次の休み時間。
今度こそ飲み物を買い求めるため、僕は教室を出た。
もちろん、子犬の様に寂しがる真人をガン無視して。
意識してしまったからなのか、授業中は喉の渇きが気になって仕方がなかった。
もうジュースとか贅沢いいませんから、水を…塩素たっぷりのカルキ臭い水を一杯……っ!
三角貿易について熱弁を振るう世界史教師に、無理とわかりつつもそんな念を込め続けていた。
しかし、世界史の授業は先程終了した。
我慢をする必要はない。
自らの足で自販機へ向かい、瑞々しい、甘みと酸味が絶妙な融合を果たしたスポーツドリンクを堪能しようではないか。
たかが紙コップ一杯の飲料の為に、僕はウキウキ気分で廊下を歩いていた。

「待ちなさい、葉留佳っ!」
「うわぁぁぁん、そこまで怒る事じゃないじゃんかーっ!」

声が聞こえた。
休み時間の喝采をものともしない、大きな足音。
曲がり角から勢い良く飛び出してくる2つの影。

「学校の備品を無断で使用しておいてよくそんな事が言えるわねっ!」
「謝るから許してよぉ、お姉ちゃーんっ!」
「言い分は後で聞くからとりあえず止まりなさいっ!」
「絶対嘘だっ、問答無用で引っ張っていく気だぁっ!」
「……やっぱり」

薄々気づいてはいたが、やはり二木さんと葉留佳さんだった。
廊下を爆走してくる双子姉妹。
それにしてもよくもまぁ葉留佳さんも毎回毎回怒られる様な事を。
というか、二木さん含め風紀委員、あなた達そんな廊下を走りまくって風紀も何もないだろうに…。
ぼんやりと彼女らにツッコミを入れる。

「…あっ、理樹君っ!」

後10メートル程の距離になった所で、葉留佳さんが僕に気づく。
味方が来た、とでも言いたげに顔を綻ばせる。
悪いが葉留佳さん、今は君の相手をしている暇はないんだ。
僕にはスポーツドリンクを胃袋が満杯になる程飲み干すという使命が――。

ガシィッ!

が?

「理気君、私の為に人柱になってくれるよねっ!?」
「……」

何てこったい。
彼女、彼氏である僕を姉に売る気らしいですぜ。
僕の背後に回りこみ、逃げられない様に僕の体をがっしりと掴んでいる。

「直枝理樹っ、葉留佳をこっちに渡しなさいっ!」

二木さんが追いつく。
鋭い眼光を僕に向け、葉留佳さんを渡せと要求してくる。
……まぁ、これは葉留佳さんに非がありそうだし、ここは二木さんに受け渡しますか。

「…葉留佳さん」
「理樹君、私を売るの?私を、身を挺して守ってくれないの…?」
「…うっ」

葉留佳さんが、うるうると涙目になりながら僕を見上げている!
…なぜだ、明らかに葉留佳さんが僕を売ろうとしているのはわかっているのに、葉留佳さんの顔を見るととても受け渡す気にはなれない…っ!

「…そんな事はないよ、葉留佳さん」
「…理樹君」

僕の言葉に、葉留佳さんに笑顔が蘇る。
あぁ、この笑顔を守る為なら、僕は何だって…

「……なおえりき?」
「っ!?」

背筋が震え上がる様なおぞましい声。
振り返れば…射抜く様に僕を見ている二木さんが。
葉留佳さん同様笑っているのに、体の芯から凍りつく様な笑顔だ…。

「あなた、まさか葉留佳を庇おうなんて思ってないでしょうね…?」
「う、あっ…」
「わかっているのでしょう?さぁ、おイタをしてしまった葉留佳を全うな人間にしてあげましょう…?」

ゆっくりとした動作で、迎え入れるように両手を広げる。
犯罪に手を染める人間に人を売り出す様な気分だった。
何でだろう、完全に二木さんの言い分の方が正しいのに、二木さんが悪役に見えて仕方がない…。

「さぁ、直枝理樹?」
「…理樹君」

にやりと笑う二木さんと、不安げに僕を見る葉留佳さん。
どうしよう…。
どっちに味方したって、後が怖いじゃないか!
結局僕が彼女らによってボロ雑巾にされるのは想像に容易い。
くそ、僕はどうしたらいいんだ…。
どちらからも逃れる方法……。
!?そうかっ!
妙案が閃いたと同時に、僕は葉留佳さんの方を振り向く。

「理樹君、やっぱり私を選んでくれたん――」
「それじゃっ!」

喜びに満ちた表情をする葉留佳さんの横を通り、全力で走る!

