「や、やめなさい…な、直枝理樹っ」

リビングに、二木さんの張った声が響く。
しかし、それを聞き届ける者は誰1人としていなかった。
僕、以外は。

「さぁ二木さん……こっちへおいでよ」
「い、いや…来ないでっ」

にじり寄る様にして彼女に迫るも、彼女は僕が近づいたのと同じくらい後ろに下がる。
きっ、ときつく細められた目。
凛として響く声。
いずれも彼女の気の強さが滲み出ていたが、その体の動きを見る限り、それは『虚勢』と見て間違いなかった。
鉄面皮の彼女が、ここまであからさまに動揺を表すのも稀有な事だ。
それ程までに……これが、怖いのかな?
ちらつかせる様に、黒光りする『ソレ』を軽く揺らす。

「ひっ!」

しゃくり上げる様な悲鳴。
『虚勢』は、瞬く間に消え去った。
塗り固めた『虚勢』という鎧は、紙細工の様にいとも容易く拉げ、崩れ落ちた。
残るは、彼女の心の内を支配する恐怖のみ。
あぁ、何と愉快な事だろう。
あの、いつも勝ち気な二木さんが、僕に対して怯えている。
楽しい、楽しいよ、二木さん。
だから…。

「さぁ、早く『コレ』を…」
「絶対いやよっ!」
「おや?これはあなたが言い出した事なのに、それを拒絶するとは何とも支離滅裂な話だね」
「くっ……な、ならもっと別な物でも…」
「それでは意味がない。あなたが嫌で嫌で仕方がない…そういう類の物を科さないと、罰にはならない。違うかな?」
「……」

じわじわと、逃げ場を失くす様に。
外堀を埋める様に。
ゆっくりと、彼女を追い込んでいく。
じり、じり…と肉体的にも精神的にも彼女は切迫していく。

ドンッ。

「っ!?」
「あら、もう後ろにはいけないねぇ」

背中に壁を背負う二木さん。
目前には、僕。
左右には逃げられるが、今の彼女はそれすら頭に回っていなかった。
何とか僕から離れようと、ずるずると膝を曲げ、床に尻をつく。
差し込んだ西日が、彼女を赤く照らす。
きらりと光る目元。
涙が、滲んでいた。

「何も怖がる事はないさ。最初だけだよ、慣れればきっと…ね?」

笑顔で語りかけつつ、握り締められた棒状の『ソレ』をずいと彼女の前に突き出した。

「い、いやぁっ!」
「ほら、握って……そして、口元に持っていって…」

残っている片手で携帯を開く。
それを見て、彼女の目が一層大きくなり、溜まった涙が散った。

「ダ、ダメっ、お願い!待って、もう少しだけっ」
「いーや、ダメだね。さぁ、早くするんだ……それとも?二木さんは無理矢理されるのがお好みかな?」
「っ…」

僕を見上げつつも、目尻をきつく上げて睨みつけてくる。
状況は絶望的だというのに。
未だその負けん気を出してくる。
けれども、体の底から生まれる恐怖はかき消せず。
薄桃色の、ふっくらとした唇が、小刻みに震えている。
はだけたスカートから、すらりと伸びる太腿ががくがくと揺れる。
ぞくぞくと、背筋に何かが迸る。
も、もう我慢できないっ。

「さぁ二木さんっ!早くこれを持つんだ!」
「い、いやぁぁぁぁぁっ!!」



「………何やってんの?」
「あ、葉留佳さん」

二木さんと取っ組み合いをしていたら、リビングの入り口に葉留佳さんが。

「…理樹君の持ってるそれ、何?」
「マイク」

葉留佳さんに答えながら、携帯のボタンをかちり。

『ぷりっ○ゅあ、ぷりっ○ゅあ〜♪』

「……どういうこと?」
「聞いてくれる葉留佳っ!?こいつ私にこんなの歌わせようとしてるのよっ!?最低よねっ!?」
「こんなのって言わないでよ、僕がせっかく携帯でダウンロードしたのに。というか、ブラックジャック負けた二木さんが悪いんじゃないか」
「う……うるさいうるさいっ!絶対私はそんなの歌わないわよっ!」
「えー、負けた人には罰ゲームって言ったの二木さんなのにー?」
「ぐっ…」
「ばっつゲームっ、ばっつゲームっ」
「………そ、それでもやっぱり嫌よーーーっ!」

逃げ回る二木さんを追い掛け回す僕。

「………何やってんだか」

入り口でぽつんと立っていた葉留佳さんが、そう呟いた気がした。




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