校舎内に入った後も、僕は足を止めず廊下を駆け抜けていた。
出来るだけ恐怖の根源から距離を開きたいという感情がそうさせているのであろう事を、僕は無意識に感じ取っていた。
昼休みも後わずかだからだろうか、1階の廊下にはほとんど人気がなかった。
ひっそりとした廊下に、僕の荒々しい足音が響くが、そんなものは意に介さず、僕はそのまま階段まで走りぬけようとしていた。

「待ちなさい」
「っ!?」

が、突如横手から聞こえた声に、僕は足を止めてしまった。
それが教師の声だったとしたら、僕は走りながら一言謝罪するだけだったろう。
しかし、その声の持ち主に対しては、僕は立ち止まるしかなかった。

「はぁ、はぁ……何?佳奈多さん?」
「廊下は走らない。それが常識というものでしょう?」
「はぁっ……うん、そうだね」

僕に声を掛けたのは、佳奈多さんだったから。
最近関わる事が多くなったからだろうか、それ程特徴的な声というわけではないのだが、姿は見えずとも、声だけで彼女だとわかる様になった。

「じゃぁ歩くから……もういいよね?」

普段ならここで会話の1つ2つ交わしたい所だが、如何せんここは1階。
古式さんが追ってくる姿は見えなかったが、まだここが安全域に達しているとは到底思えない。
僕の教室……もっと具体的に言うならば、謙吾の近くまで到達したい。
加えてもう昼休みは残り少ない、話をしている暇はそれ程ないだろう。
なので、僕は歩く姿を彼女に見せてから、階段へと続く廊下を曲がろうとした。

「待ちなさい」
「ぐぇっ!」

だがしかし、ネクタイを引っ張られ、その進行を無理矢理止められてしまった。
絞まる首に思わず蛙の様な声を上げてしまった。

「ぐっ……げほっ、もう、いきなり何す――」
「何を話してたの?」
「るの……って、え?」
「だから、あの女と何を話してたのっ?」

ギロリと睨みを利かせ、険しさを滲ませた声を僕に浴びせてきた。
唐突に始まった詰問に僕は目を点にさせたが、それも数秒のみ。
『あの女』というのが誰なのか、先程までの僕の行動……それらを繋ぎ合わせれば、佳奈多さんが何を言っているのかはすぐに想像がついた。

「ま、まさか……」
「えぇ、ばっちりくっきりかっきり見てたわよ?あの女には関わるなと、前に言わなかったかしら……?」

凄みを利かせつつ声を低く響かせる佳奈多さん。
その長い髪がどこぞのゲームに出てきそうな物の怪の如く揺らめいている様に見えるのは、僕の見間違いだろうか?
などと悠長に観察している暇はない!
し、しかし、何を言えばいいものか……『古式さんが官能小説読んでました』なんて、古式さんの面子を考えると言えるわけないし……。
ご、ごまかすしかないか……?

「こ、古式さんが本を読んでたから、何読んでるのかな〜って……」
「……本当に?」
「ほ、ホントホントっ!そういう話だけだって!」
「今少しどもったわね……」
「な、何の事かなっ?かなっ?」
「嘘をつくと為にならないわよ……?」
「滅相もございませんっ!」

あんた本当に悪人面似合いすぎだろっ!
心の中で毒づきながら、上っ面でひくついた笑顔を作る。
くそぅ、早く納得してくれぃ……。

「ふぅ……しょうがないわねぇ」

そう言うと、佳奈多さんがしゅるりと胸元のリボンを解いた。
……何をする気だ?
訝しげな目を向けていると、佳奈多さんが艶かしげに目を伏せて……囁くように、言った。

「何なら触ってもいいから……ね?」
「マジですかっ!?」
「なわけないでしょう。ほら、さっさと洗いざらい話しなさいよ」
「悪徳業者!?」

今の子芝居は何だったんだっ、そこまでする必要あったのかっ?
わけがわからず、心の中だけで100回ほど佳奈多さんにツッコむ。
が、それで気が収まるわけもなく。
く、くそぅっ……。

「絶対いつか、揉み倒してやるんだからなあああぁぁぁっっ!!!」
「あ、ちょっ、直枝理樹っ!」

三流の悪者のの様な負け惜しみをしつつ、僕はその場から逃げ出した。
その場で揉もうとしない辺り、彼女との力量差を無意識に理解していたらしい。

悔しさを滲ませつつ、チャイムと同時に僕は教室に滑り込んだのだった。





inserted by FC2 system