「お願い、抱いて……」

ベッドに腰掛け、彼女が僕を見上げていた。
濃厚な闇が支配する部屋の中で、彼女の憂う瞳だけが、湿り気を帯びて鈍く光っていた。

「わかってるわ……私も、そしてあなたもあの娘を裏切れない」
「だったら、僕の答えもわかっているでしょ?」
「でも抑えられないのっ!心のどこかではあなたを求めてるっ、抱きしめて欲しいと思ってる……心が、疼くの」

胸元に手を当て、痛む心を訴えるかの様に、彼女は叫んだ。
カーテンの隙間から月明かりが差し、その薄い唇が、小刻みに震えているのが見えた。
そんな、不安に苛まれる彼女の姿に、僕はたまらなく愛しさを感じてしまっていた。

「今日だけでいいから……」

そこまで貪欲に求めている癖に、たった一夜限りの交わりで満足できるわけがない。
どう考えても出まかせに過ぎなかった。
だが、もう全てが崩れかけていた。
僕らを縛るのは、もう曖昧になる程歪んでしまった関係……僕と、あの娘が恋人という事だけだった。
ここまで来てしまったらもうそんなものなどさしたる重要性などないのに、僕らは未だにそれを引きずっていた。
もう修復する事などできやしない。
どんな選択をしようとも、昔の様に3人で笑い合う事など、ありえはしないだろう。
だとするならば……。
僕はおもむろに、彼女をベッドに押し倒した。

「……え?」
「今日だけでいいなら」
「……でも」
「そう言ったのは、君だよ?」

驚きで目を見開く彼女に、くすりと微笑んだ。
暫し身を捩じらせていたが、彼女が抵抗するはずもなく……ゆっくりと、体の力を抜いた。
強張っていた腕の筋肉が弛緩し、その男性には到底ない柔らかい肌が、僕の手に吸い付く様に馴染んだ。

「今から、僕らは恋人だ」
「……えぇ」

上気する頬を軽く撫でながら、僕は彼女の唇を塞いだ。
目を閉じる瞬間、目の前に、あの娘と同じ色をした髪が見えた。
僕は目を瞑り、必死に僕を求め口内に入ってきた舌を、己のそれと絡めた。
粘り気のある水音が部屋を満たし、時折漏れる吐息が、部屋の暗闇を一層密にする。
耳を傾けながら、僕は彼女の口内を舌先でひたすら陵辱し続けた。
瞼の裏に見える、陽炎の如く揺らぐあの娘をかき消そうとしながら―――。






「……」
「どうだ?残念ながら濡れ場はまだ書いてないが何、気にする事はない。私にかかれば一山二山ちゃっちゃと書いてみせるぞ」
「というかまだ書いてたの、これ……」

またしても来ヶ谷さんに手渡された原稿用紙を手に、僕はがっくりと項垂れた。
この人は本当、何がしたいんだ……。

「よし、理樹君が書いたということにして佳奈多君に見せてこよう」
「やめてくださいお願いですからっ!」
「むっ、ではどういう体で見せればいいのだ?」
「見せる事は前提ですか……とりあえず、僕が書いたなんていうウソはなしにしてよ」
「わかった、それに関しては約束しよう」
「何だろう、その物言いに物凄い嫌な予感がするんだけど……」
「はっはっは、理樹君は心配性だな」

白々しい笑いを上げる来ヶ谷さんにじと目を向けるも、阻む策を見出せない僕。
結局素直に原稿用紙を返し、来ヶ谷さんを見送ってしまう僕なのであった。


……どうしよ。




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