昼休み、佳奈多は委員会の残務処理に頭を悩ませていた。
残務と言っても、提出された書類に目を通したりサインを入れたり判を押したりと、そう頭を使うものではないのだが、一向に捗らない。
何故かと言われれば。

「ねぇ見てこのメール。 どう返そう?」
「えぇっ、授業中にこんなメール送ってきたのっ? 信じられないっ」
「普通に返せばいんじゃね? 『ナスかニンジンだよ』って」
「そんなん私が馬鹿みたいじゃない!」

作業する場所として教室を選んだからに他ならなかった。
教室は喧しすぎた。
隣の机に寄り集まってだべる同級生の声は、否応にも集中力を削いでいく。
ところかしこに集まってぺちゃくちゃと騒ぐクラスメイトの声は、佳奈多の意識を文面からぐいぐいと引き離す。
作業をするには、圧倒的に不適切な場所としか言い様がなかった。
――場所、完璧に間違えたわね……。
取り組み始めて二十分、我慢を続けてきた佳奈多であったが、とうとう諦めることにした。
米神を揉み、書類を机に放り投げる。
ちらと時計を見る。
時刻は十二時五十五分、次の授業まで最大で後十分。
そして、目の前に放った書類の束へと目を移す。
ざっと見積もっても後二十枚はある。
とてもではないが、全てを処理しきることは出来そうになかった。

「ふぅ……」

大きく溜め息をつき、筆記用具も筆箱に収めた。
今無理してやることはない、少しは休憩も必要だろう。
佳奈多の頭はそう判断する。
それらは、本日中に済ませればいいものだった。
だからこそ、佳奈多は今処理しきることを諦めたのだった。

「恭介先輩、カッコイイよねー!」
「そうねぇ、謙吾君もかっこいいけど、やっぱり恭介先輩かなぁ」
「うんうん、私も私も!」

ふと佳奈多の耳に、二つ程横に離れた机に集まっていたクラスメイトの女子達の、そんな会話が耳に入ってきた。
棗恭介。
宮沢謙吾。
リトルバスターズ。

「はぁ……」

佳奈多が、先程よりも大きな溜め息を吐く。
彼らの名を聞く度に、ズキズキと頭が痛んだ。
どうしてこう、彼らは好き好んで問題という問題を起こしていくのだろうか。
「え? だって楽しいじゃん」とほがらかに言ってのけたかつての妹を思い起こしながら、佳奈多は小さく頭を振った。
佳奈多にとってみれば、彼らは『傍迷惑な、やっかいな奴ら』という認識でしかない。
彼女らの様に、異性としての関心を寄せることはまずありえない。
そう、佳奈多は思っている。
確かに、恭介や謙吾が一般的に考えて、『美男子』に属される顔立ちであることはわかっている。
その容姿だけ取ってみれば、十分に魅了されるレベルのものであることも、十分に理解している。
井ノ原真人も、格好良いとはお世辞には言えないが、それでも何かしら憎めない、どこか親しみの持てる人間であろうことも認める。
あれ程馬鹿で、阿呆で、そして面白い人間もそうはいないだろう。
あくまで、一般的思考に基づくことを前提にするならば、だが。
佳奈多にとってはやはり、仮にそういった魅力をわかっていたとしても、認めていたとしても、『困った集団』でしかないのである。
昼休みに缶蹴りをしたり。
場所構わずバトルと称した乱闘騒ぎを始めるし。
欲しかった人材の来ヶ谷唯湖を引きこむし。
妹もいるし。
ルームメイトもちゃっかり輪に入ってわふわふ言ってるし。
最終的に仕事が増えることには変わりないし。
――何なのよ、あの集団は……。
そうしてまた一つ、幸せを吐き出すかの様に、佳奈多が溜め息を入れようとしたところで。

「……わ、私は、直枝君がいいなぁ」

ピク。
佳奈多の肩が揺れた。

「マジでっ!? あんたも中々えぐいとこいくわねぇ」
「そう? 直枝君、けっこう人気あるのよ?」
「あー、確かにそんな話聞いたことあるかも。 というか、他の友達も何人か言ってたし」
「や、優しそうだし……」
「顔も悪くないしね。 子どもっぽいっちゃっぽいけど」

