「ところでさぁ理樹君」
「ん?」

それは、放課後に野球を終えた後、部室まで戻る道のりでの事だった。
後片付けは皆で行っていたはずなのだが、何故か最後にグラウンドに残っていたのが僕と葉留佳さんだけで。
そこに何か作為的な物を感じなかったかといえばもちろん嘘になるが、だからといって彼女と2人きりで歩くのが嫌だとかそんな気持ちを抱いているのかといったら、そんな事はまずありえないのであって。
最近は2人でいる事があまりなかったから、せっかくというか、皆が気を使ってくれた――そう思いたい――事に感謝しつつ、葉留佳さんと肩を並べて歩いていた。
そこで、葉留佳さんが改まって、僕に問いかけてきた。

「1つ、聞いていい?」
「うん、いいけど……どうしたの?」

夏が過ぎ、幾分か気温の低下を肌で感じられる様になるこの季節は、陽が落ちるのも早まってくる。
以前のこの時間帯なら、まだお天道様はしっかりとその姿を晒していたはずなのに、今では半分が山際から出ているだけだった。
その半身の太陽から発せられる赤い光が、葉留佳さんをも赤く染め上げる。
眩しそうに目を細め、薄く笑みを浮かべながら、彼女は僕にある1つの疑問を投げかけてきた。

「いつの間にか、お姉ちゃんの事名前で呼んでるよね?」
「……」

穏やかな気分が、一気に消えうせた。
普段の陽気な葉留佳さんも良いけど、今日みたいな落ち着き払った葉留佳さんもいいなぁ……などと、彼女の薄い笑顔を横目にしながら思っていた僕が馬鹿だったのだ。
彼女は、怒っている!
その笑顔の奥に、僕に対してのありとあらゆる黒い感情を、今抑え込んでいるに違いない…っ!

「どうしてかな?前までは名字で呼んでたよね?」
「いや、それはね……」
「そういえば、よくお姉ちゃんと2人で中庭の自販機の所にいるらしいね……ねぇ、何してたの?」
「何って……偶然、ジュース買いに行った時に会っただけだよ……」
「偶然?1回2回くらいならまだしも、多分もう何度も会ってるよね?」

ガサ入れする某国家権力ばりに、つけ入る隙を見つけた葉留佳さんは、そこにぐいぐいと入り込んでくる。
とはいえ、自販機の話は、本当に偶然としか言い様がない。
別段約束したわけではないし、僕もある程度決まった休み時間に行っていたが、日によってズレる事も度々あった。
佳奈多さんの方も僕と同じで、決まった時間に買いに来ているだけで、それがたまたま僕と同じ様な時間だった……ただ、それだけの事だと、僕は思っている。

「自販機のは、本当に偶然だよ。僕はけっこう決まった休み時間に買いに行くから、たまたま佳奈多さんと……お、同じ様な感じだっただけじゃないかな?」
「ふーん……まぁ、いいけど」

思った事を正直に言ってみたら、意外にも葉留佳さんはそこで退いた。
僕が『佳奈多さん』と喋った瞬間に、ぴくりと眉を動かしたが。
それだけの動作だったが、正直ちびりそうだった。

「じゃぁ、これだけは教えて。名前を呼ぶ様に言い出したのは……どっち?」

恐らく葉留佳さんの臨界点も間近なのだろう、抑える様に、声を低くしながら問いかけてくる。
しかし、至って表情は笑顔。
夕陽に照らされる彼女の笑みは、今までに僕が見た葉留佳さんスマイルの中でもベスト10にはランクインするんじゃないかというくらい、可愛かった。
最も、それに潜む恐怖感も、今までの怖かったランキングのベスト5に入りそうな程だったが。

「……か、佳奈多さんから、だよ」
「へぇ……お姉ちゃんから、か」

葉留佳さんの問いにどう答えようか迷ったが、正直に答える事にした。
別にやましい事があるわけではないし、ここで変に嘘をついて話を拗らすよりは、佳奈多さんと結託して葉留佳さんを宥める方が良いだろう。
僕の精神的にも。

「そっか、お姉ちゃんからかぁ……もしかしたら、なんて思ってはいたけど」

くすくすと笑い声を零しながら、納得がいったという様子で何度か頷く。
心なしか、彼女の背後に黒い何かが発生している様に思えた。

「理樹君」
「な、何?」
「私、ちょっと用事出来たから……先、行っててくれる?」
「う、うんっ!」

尋常じゃない雰囲気を察し、素直にこくこくと頷いておく。
や、やばい……もしかして、選択肢を誤ったか?
夕陽に向かって歩いていく葉留佳さんの背中を見つめながら、己の行動を悔やむ僕。

「あ、そうだ」
「っ!……ど、どうしたの?」

数歩離れた所で立ち止まる。
こちらを見ないまま、再度足を動かし始め――。

「もし、話が食い違ったりしてたら……覚悟しておいてよ、ね……?」



その声を聞き、僕はこれが最後の夕陽になるに違いない、としかと目に焼きつけ始めたのだった。




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