「なんだいなんだいっ、あんなデレデレしちゃってさっ、理樹くんのやつぅ!」

リビングのソファに腰掛けながら、葉留佳は頬を膨らませ、声を尖らせた。
時刻は午後十時三十分を回り、点けっ放しのテレビは某報道の駅が垂れ流しにされている。

「ふーんだっ、メルアドなんか聞かれたくらいで何も起こりはしないのにっ。 へらへら笑っちゃって、ばっかでーっ!」

「加藤さん、今回の件、どう見ますか?」とコメンテーターに訊ねるキャスターなどこれっぽっちも気にすることはなく、やりようのない怒りを、桃色のクッションを目一杯抱きしめることで紛らわす。
直径三十センチ程の丸クッションが、細長い歪な形に変わる。
怒りは相当の様で、そして当分、静まりそうにない。
何故彼女がこれ程まで私憤しているのかと言えば、それは彼女の言葉通りであって、端的に経緯を説明すれば、『理樹がよくわからない女と仲良さそうにメールアドレスを交換していた』という、ただそれだけでしかなかった。

そんな光景を、葉留佳は理樹達と知り合ってから、数度見てきた。
それは例えば理樹のクラスメイトであったり、別のクラスの子であったり、下級生であったり、そして上級生であったりと、それはもう様々な女生徒が理樹に近づいてきた。
数にしてみれば両手で数え上げられる程度のものではあったが、それでも葉留佳にとっては驚愕の事実だった。
理樹がそんなに人気があるとは、彼女は知らなかったのだ。
そして気に食わなかった。
確かに理樹は優しくて、顔も可愛いし、好感の持てる男子生徒だということは、葉留佳自身もよくわかっている。
彼女はそれらとはまた別の魅力も感じているのだが、他の女生徒から見ても、一応高水準の男子であることは認めている。
だから、理樹に寄って来る女子がいたとしても、「おー、理樹くんモテますネ」と茶化すだけで留めることは出来る……のだが。
それを相手取る理樹が、鼻を伸ばすとは一体どういうことだ。
そこに葉留佳はどうしようもない怒りを感じていた。

リトルバスターズにだって、可愛い子、沢山いますヨ。
鈴ちゃんやこまりん、わんこに、姉御だって綺麗だし、みおちんも可愛いじゃん。
なんで、そんな大して知りもしない女に、ニヤニヤするかな。

つまりは、どこの馬の骨とも知れぬ女に理樹を取られるのが、葉留佳は不愉快でならないわけだ。
こういう部分は、鈴と酷似していると言えよう。
自分の理解している女なら許す、その他は許さない。
小姑顔負けの厳格判定を、葉留佳も心の中で持っているのだ。
しかし鈴と相違する最大のポイントは、葉留佳が、『自分が理樹を好いている』のを自覚していることだろう。
親友ならば、諦めもつく。
彼女らが色々な面を含めて、どれだけ可愛いかは葉留佳も理解しているし、だからこそ負けても「仕方ないかな」と折り合いをつけることが出来る。
けれど、理樹が見ず知らずの女と恋人になるという想像は、中々認めることができなかった。

自分の方が仲良いのに。
皆の方が仲良いのに。
何で。

結局の所、自分が納得できないという一点に集約されるのだ。
これだけ心を通わせてきた自分が、彼女らが、あっさりと誰かに敗北を喫するということが、葉留佳は我慢がならないのである。
自分らに見せたことのない様な、女の色香に騙されて相好を崩す理樹が、妬ましくて仕方がないのだ。

「あーっ、もう! 理樹くんのばかちん! やりちん! どてちん!」

「明日は関東から西の天気は回復し――」と伝える気象予報士そっちのけで、葉留佳は頤を叩いた。

「葉留佳、さっきから何怒鳴ってるのよ……」

言い終えるか終わらないかという時、二階から佳奈多が溜め息混じりにリビングへと入ってきた。
佳奈多の唐突な登場に葉留佳は驚く。
そして、しらばくれる様に今まで見向きもしなかったテレビへと視線を送る。