「あはは、言えてるわねっ」と一際明るい女生徒の声をきっかけに、彼女らに笑いが起こる。
そんな会話を、耳を大きくして盗み聞く佳奈多は、些か驚いていた。
――直枝理樹って……。
けっこうモテるのね、と。
リトルバスターズの金魚の糞。
何処かでそんな揶揄を、佳奈多は聞いたことがあった。
彼らを嫌う生徒達が発した言葉である。
それを聞いた佳奈多は、失礼ながらも、なるほどと心中で頷いてしまった。
恭介の様に目立っているわけでもなく。
謙吾の様に格好良いわけでもなく。
真人の様に面白いわけでもない。
言ってみれば、あれ程奇異な集団に属している方がおかしいと思われる様な、極々普通の人間。
どれだけ彼らに憧れ、近づこうとしたところで、結局は一般人としての枠から外れることは出来ない。
それが直枝理樹。
生徒達の概ねの見解はそんなところであろうし、だからこそ揶揄が飛ぶのであろう。
実際は彼も相当の変わり者なのだが、それを知っている人間は数少ない。
外向けの顔を持っているという、ある意味で腹黒い一面をも、理樹という人間は持っているのだから。
そして佳奈多は、それを知っている希少な人物の一人である。
妹やルームメイトのこともあり、素の直枝理樹を幾度となく見てきた彼女は、直枝理樹が紛れもなくリトルバスターズの一員であることを認めている。
しかしながら、またしても一般的視点で見るならば、やはり直枝理樹は普通にカテゴライズされる人間と評すしかない。
目立たない。
それ程格好良くもない。
良く言えば優しい、悪く言えばなよなよしている。
恭介や謙吾、真人と比べれば、どうしても霞んでしまう存在と言うほかない。
だからこそ、驚いた。
そこいらにいる男子生徒と大して変わらない直枝理樹に懸想する女生徒が多いことに驚いた。
比較対象に恭介や謙吾がいるというのに、そこで理樹に目をつける少女がいることに目を衝かれた。

「しっかし、直枝君ねぇ……案外イケそうじゃない?」
「どうかしら。 彼の周りには可愛い子多いし」
「り、鈴ちゃんとか、能美さんとか」
「あー、なるほど。 考えてみれば、直枝君十分にモテてるわね」
「そういうこと。 ライバルは多いわよ?」
「い、いやっ、別に狙ってるとかそういうことじゃないし……」

――まぁ。
引き続き女生徒達の会話を聞きながら、心中で区切る様にそう呟いて、佳奈多も同様に考えを改めた。
確かにリトルバスターズの女性陣の人気を一挙に集めているのは、恭介でも謙吾でも、そして真人でもなく、彼女が『普通に考えればただただ普通の男』と下した理樹だ。
ルームメイトのネイティブを夢見る犬もそうだし、妹もそう見えるし、来ヶ谷唯湖も、どういう対象として見ているのかは謎だが、理樹を特に可愛がっている。
幼馴染の棗鈴に関しては言うに及ばず、西園美魚は情報が少ないので唯湖以上に謎ではあったが、中庭での二人が仲睦まじげに話をしていたという目撃情報が多数寄せられていることを考えれば、恭介ら以上に何かしらの好意を持っていると見てもいい。
だから、直枝理樹にはそういう、女性に好かれる様な魅力があるということなのだろう、と佳奈多は推察する。
それがどこから生まれているのか、具体的なことは何一つとしてわからなかったが、佳奈多はそこで納得することにした。
――要するに、スケコマシってことね。
心の中で吐き捨て、何故かいらついてきた思考を切った。
優柔不断な人間だからだろう、ということにして。
そして、そこで昼休み終了の鐘が鳴る。

「あー、次現国かー。 眠くなりそう」
「別に当てられるわけじゃないし、寝てもいいじゃん?」
「いい天気だしね……」

チャイムを皮切りに、ぞろぞろとクラスメイト達が自分の席へと戻っていく。
昼休みの時とは違う、もっとがやがやとした喧騒に耳を澄ませながら、佳奈多は目を瞑った。
――葉留佳は、まだあっちの教室にいるのかしら。
ふと脳裡に、妹の顔が掠めた。
自分との仲もそれなりに改善され、クラスメイトともようやく打ち解け始めた葉留佳はしかし、やはり休み時間には教室を留守にすることが多かった。
言うまでもなく、彼女はリトルバスターズメンバーが多く集うクラスへと行っているのだ。
きっと、いつもの様に無茶を言って、あの集団を一段と賑わせていることだろう。
そして想い人をからかって、困らせて、晴れ渡った笑顔を浮かべていることだろう。
そう思うと、自然と佳奈多の頬も緩んだ。
――願わくば……。
節度を守った騒ぎをしてほしいものね、と結論づけた。
妹の恋に関しては、何も考えずに。
そうして、佳奈多はゆっくりと目を開けた。
次の授業は現代国語だ。

昼休み終了後の倦怠感に包まれた教室に小さく溜め息を吐いて、佳奈多は授業の準備をするのだった。



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