今にして思えば。
あの手紙には名前が書かれていなかった。
誰がしたためた物かも知らず、浮かれていた僕はさぞかし滑稽だったろう。
これで男から送られたものだったらなおさらだ。
もしこの事を早くに気づいていたら、放課後までの時間を悶々として過ごしたのだろうか。
しかし、そんな仮定の話はもはやどうでもよかった。

「……」
「……」

だって、呼び出された場所に来たら、女の子がいたんだから。
その子は1人で、ぽつんと錆付いたベンチの前に立っていた。
見た事ない子だった。
小柄な子だ。
150センチ…あるかないか。
ショートヘアーの、黒髪。
いかにもスポーツをしていそうな、健康的な少女だった。
僕は近づいて、挨拶をした。
『どうも…手紙をくれたのは、君?』、と。
そしたらその子は、こくりと一度頷いたきり、喋らない。
そして、沈黙している最中というわけだ。
僕は何故呼び出されたのかわからない。
彼女から切り出してもらうのを待っているのだが…。
さすがに初対面で、いきなり本題に入るのはきついだろうか。
緊張しているのかしてないのか定かではなかったが、僕自身の緊張を解す意味も込めて、話しかけてみる。

「その…君の名前は何ていうのかな?」
「…川嶋、榮莉です」
「川嶋さん、か……僕の名前は、知ってる?」

こくり。

「そう…何年生?」
「1年、です」

後輩か。
確かにそんな雰囲気だ。
まだまだ幼さが抜け切れていない感がある。
まぁ、僕も人の事は言えないが。

「あ、あのっ!」
「な、何?」

突如、彼女が大声を出す。
緊張を無理矢理打ち消す様に。
いきなりの事で多少驚きながらも、僕は平静を装う。

「……」

彼女が、口をきゅっと閉じる。
溜める様に。
次の言葉を言うための力を、体内で蓄える様に。
その姿に、僕も何故か緊張する。
何を言われるのか。
顔を赤くして、何かを言おうと頑張る少女。
あぁ…これはやっぱり…。

「あのっ、直枝先輩の事が好きなんですっ!付き合ってくださいっ」

一息で言い切って、深々とお辞儀をする。
それを見て、何故か僕は。
あれだけ昂ぶっていた気持ちが、ゆっくりと静まっていくのを感じていた。
何だろう。
彼女のこの必死な姿はむしろ好感が持てるし、可愛らしいのに。
冷めたわけではない。
けれども、彼女に対してのときめきはあっさりと立ち消えてしまった。

「ごめん……僕、彼女いるから…」

自然とそんな言葉が出た。
脳裏に、葉留佳さんの笑顔が描かれていた。
川嶋さんは僕の言葉を聞いて、自嘲気味の笑みを浮かべた。

「そう、ですよね……わかってました。三枝葉留佳さん…ですよね?」
「うん」
「知ってたんです。でも、伝えたいって気持ちばかりが膨らんでしまって…こうするしか、なかったんです」
「…」
「迷惑…でしたよね?ごめんなさい」
「いや、そんな事はないよ」

本心だった。
応える事はできないけれど、好意を伝えられて嫌になるわけなかった。
嬉しかった。
結局、こんな事を思っている僕も独り善がりだ。
彼女がいると知りながら想いを伝えにきたこの子と。
嬉しいと感じつつも彼女の期待には応えれない僕。
おあいこだった。

「それじゃ、いつまでも2人きりでいると三枝先輩に誤解されちゃいますので…」

彼女が手にぶら下げていた鞄を握りなおす。
そして、去っていく。
僕はそれを見送る。
そして、途中で彼女が振り返って。

「直枝先輩っ」
「ん?」
「今日は、来てくれてありがとうございましたっ」

快活な声でそう言って、また深いお辞儀をして、走り去っていった。
顔を上げて、一度僕に笑いかけてから。
彼女の目尻が、心なしか光っていた様な気がした。
川嶋さんのいなくなった方向を漠然と見つめた後、僕は溜め息を吐いて、ベンチに座った。
錆付いたベンチが、僕の体重を感じて、ぎちぎちと不快な音を鳴らした。
何だか、どっと疲れたなぁ…。
背もたれに体を預けながら、空を見る。
曇っていた。
今日は夜に一雨降るかなぁ…。

ぽんぽんっ。

そんな事を考えていたら、突如後ろから肩を叩かれる。
まさか人がいると思ってなかった僕は、吃驚して後ろを振り返る。
何とそこにいたのは、葉留佳さんだった。

「……葉留佳さん」
「やはー、理樹君」

いつもの様に軽いノリで挨拶をした葉留佳さんは、ベンチの後ろから回り込んで、僕の隣に腰掛ける。
2人分の体重に悲鳴を上げる様に、ベンチはまた不協和音を繰り出していた。

「何だー、私はそんなに重くないんだぞー」
「葉留佳さん、どうしてここに…?」
「ん?つけてきたから」
「あっそ…」

事も無げに言われてしまったので、追求する気も失せる。
2人で、空を見上げた。
空に目線を向けたまま、葉留佳さんが口を開く。

「理樹君はけっこう移り気だからなぁ〜」
「そんな事はないよ…」
「嘘ばっかり」

じと目で睨まれ、口を噤む。
正直どれも誤解ばかりな様な気がするが、僕には過去の失態が多い。
自信満々に言う事は出来なかった。

「でもまぁ…」

空を見つめ、足をぶらぶらと動かしながら。

「理樹君が、私をちゃんと『彼女』って言ってくれて、嬉しかったよ」

そう言って、穏やかに笑ったのだった。
その表情を見て、僕にはやっぱり葉留佳さんが一番好きなんだと、再確認したのだった。

「もし何かしようものなら、鋸で裂いちゃう所だったよー」
「……」

空恐ろしい事を言う彼女だけどね…。 inserted by FC2 system