謙吾は古式さんの事、僕達に全然話してくれないからわからないんだよね」
「そうなんですか?私はあの人からいつも直枝さん達の話を窺ってますが」
「えっ、本当!?謙吾、僕の事で何か変な話してなかった?」
「変な話、と言われましても…どれが真面目な話か探す方が難しいんですが」
「マジですかっ!?」

直枝さんがショックを受けた様に両手を頭に掲げる。
何がショックだったのだろう。
直枝さん達が『変』なのは、今さらな様な気もするが。
もちろん悪い意味ではないが。

「まぁ、いっか…謙吾の話のネタなんて部活か僕らの事くらいしかないだろうし」
「そうですね。概ねそんな所です」

さすがにわかっている。
あの人の話す内容は、ほぼその2つしかなかった。
けれど、それが私との違い。
拠り所が1つしかなかった私と、2つあったあの人。
1つしか違うのに、それだけで大きく違っていたのだ。

「謙吾と話してて、楽しい?」
「そう、ですね…楽しいです」
「ならよかった」

直枝さんの笑顔を横目に見ながら、私は自身の言葉に釈然としなかった。
『楽しい』とは何なのだろうか。
片目を失って以来、いまいち喜びや楽しさといった正の感情が欠如している様な気がする。
あくまで、『気がする』だけである。
こうやって、毎回あの人の話を聞きに来ている。
直枝さん達と会いたい、会って話をしたいと思っていた。
それは、この人達と関わる事に、面白みや楽しみを感じているからではないのか。
だから、半ば無意識に『楽しい』と口に出したのではないか。
欠如していたものが回復したのか、それとも元々そういった感情が希薄なだけなのか。
何れにせよ、私にもそういった感情が存在している事は、確かな様だった。

「それで、その…こんな事聞くのもあれなんだけど…」
「はい?何でしょう?」
「その……謙吾と、古式さんって…付き合ってるの?」
「……はい?」

直枝さんが次にしてきた質問に、私はつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
私と、あの人が恋人?

「私達はそういった関係ではありませんが…」
「そ、そうなんだ…」

納得した様なしない様な、微妙な表情で直枝さんは頷いている。
確かに、そういう関係に見えなくはないかもしれない。
この時間を取り始めた当初も、そんな噂が流れたらしい事は知ってる。
すぐに立ち消えた様だが。
しかし、今の直枝さんの様子から察するに、やはり皆どこか勘繰っているのだろうか。
そんなに、恋人の様に見えるのだろうか?
私は、あの人にそういった感情を向けたつもりはないのだが。
むしろ、私は恋というものを知らないので、向けようがないといった方が正しいが。
ただし、知らないが故に無意識にそんな目で見ている可能性はあるかもしれない。
ここに足しげく通っている理由すら自分でわかっていない私なのだから、それはありえるかもしれない事だ。
だからといって、安易に恋と認めるわけではないが。
とりあえず、これもまた保留だ。

「直枝さんこそ、棗さんとは付き合っていないんですか?」
「僕と鈴がっ!?」

だから、直枝さんに同じ話題を振る。
友人が直枝さんと棗は付き合っているのでは、と言っていたのをちらと聞いた記憶がある。
確かに、直枝さんと棗さんはよく一緒にいる事が多い様な気がする。
最近は交友関係が広がったのか、色々な人と共にいるのを見かけるが、それでも直枝さんにくっついている印象が強い。

「別に僕と鈴はそういう関係じゃないけど…」
「そうなんですか?」
「まぁ…」

濁した。
色恋には詳しくないが、直枝さんの反応はわかりやすい。
はっきりと否定できない辺り、そういう気持ちも無きにしも非ず、といった所か。
そう思うと、ついついからかいたくなる気持ちが、むくむくともたげてくる。

「では、棗さんには1人の女性としてそういう意識はした事がないと?」
「へっ?いや、まぁそういうわけじゃ……って違う!そう、鈴は妹みたいなものだから!」
「つまり、直枝さんは棗さんに微妙な恋心を抱いている?」
「違うよっ!」
「好きで好きでたまらない?」
「何でそうなるのさっ!?」

懸命に否定する直枝さんは、どこか可愛らしい。
こういう男性らしくない仕草が、女性の方々に慕われるのかもしれない。
女子寮に入り口で追い出されない数少ない男子生徒らしいし。

「はぁ…古式さんってこんな人だったんだね…」
「どういう人だと思ってたんですか?」
「もっと奥ゆかしい人かと思ってた」
「そうですか…幻滅しましたか?」
「…いや、こっちの方が僕的には馴染み易くていいかな」
「惚れましたか?」
「惚れてないよっ!」

必死になる直枝さんが可笑しくて、私は声を上げて笑った。
あぁ、これが楽しいということなのか。
我慢できず笑ってしまった自分を省みて、漸くその感情を思い出す。
そして、実感する。
あぁ、こういう事なのだと。
そして、いつも直枝さん達の話を楽しげに話すあの人の姿が脳裏を過る。
あの人は、こんな日常を毎日見ていたのだろうか。
だとしたら、何と素敵な日々だろうか。

「………」
「?…どうかしましたか?」

直枝さんがこちらを見ていた。
さっきと同じ様に。
やはり、眼帯が気になるのだろうか…?

「やっぱり、古式さんは笑ってた方がいいね」
「え?…」

直枝さんはそう言って、ニコリと笑った。
そういえば、素直に声を上げて笑ったのなんて、久しぶりだったかもしれない。
直枝さんに言われて、はたと気づいた。
いつ以来かも忘れてしまった。
確実なのは、あの事故より前だろうという事だけ。
楽しいとか面白いとか考える暇もなく笑ったのは、本当に久方ぶりだった。

「うん、笑顔の方がずっと素敵だよ」
「……」
「古式さん?」
「惚れましたか?」
「だから惚れてないよっ!」
「そうですよね、直枝さんには棗さんがいますものね」
「だからっ!」

楽しい。
笑いが止まらない。
心が自然と浮き立つ。
これがあの人の、大切な人達なのか。
こんな楽しい日常を過ごしていたなら、確かに剣の道に縋りつく必要もなかったろう。
私にもこんな出会いがあれば、違った道があったかもしれない。

「まったくもう……あ、謙吾だ!おーいっ!」

直枝さんの視線の遠くに、独特な姿のあの人がいた。
道着姿にジャンパーを羽織った、学生としては奇異な格好…間違いない。
あのジャンパーも最初こそ違和感があったが、すっかり見慣れてしまった。
今となっては、もう彼のトレードマークの1つだろう。
『リトルバスターズ』を思って作ったジャンパー。
それだけ、あの人の親友を思う気持ちが強いということ。
そんな仲間が、私にも出来るだろうか。
私にも、『リトルバスターズ』の皆さんと楽しく会話出来る日が来るだろうか。

「いこう、古式さんっ」

待ちきれないのか、こちらに向かってきているあの人の下へ直枝さんは駆け寄った。

「ええ、そうですね」

私も、それに続く。
徐々に大きくなるあの人の姿。
一瞬驚いた様な表情を見せたが……すぐに、笑顔に変わった。


片目を失ってしまった私。
全てを失ったと嘆き、そこからあの人の力を借りて立ち上がった。
その後に見つけた世界は、どうやらまんざらでもなさそうだった。





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