「な、何でもないよーっ……お、明日は晴れですネ」
「……直枝理樹が好きなら好きって言えばいいのに」
「お、お姉ちゃん聞いてたのっ!?」
「ええ、もちろん」

思いっきり筒抜けだった。
今思えば少し声大きかったかもしれない、とも思ったが、何よりも恥ずかしさが先に出てきて、葉留佳は思わず姉に抗議する。

「盗み聞きだっ、最低だーっ!」
「だって、あなたが家中に響く様な声で喋ってるんだもの。 嫌でも聞こえてくるわよ……しかも独り言だし」
「うっ!」

その通りなんですけどネ……いや、でもそこはスウィートな優しさで黙って見送るのが人情というものって、あ、お姉ちゃんには無理な話でしたネ。
スバズバ切り込まれ、文句の一つ二つ言いたい葉留佳であったが、全てにおいて姉が正論すぎた。
出来れば生温かい目でもって黙殺して欲しかったなんて思いも、目の前にいる姉に通用するわけもなく。
結局の所、葉留佳は唸るしかなく。

「べ、べつにっ? 私、理樹くんのこと好きとかじゃないもんっ!」

虚勢を張るくらいしか残された術はなかった。
姉とは言え、恋心を知られるのは、やはり恥ずかしかったのだ。
しかしながら、そんなバレバレすぎる強がりを、佳奈多が見抜かぬわけがない。
葉留佳も当然それをわかっていて、でもあえてそうしたのだ。
そういう幼稚な部分が、葉留佳らしいと言えば葉留佳らしかったが、そんな童心を姉である佳奈多が微笑ましく考慮するなどということは、やっぱりありはせず、

「……あ、そう。 ならいいんじゃない? 明日には直枝理樹に彼女が出来てるかもしれないけれど」

容赦なく葉留佳の胸に言葉の刃を突き立てた。
一応彼女にも情はあるらしく、布を巻いた様な柔らかめのものだったが、それでも容易に、葉留佳の心を激しく動揺させた。

「えぇっ!? い、いくら何でもそんな早くは――」
「紹介されるかもね? 『僕、彼女が出来たんだ。 この間メールアドレス交換してください、て言いに来た子なんだけど』……なんてね」
「……」

佳奈多の言いぶりに、葉留佳は絶句した。
その光景を想像して、胸が凍りついたのも原因の一つではあるのだが、まず何よりも。
お姉ちゃん、理樹くんのマネ、似てる……。
そんな茶目っ気を出す姉も珍しかったが、その口ぶりが理樹そっくりな事に、葉留佳は耳を疑った。
確かに自分やクドリャフカの紹介もあり、姉と理樹は一応の面識はある。
だが、そう何度も会話をしたところは、見た事がなかった。
正直な所、赤の他人レベルだと葉留佳は思っていたのだ。
姉はきっと、『ルームメイトと妹の知り合い』程度にしか見ていなくて、その情報も頭の片隅に放っておいているだろう、とも考えていたのだ。
しかし、今の物真似は、そんな葉留佳の考えを覆した。
傍目から見ている程度では、そして葉留佳の推測程度の面識では、あれだけ上手く声色、口調を真似ることはできないはずだからだ。
もしかして……。
葉留佳に別の推察が立とうとしかけたが、そんな事わかるはずもない佳奈多が、それを遮る様に続けた。

「葉留佳がそれでいいというなら、もちろん構わないけど?」
「っ!? い、いや、それは――」
「直枝理樹は人気あるわよねぇ……ライバル、増える一方ね」
「うっ……うぅぅぅぅっ!!」

