「理樹君、あけましておめでとう。新年の挨拶ということでもずくを持ってきてあげたぞ」

そんなことを言って来ヶ谷さんが僕の部屋にやってきたのは、年が明けてから五時間ほど経った、外の暗さ的にまだまだ夜と言って差し支えないくらいな朝方のことだった。
元旦ということでさすがに起きてはいたものの、まさか携帯に連絡もなく、女子がこんな時間にいきなり部屋を訪れてくるなんて露にも思っておらず、何食わぬ顔で部屋に入ってきて柿ピーが広げられているみかん箱にカップもずくを一個、とんと置いてベッドに腰掛ける来ヶ谷さんの姿を、僕はピーナッツを手に持ったまま、ただただ呆然と見る他なかった。
ちなみに真人は三十分前に出かけていて部屋にはいない。
曰く、「年越しを筋肉で盛り上げ、興奮の余韻に浸る筋肉の余韻に浸りつつ、筋肉の丘で初筋肉の出を筋肉する。それが、俺にとって最高の年明け筋肉なんだ」、とのこと。
元旦らしく、何だか清々しく、そしてちょっと厳かにそんな話を聞かせてくれると、真人は「お前も、筋肉るか?」という謎の誘いを僕にかけてきてくれたのだが、丁重にお断りしておいた。
とりあえず、どこだ、筋肉の丘。

「さて、理樹君」

唐突な来客に現実から五十ノーティカルマイルくらい離れてしまっていた僕の意識を、来ヶ谷さんの改まったような一言が呼び戻す。
とりあえず筋肉の丘の所在地についての思考を切り捨て、どうしたのかと来ヶ谷さんに目を向けてみると、何だか妙に真剣な目つきをしているので、思わず居住まいを正す。
そんな僕の態度に満足げに一度大きく頷いた来ヶ谷さんは、黒のコートを脱いで壁にかかっていたハンガーにかけ、ベッドではなく、みかん箱を挟むようにして僕の反対側に正坐する。
そしてすぐに立ち上がって、今ハンガーにかけたコートを勢いよく剥ぎ取り、身に纏って言った。

「鈴君のぱんつでも拝みに行こうじゃないか」
「いや今のおかしいでしょ!?」
「なんだ、鈴君のぱんつでは不満か?」
「そういう話じゃないよっ! あ、いや、確かにそこもおかしいけどっ」
「よし、ならクドリャフカ君のぱんつにしようか」
「今の一連の動きに疑問持ちなよ!? それとクドのぱんつとか果てしなくどうでもいいから!」
「どこかおかしかったか? というか、今少年さらりとひどいこと言わなかったか?」
「いや、気のせいだよ。目の錯覚だよ」
「うむ、動揺が面白いくらいに見て取れるのは、目の錯覚ではないらしいな」

わざわざ正しい用法でもって返してくる来ヶ谷さんに、僕はピーピーと口笛を吹いてごまかす。
誰だって、口が滑ってしまう時はあるものさ。

「では少年は、ぱんつを盗み見する気はない、と?」
「当たり前だよ。新年初っ端から変態の烙印押されかねない行動なんて取りたくないよ」

ただでさえ今こうして女子生徒を深夜に部屋に入れているのだ。
来ヶ谷さんと言えどこの事態がバレてしまったら、周囲の奇異の目線と親友達の詰問が殺到するであろうことは目に見えている。
これ以上リスキーな行動は避けたかった。

「だがな、理樹君。世の中には、姫はじめという言葉が存在してだな」

そう言って、来ヶ谷さんが今度こそコートを脱いで腰を落ち着けたので、僕も再び座って、話を聞くことにする。

「姫はじめ?」
「うむ。由来は諸説あり、そもそも何を意味した言葉なのかもわかっていないのだが、一般には、男女がその年に初めて性交をすることと考えられている」
「せ、せいこっ――」
「落ち着け、まぁ落ち着きたまえ少年」

また突然何言い出すのさっ。
と言いかけた僕を、来ヶ谷さんが意味深な笑みを浮かべたまま手で制す。
口をあんぐりと開けたものの言葉を吐き出すことも適わず、仕方なく深いため息だけを吐き出し、浮かしかけた腰をゆっくりと沈め、また話を聞く姿勢に戻る。

「そう、世の中にはそんな言葉がある。確実に存在し、一般に浸透しているのだよ。もしかしたら、鈴君やクドリャ……小毬君のぱんつを拝みに行くことを、「新年初っ端からそんなこと」と言って拒む少年は、信じてくれないかもしれない。「そんなバカな」と鼻で笑うかもしれない。だがな、現実に世の中は「姫はじめ」と騒いで、新年の粛々とした空気など棚の最上段に放り投げて、獣の如く互いの体を貪る連中で溢れているんだ」
「そ、そうなの?」
「年越しの瞬間を恋人と、なんて考える輩は多いだろう? そんな奴らが、年を越して新年の挨拶をして初詣に行って……それだけで終わると思うか?」
「………」
「きっと、終わらないさ。君と私がこうして話している間も、何百何千何万というカップルが乳繰り合っていることだろう」
「……まぁ、そうなのかもしれないけど、それと、ぱんつを見に行くことはどういう関係があるの?」
「いや、特にない」
「えぇー」

今の小話はいったいなんだったんだ。

「何かそれらしい言葉でこじつけたら納得してくれるかと考えたんだが、途中で無理だと諦めた。なかったことにしてくれ」
「ちょっと真剣に聞き始めてた僕がバカみたいじゃないか」

