最近おかしい。
「直枝、ポッキーゲームをしましょう」
「――は?」
 ……訂正、最近『佳奈多さんが』おかしい。嫌に触れ合いを求めてくるというか、妙にカップルっぽいことを意識してくるというか……なんというかまぁ、そんな感じだ。そして今求められていることはポッキーゲーム――王様ゲームとかでやらされる、男女が左右からポッキー(プリッツ等も可)を食べていき、折れたら終わりというごく単純なもの。しかし折れなかった場合は……ご想像の通りだ。
 しかしおかしい。この場合、おかしい。普通のカップルは「よーし、食後のポッキーゲームだー」なんてノリじゃこんなことやらない。あくまでゲームの中のゲームだからこそドキドキ感があったり、また相手によっては嫌悪感があったりするものだ、と僕は考える。いややったことはないけど。罰ゲームで真人と謙吾がやっているのは見たことあるけど。あれは想像に及ばない凄惨な映像だった……。
 それはさておき、真人がトレーニングに出ている土曜の午後の寮室。ベッドの上。隣には佳奈多さん。その 手にはポッキー。しかも極めて細くない方……やべ、折れにくい。決してその、えーと、恥ずかしいわけじゃない。僕と佳奈多さんは……ごほん。言いにくいことだけど、それ以上の仲ではある。ただ土曜の午後とはいえ、薄い壁の一枚向こう側には他の生徒がいるし、そもそも真人がいつ戻ってくるかもわからない。つまり僕は『節度を持ったお付き合い』というものがしたいわけなのである。むしろ自分がその気になってしまった方が怖い――のである。
「はい、直枝はチョコの方ね。仕方がないから譲ってあげるわ」
「ちょっ、ちょっ、待っ――」
 ……と、そんな僕の想いも言葉も無視して佳奈多さんはポッキーを僕の唇に突っ込み、両の掌で僕の頬を覆った上でベッドの上に押し倒すような態勢に――って横暴だー!
 かり、かり、かり……。
「…………」
 ……しかし僕はあっという間に飲み込まれてしまった。意識も、その想いも。
 佳奈多さんの長い髪が僕の顔を覆うようにして降りかかる――光が遮られ、佳奈多さんの匂いで嗅覚も満たされてしまう。そしてもちろん視覚だ。僕をまっすぐに見つめる瞳、迫ってくる唇、音を立てて崩れていくポッキー……口の中のチョコが溶けて頬を伝っているのがわかる。けれど僕は動くことができず、そのままでいた。
 ふと気付く。佳奈多さんの頬が赤みを帯び、僕の頬を包む手が酷く汗ばんでいることに。
(……そっか)
 僕と佳奈多さんが恋人同士になってから、僕は何をしてきたのだろうか。体裁、タイミング、人の目……周りばかりを気にしてしまい、佳奈多さんのことを何一つ考えちゃいないじゃないか。だから佳奈多さんのことを『おかしい』と思っていた僕の方こそおかしくて……佳奈多さんは勇気を振り絞って手にしようとしてくれたのだ。「恋人同士」の普通を。
 だからもし、この状況がおかしいとしたら――事が終わってから、「これはおかしいでしょ」って苦笑いしながら受け入れればいいのだ。そしたらきっと佳奈多さんも頬を赤らめたまま苦笑を浮かべることだろう。僕らはどちらも不器用だけど……そうして恋人らしくなっていけばいいだ。少なくとも僕はそう考える。
 佳奈多さんの吐息が鼻と唇に感じる。もうポッキーなんてものは僕の視界には入らず、文字通り佳奈多さんしか視界に入らない。両の頬に触れている手に、力がこもっているのがわかった。僕はそんな彼女の手に自分の掌を添える。愛おしい彼女を受け入れるために。
 佳奈多さんが目を閉じた。それに応えるように、僕も目を閉じる――が、それがいけなかった。
 ぽきっ。
「「あ」」
 力が入り過ぎていた僕らの間にあったポッキーは、目を閉じることによって簡単に目標をずれてしまい……文字通りぽっきりと折れてしまったのであった。
「あは……は……」
 佳奈多さん、苦笑い。
「はは……」
 僕、も苦笑い。
 僕に覆いかぶさるような状態だった佳奈多さんは元の位置に座り直し、僕もベッドの下からボックスティッシュを取り出して溶けたチョコを拭う。僕と佳奈多さんの間に、何とも言えない空気が流れてしまった。
 でも言ってしまえばいいのだ。「キスしよう」って。その一言でこの欲求は満たされるし、佳奈多さんが望んでいたことを叶えられる。そのたった一言で、終わる――はずだった。
「直枝……もう一度するわよ」
「うん、もう一度……え?」
 佳奈多さんは言った。「もう一度」と。僕が思う「キス」ではなく、「もう一度」と。
 チョコを拭ったティッシュを適当に投げ捨て振り返ると、そこにはポッキーを箱ごと持った佳奈多さんの姿――その姿はまるで「達成するまで何度でもチャレンジするのよ!」と言っているかの如く。修羅の如く。
「……佳奈多さん、キスしよう?」
 今更だけど言ってみる。
「嫌よ!」
「目的と手段が入れ替わったっ!?」
 ……そんなわけである日の土曜、僕は同居人が帰ってくるまで幸せのような罰ゲームのような時間を過ごしたのであった。

<おわれ>

 

 

 

 

 

 




    
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