皮肉げに唇を吊り上げた佳奈多を見やり、葉留佳はただ唸ることしか出来なった。
姉に対して色々思うところはあったが、今はそれどころではなかった。
事態は切迫している。
自分の思いを成就するためには、何かしらのアプローチをしなければならないだろうことは、葉留佳も重々理解している。
こんな所でぐだぐだ文句を言っていても、何も変わりはしないのだ、ということも。
しかしながら、それをわかっていても、実際に行動をする勇気が中々生まれてこないのだ。
もし断られたら。
恋人として歩むことを拒否されたら。
『もしも』を考え出すと、足が竦んでしまう。
でも、他の女に取られるのは嫌だ。
我侭だとは、葉留佳も思う。
でも、これが本心なのだから仕方がないのだ、とも思うのだ。

「まぁ、仮にそうなって、葉留佳が『やっぱり好きだったんだ』と泣きついてきても、私はちゃんと慰めてあげるわよ? ……一応、姉だしね?」
「お、お姉ちゃんの意地悪っ!」
「何よ、怖気づいた妹の背中を押してあげてるんじゃない。 むしろ感謝してもらいたいわね」
「だ、だってぇっ! そう言ったって急には無理だよー!」
「……まぁ、直枝理樹の事だから、心配しなくてもいいと思うけれどね」
「えっ?」
「何でもないわよ」

そう言って、困った様に顔をくしゃくしゃにする葉留佳を放置して、佳奈多は言葉を切った。
まるで、自分に言い聞かせる様に。
そして、それで話は終わりと言わんばかりに、唐突に話題を変える。

「ところで葉留佳、明日提出予定の数学の課題はやったの?」
「え?」
「一昨日出てたでしょう? 教科書の八十五ページの章末問題解いてくるようにって」
「……あー」
「……葉留佳?」
「ま、まぁ、たまにはサボるのもいいことですよネ」
「……」
「……」

沈黙。
耐え切れず、葉留佳がたははと笑いながら続け。

「た、怠惰な日常への刺激というやつですヨ」
「あなたはいつものことでしょう! 今すぐやってきなさい!!」
「は、はいぃっ!」

一喝。
佳奈多の剣幕に怯え、今までの恋の悩みなど綺麗さっぱり忘れて、葉留佳は自室へと逃げる様に駆け込んで行った。
その様を睨みつける様に見送ってから、佳奈多はどすっ、と乱暴な動作でソファに腰を沈ませる。
そうして、一つ、長い溜め息。
今日何度目かもわからない、大きな溜め息を吐く。

「色々、大変ね……」

何がとも言わず、佳奈多は重々しくそう吐き出した。
「また明日、お会いしましょう」と、テレビに映るニュースキャスターが締めくくり、番組は終わりを告げる。
時刻は十一時を過ぎていた。

「明日は……」

いいこと、あるかしら。
何だかよくわからないコマーシャルをBGMにしながら、佳奈多は明くる日の事を考える。
先程話題に上ったからだろうか、理樹の存在が、佳奈多の脳裡に去来した。
直枝理樹。
リトルバスターズの一人。
ルームメイトの想い人。
そして同じく、妹の恋している男子。
『傍迷惑な、やっかいな奴ら』の一人。
自分を困らせている集団の、一員。
自分の――。

「本当、大変よね……」

そう呟いて、佳奈多は思考を切った。
その直後、二階からガチャリと扉の開く音が聞こえた。
それを耳に入れ、佳奈多はまた小さく溜め息を吐いて、腰を上げる。
葉留佳が課題が解けず助けを求めにきたのだろうということを、彼女は瞬時に察した。

「お姉ちゃーん!」

予想通り、階段から妹の声が聞こえてきた。
こうなるとわかっていたとは言え、あまりに予定調和すぎるなと感じ、けれどそれも悪くないかなとも思い、一人頬を緩ませる。
まずは……。
兎にも角にも、妹の課題を片付けるのが先決ね。

そう佳奈多は結論づけ。
軽い足取りで、リビングを後にした――。



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