僕のそんな呟きに、来ヶ谷さんがはっはっはと笑う。
彼女は僕で暇つぶしをするためにここにやってきたんじゃないかと、この瞬間僕は本気で思った。
そしてその推測は恐らく正しいのだろうが、聞いたところではぐらかされるのが西園さんのおっぱいのなさくらい目に見えていたので、内心で留めるだけにしておいた。

「まぁ、少年がそこまで嫌がるのなら無理強いはしないがな」

来ヶ谷さんはそう言うと、みかん箱に置いてあった柿の種を一つ取って、口に放り込む。
帰る気はないらしい。
いや、ぱんつを見に行こうと誘うためだけに来たなんてのも嫌すぎるから居座ること自体は別にいいのだが。
とりあえず悪乗りに付き合わされなくて済んだらしいということに安堵し、僕も今まで持ち続けていたピーナッツを食べる。
別に温くなったりしていたなんてことはなかったのだが、手の中にひたすらあったということで、口の中に入ったピーナッツが仄かな温もりを持っている気がして、なんかちょっといやだった。
でも、おいしい。
そのまま黙々と三粒ほどピーナッツを連続で食べ進めると、同じように柿の種をつまんでいた来ヶ谷さんが、思案しているかのようにぼんやりとした顔をしながら、僕にも聞こえるくらいの声でつぶやいた。

「佳奈多君は、柑橘類が苦手らしいが」
「うん、そうみたいだけど」
「それは味とか香りがダメなのだろうか。それとも、姿かたち自体にすらもう抵抗感があるのだろうか」
「さぁ、そこまでは知らないけど。それがどうかしたの?」
「いや、果物の柄が入ったぱんつなんかは穿いたりするのだろうか、と思ってな」

今日の来ヶ谷さんはなぜこうもぱんつを推すのだろうか。
僕はむしろそちらの方が疑問で仕方がなかった。

「……まぁ、可愛いと思ったら、穿くんじゃないの?」
「だが柑橘類だぞ、少年。大嫌いなはずの柑橘類を自ら身につけるなんて行為を、佳奈多君がするとは思えん」
「じゃぁ、穿かないんじゃない?」
「しかしもし仮に少年の言うように「あ、これ可愛い」とか思った場合、実際に買って穿くかどうかは別として、佳奈多君は頭の中で相当の自問自答をし、葛藤をするということになるわけだ」
「……まぁ」
「それは、ものすごく可愛くないか?」
「うん、ものすごくどうでもいい話だね」

来ヶ谷さんが不満そうに眉を潜めた。
いや、そんな同意を求められても困りますよ。

「少年はイマジネーションが足りない。ほら、佳奈多君が下着売り場で一人むっつりとした顔をしながらじっと果物柄のぱんつを見つめているというシチュエーションを想像してみたまえ」
「いや、そもそもそんな子供くさいぱんつ、クドならまだしも佳奈多さんは穿かないでしょ」
「そんなものわからないじゃないか。というか今君はまたひどいことを言った気がするが」
「気のせいだよ。ほら、枯れ尾花がどうこうっていう、あれだよ」
「つまり錯覚だな」
「うん」
「今日の君は天丼が好きだな」
「今日の来ヶ谷さんがぱんつごり押しなのと同じようなもんだよ」
「そうか」

来ヶ谷さんがピーナッツを一粒食べる。
僕も食べる。
コリコリと噛み砕く音が部屋を包む。
もぐもぐ。

「暇だな」
「というか何で来たの」
「鈴君のぱんつを見に行こうと計画した瞬間、居ても立ってもいられなかった」
「それで僕のところに来る意味がわからないんだけど」
「少年なら二つ返事で乗ってくると思ったんだ。興奮しすぎて全裸になって女子寮に突っ込むところまで想定していたのだが」
「靴は履くよ」
「そうだな」

裸足はキケンだな、と言って、来ヶ谷さんは柿の種を口に運んだ。
寝ていないのだろうか、勢いがあったのは最初だけで、今は声色や表情からそこはかとない倦怠感がうかがえる。
それは僕も同じで、声を張る気力すらもうなくなり、でも寝たら彼女に何されるかわかったものではないので、何とか柿ピーをつまみつつ話題を探した。

「初日の出とか、見に行く?」
「外は寒いな。却下だ」
「だね」
「皆と初詣に行くのは、十時だったか」
「うん。校門集合」
「自分の部屋に戻ったら寝てしまいそうだな。このまま時間まで理樹君の部屋にいるとしよう」
「僕、寝たいんですけど」
「ふふ、今夜は寝かさないぞ、少年」
「もう朝ですけど」
「ふふ、今朝は寝かさないぞ、少年」
「語感悪いねそれ」


ふざけようとしてふざけられず。
突っ込もうとして突っ込めない。
平常時よりも七十パーセント減くらいのテンションで、元旦の朝を来ヶ谷さんとまったりトークをして過ごす。
これはこれで悪くないかもしれないねなんて、もずくを完膚なきまでに無視して柿ピーをつまみつつ、僕らは力なく笑い合う。
なんだかんだで年明けの深夜に二人で過ごす男女であるはずの僕と来ヶ谷さんは、寝不足から来る気だるさを隠すこともせず、柿ピーを食べ続けるのだった。




    
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