「だ、ね……」
「…逃げた」

そう、そもそも今回の件は僕には関係のない事なのだ。
偶然巻き込まれただけであって、僕がわざわざ介入する必要などない。
決着は、あの2人に任せるとしよう。
というか、それが一番自然で、当然の事なのだから。
それでは、解放された事だしジュースを買いに行きますか。
そう思い、全速力で動かしていた足を緩めようとした…ところで。

「こらーっ!理樹君待てぇーっ!」
「止まりなさい、直枝理樹ぃっ!」
「えぇーっ!?」

追ってきてる!?
一気に縮まる距離!
僕は再び足に力を入れ、廊下を歩く生徒を縫うようにして走り抜ける!
というかあなた達何仲良く並んで走っちゃってんの!?
ほら、すぐ隣にいるじゃん!
捕まえなよっ!
葉留佳さんは逃げなよっ!

「待てぇーっ!」
「待ちなさーいっ!」

くそぅ、あの人ら僕を捕まえる気だ…。
目的が完全に摩り替わっている。
けど、僕だってそう易々と捕まる気はない!
野球で鍛えられた脚力を生かし、ひたすら走る!
男性メンバーの中ではひ弱な方だが、だからといって女の子に純粋な脚力勝負で負けるわけにはいかない!
ぐんぐんと彼女らとの距離を広め、角を曲がり階段へ向かう。
三段抜かしで階段を駆け下り、踊り場に飛び出す。
慣性を利用して、着地と共にトップスピードで折り返した所で。

ドンッ!

「きゃぁっ!」
「うわっ」

可愛らしい声と共に誰かと衝突してしまった!
幸いな事に、滑り込む様にして倒れたので、ぶつかった人の上に落ちるという事はせずに済んだ。

「あ、あの…」

耳元で、女の人の声が聞こえた。
そうだ、ぶつかった人に謝らないと!
チカチカする視界を、ぶんぶんと頭を振ってクリアにしようとする。

ふにっ。

ふとそこで、床に着いたはずの左手が、妙に柔らかい物に触れているのに気づく。
何だ…?

「な、直枝君…」
「えっ?」

息のかかる様な距離で、僕に押し倒される様に倒れこんでいる……杉並さん。
そして、僕の左手が触れている場所は…。

「その…手…」

にょ、女体の神秘っ!?

「う、うわああぁぁっ!ご、ごめんっ!」

上半身のとある部分に置いていた手を反射的にどける。
手は既に離れているというのに、温もりと柔らかさが手と脳に未だ生々しく残っている。
何て事をしてしまったんだ僕は!

「ごめんっ!色々とごめんっ!というか大丈夫!?」
「う、うん…ちょっと背中痛いけど、何ともないから……」
「そ、そう…本当にごめんね…」
「ううん、いいよ…」

恥ずかしそうに頬を染めて、汚れを落とす為に制服を軽く叩く杉並さん。
杉並さんの顔を見れずに背を向ける。
あぁ、何でもっと注意できなかったんだろう。
というか、何で僕はあんなに急いでいたんだっけ?
…ん?
何か大事な事を忘れている気が――。

むんずっ。

「…お?」

襟首を誰かに掴まれる。
それと同時に、僕のシックスセンスが体中に警告を送ってくる。
恐る恐る……首だけを、後ろへと向ける。

「ようやく止まってくれたわねぇ、直枝理樹…?」

ふ、二木さんっ!?

「なぁにしてるのかなぁ…理樹君?」

は、葉留佳さんっ!?
そ、そうだった!
僕は彼女らから逃げようと必死に走ってたんだった!

「どうしようか、お姉ちゃん?」
「そうね……おイタをした子は、きっちりとしつけなきゃならないわよねぇ…葉留佳?」
「ふふっ、そうだね…じゃ、いこう?」
「ええ」

ふふふ、あはは…と笑いながら、二人が僕をひきずっていく。
あの、階段もですか…?
踊り場から、下りの階段へと差し掛かり…。

「ぶっ、ごはっ、ぐぇっ!」

容赦なく2人は階段を下りていく。
荷物の様に、僕は段差を転がり落ちる。
あぁ…やっぱりこの展開なんですね…。

踊り場から目を潤ませて見下ろしてくる杉並さんの姿を最後に、僕の意識は薄れていったのだった。






inserted by FC2 system