その夜。
審判を下すかの様に、ディスプレイに『三枝葉留佳』という文字を伴い、携帯の無機質な着信音が部屋内に木霊した。
恭介達は既に部屋に戻り、真人は入浴中。
僕が部屋に1人でいるのを見計らったかの様なタイミングに、僕は己の彼女でありながら、言い様のない恐怖を感じた。
一瞬電話に出るのが躊躇われたが、ここで逃れたとはいえ、結局明日には彼女と顔を合わす事になる。
それは回避しようのない事実であり、つまり、先延ばしする事は返って良くない展開を発生させるだけに過ぎない。
手を止めたそのコンマ数秒の時間の間にその結論を導き出した僕は、結局携帯に手を伸ばさざるを得なかった。
僕を急かす様に絶え間なく鳴り響く着信音に嫌気が差しつつ、通話ボタンを押し、携帯を耳元に近づけた。

「……もしもし」
「あ、もしもしー?理樹君?」

軽い声だ。
第一声から不機嫌な声色で始まるんじゃないかという予想が裏切られ、安心感に身を委ねようとしたが、それを瞬時に留まらせる。
まだわからない、これだけで判断するのは迂闊と言わざるを得ない。
これまでの経験を糧にし、ある程度の緊張感を伴いながら、彼女の声を拾っていく。

「あのねー、今日の事なんだけどさー」
「今日の事ってのは……?」
「あの、放課後にお姉ちゃんの事聞いたでしょ?あの事なんだけど……」
「うん、どうしたの?」

話を促す。
恐らくあの後佳奈多さんと一波乱あったのだろう、その結果何が起きたのかを聞かねばならない。
僕も後を追おうか考えたが、あそこで僕が話に参加した所で何が出来るかというと、情けないが何も出来ないとしか言い様がない。
ヘタレな僕は葉留佳さんの気迫に負けてひぃひぃ言うだけだろうし、抗弁を垂れるなら僕より佳奈多さんの方が得意だろうから、僕が加勢した所で余計なボロを出しかねない……そう考えた僕は、まっこと情けないながら、そのまま寮へ戻ってきたのだった。
その間に行われた、姉妹の会話。
それは、葉留佳さんに何をもたらしたのか。
固唾を飲んで、耳を集中させた。

「あの、そのー……ね?」
「うん」
「……ごめんっ!」
「……へっ?」

まさかの謝罪の言葉に、僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。
気まずそうな雰囲気がスピーカー越しにありありと伝わる中、葉留佳さんが続ける。

「その、私今まで理樹君を信じてこなかったんじゃないかって思って……」
「え……それは、どういう……?」
「お姉ちゃんに言われたの。『あなたは直枝理樹が他の女の子と仲良くしない様に、首輪でもつけて繋いでおきたいの?』って……それっておかしいよね。理樹君には理樹君の付き合いがあるんだし、それを私が束縛する権利はないんじゃないかって……」
「……」
「そりゃ、女の子と仲良くしてるのは嬉しくないし、見たくないけど……今回みたいに名前で呼んだりとかそれだけで怒ってたりしたら、キリないよね……本当はお姉ちゃんと理樹君が仲良くなった事を嬉しがらなきゃいけないのに、私、逆に怒っちゃったりして……」
「いや、全然良いんだけど……」

夕方の時とは全く違う様子を見せる葉留佳さんに、呆然としながら何とか返事をする僕。
佳奈多さんが何を言ったのかは詳細はわからないが、ここまで葉留佳さんを激変させたのだから、相当厳しい事を言ったのだろう。
僕自身深く考えてはいなかったが、確かにこれからずっと僕らが付き合っていく事を考えると、今までの葉留佳さんの態度では僕は窮屈に感じる様になるかもしれない。
好きだけではやっていけない……付き合うとは、そういう事。
葉留佳さんの変化は、少なからず僕も色々と考える必要性を生んだ様だった。

「これから、気をつけるよ……もちろん、度が過ぎる様だと怒るけどね」
「うん、僕も葉留佳さんを不安にさせる様な事はしない様にするよ」
「うんっ」

元気な声を聞いて、何だか安心し、それと同時に佳奈多さんに感謝する。
今度、お礼を言わないと。
照れを隠す様にそっぽを向く佳奈多さんの姿が容易に想像でき、少し微笑ましくなっていたのだが。

「ところで理樹君さ、もう1つ言いたい事があるんだけど……」
「うん、どうしたの?」
「お姉ちゃんの下着姿見たらしいけど……それについては、きちんと聞、き、た、い、な……?」
「……」

え……エンドレスっ!?

その後、葉留佳さんを1時間かけて納得させた僕なのであった。



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