「ご注文お決まりでしたら、横のボタンを押してお呼びください」

可愛らしい制服を着たウエイトレスが、ふわりとスカートを舞わせて去っていく。
それを特に何の感情も起こさず一瞥し、顔を戻す。
向かいに座るは、人相の悪い男性。

「あん?灰皿はどこだ…?」
「こっちですよ」
「おぉ、気が利くじゃねぇか」

僕側に置いてあった白い灰皿を滑らす。
シニカルに笑った後、男性は胸ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出し、火をつけた。
ゆら…と、頭上に紫煙が上った。

「…で?」
「あ?」
「何で僕があなたとこんな所にいなければならないんですか?……三枝晶さん」
「けっ、相変わらず生意気なガキだぜ」

男性……晶さんは、愉快気に唇を歪めた。
今から1時間ほど前。
まだ僕が、葉留佳さんの家にお邪魔していた頃。
帰宅した葉留佳さんの両手には、大量の食材が入ったビニール袋。
そしてついて出た言葉は、『二木さんの引越し祝いをする』というもの。
夕飯時に帰ってきた二木さんをあっと驚かせる計画だったらしいが、予想以上に早く二木さんが帰宅してしまったので隠す意味もなく、僕と二木さんの前でそう言いながら彼女は笑った。
そして、その『引越し祝い』の中の面子には、僕も含まれていた。
僕も含めて、驚かせる作戦だった様だ。
種明かしをした所で、腕を巻くって料理へ意気込む葉留佳さんと、やれやれと言いながら手伝おうと食材を取り出す二木さん。
そして、夕闇が濃くなったその頃に帰ってくる両親。
そこには、もう冷たい家族はいなかった。
誰もが感情のままに表情を、声を出していた。
僕はそれを見て……帰る事にした。
葉留佳さんも、両親も、二木さんも何故と詰め寄るばかりだったが、門限があるからと苦しい言い訳をして彼女らの家を出た。
それが20分程前。
街中のとあるベンチ。
見覚えのあるベンチ。
そして……見覚えのある男。
僕は足を止め、その男性……三枝晶を見た。
彼も、僕に気づく。
数秒の沈黙後……彼は、こう言った。

『ついてこい』

ベンチから立ち上がり、つかつかとどこかへと歩いていく晶さん。
無視して帰るわけにもいかず、ついてきた結果が………この、喫茶店だったのだ。
何の意図かもわからず、こうして座り込み……今に至るわけである。

「いいじゃねぇかよ、知らねぇ仲じゃねぇんだし」
「……」
「たまにはこういうのも面白いかも、しれねぇだろ?」
「……あなたは、あの家には行かないんですか?」

指の間に挟んでいたタバコが、ピクリと揺れる。
晶さんの顔が、すぅ…と素面に戻っていく。
そのまま何も言わず、一度タバコを灰皿の縁に叩きつけ、灰を落とした。

「今日は、佳奈多さんの引越し祝いだと言っていました」
「……」
「あなたは、彼女らの親でしょう?こんな所にいないで、一度だけでも顔を見せに行けば……」
「行かねぇよ」

遮るように、言った。
視線を彼に定めた。
いつかの様な、荒れた目ではなかった。
何の、色も見えなかった。
暫し膠着した後、気を抜くように、彼は背もたれにしなだれた。

「あそこは4人の家だ。3人だった家が、今日4人になったんだ」
「……」
「誰の邪魔も入らねぇ、4人の『家族』が一同に介して、笑い合う日なんだよ。今日はな…」
「……」
「だからお前ものこのこと帰ってきたんだろう?自分がいるなんて野暮だってな」

タバコをもみ消しながら、こちらを見る。
見透かす様な、目だった。
そして、その通り、僕は見透かされた。
1人だけ、離れた場所で。
4人の笑い合う姿を眺めて。
今日という、祝福すべき日の、4人が集う会食の中に僕がいていいのか…?
そんな疑問が湧き、僕の脳内は『否』と結論を出した。
だから今、僕はここにいる。
三枝晶と、対峙している。

「確かに俺は血の繋がった間柄かもしれねぇけどな……あそこに入る人間ではねぇんだ。特に、今日はな」

自らに聞かせる様に呟き、窓越しに外を眺めた。
もしかしたら、この人も祝ってあげたいのかもしれない。
いや、きっとそうに違いない。
でも、あの家は彼らの家だから。
足を踏み入れる事を、しない。
今日は、あの家に『家族』が増えた日だから。

「葉留佳さんと二木さんは、本当にもう自由なんですか?」
「何だよ、真面目くさい話題ばっかだな、おい」
「……」
「……はぁ」

わざとらしく大きな溜め息を吐いた後、こちらを見た。
先程のおどけた様子は、その一瞬で消えていた。

「それを聞いてどうする?俺が『自由にはなれない』と言えば、お前は本家にでも乗り込むのか?」
「二木さんは父さんに任せると言った。父親を信頼した。そして今、その父親であるあなたが目の前にいる……そこでこの質問をするのは、おかしい事ですか?」
「………そらそうだわな」

窓から顔をこちらに戻し、もう1本、タバコに火をつけた。
気を落ち着ける様に、ゆっくりと、紫煙を上へと吐き出した。

「心配する必要はねぇ。あいつらはもう自由だ」
「……本当に?」
「信じられねぇか?」
「…いえ」
「大丈夫だ……仮にまだ不安要素が残っていようと、俺が何としてでも保証してやる、これからの自由をな」

言い切って、口にタバコを咥えた。
その姿を見て、僕はこの人はやはり凄いと思わざるを得なかった。
良い意味でも悪い意味でもなく……純粋に、凄いと。
本当にこの人は、彼女らの為とあらば再び罪を犯す事も厭わないかもしれない。
『自由』という、それだけを目標にするならば。
親とは、こういうものなのだろうか…。
世間ではどの様に罵られようと、自らの子だけは、幸福にしようと奮闘する…。
人間としては最低でも、父親としては、どうなのだろう…?
少なくとも僕は、その気持ちだけは立派だと思った。
空回りしようとも、曲折しようとも。

「……さて、辛気臭い話をやめにして、だ」

話題を変える様に声のトーンを変え、ボタンを押す。
ピンポーン、と店内にチャイム音が鳴った。

「今日は俺が奢ってやる。好きなの選べ」
「…え?」
「あぶれた者同士、ささやかに祝会と行こうぜ」

そう言って、晶さんはまたシニカルな笑みを零して、メニューに手をかけたのだった。




「何かおもしれぇ物でもあればいいんだが……おっ、そうだ。店員の0円スマイルでも強請って爆笑しようぜ」
「あんたは子供ですか……」






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