理樹不在という情報を手にした佳奈多は、すぐさま新たな目的地へと向かう為に廊下へと飛び出した。
東の山からようやく全身を顕にした太陽が、窓を通して廊下に白色の光を注ぎ込む。
サッシが床に陰を作り、そして佳奈多の体も光を遮るのに加担する。
本来届くはずの陽光は佳奈多の半身に過不足なく当てられ、黒地の制服がぐんぐんと熱を吸い込んでいき、半身だけがまるで春の陽気を思わせるかの様な暖かみを感じさせた。
白みがかった空には細長いきれぎれの雲が1つ2つある程度。
木々は緩く吹く風を受け心地よさそうに揺れ、いち早く冬に向けて変わり身を果たした葉が、その柔らかい風に乗って空へと運ばれていく。
清々しい朝である。

「ったく、あの男は性懲りもせず毎度毎度……!」

だがそんな爽やかな気分になれそうな情景とは反比例に、風紀委員長二木佳奈多様のご機嫌は下落の一途を辿っていた。
苛立たしげに愚痴を吐き捨て、床を踏む足も心なしか乱暴だ。
そうさせている原因は言うまでもなく本日の校内を騒然とさせている人物、直枝理樹に他ならず、だからこそこうして彼女自ら風紀委員として朝から歩き回らなければならない羽目になっているわけなのだが。

佳奈多とリトルバスターズの相性はすこぶる悪い。
とかく学校では風紀委員としての顔しか見せない佳奈多にとって、事あるごとに騒ぎを起こすリトルバスターズは迷惑極まりない集団である。
仮に本来の性格を曝け出したとしても、秩序や様式にこだわる彼女ではやはり相容れない部分があり、妹が世話になっているとはいえ、彼らの中に混じる気など毛ほどもなかった。
それでも、以前に比べれば対応も随分と丸くなったものだと、周りの人間は言う。
佳奈多自身もそれは感じていた。
実際の所、個々に見れば彼らは邪険に扱う程いけ好かない人間ではないということを、今年に入ってからのある程度の交流で理解していたのだ。
それは妹である三枝葉留佳を通しての情報であったり、以前からの知り合いである来ヶ谷唯湖との会話からであったり、またはルームメイトとなった能美クドリャフカとの生活からであったりと、今年の春先から何かとリトルバスターズの面々と顔を合わせる機会が多くなったことが心境を変えるきっかけとなったのだろう。
とりわけ女性陣はわりかし素直に言う事を聞き、なおかつ心優しい――一部はわかりづらいが――者ばかりであったことは、佳奈多が知らなかったものであった。
だからこそ何故馬鹿騒ぎに興ずるのかという疑問は今までのどの教科の難問を解くよりも佳奈多には難しいことであったが、結論として『棗恭介が何か手を打ったのだろう』というものに落ち着き、標的を彼を含めた男性陣へと集中させることにしたのだった。

そしてその男性陣。
棗恭介、井ノ原真人、宮沢謙吾……そして、直枝理樹。
佳奈多にとってこれ程骨の折れる相手はそうはいないだろう。
その思考は奇天烈、あまりにも異次元すぎてただの馬鹿と嘲ることをさせてくれない目茶苦茶ぶり。
『馬鹿』にもこれだけ種類があるのかと佳奈多を驚愕させたのは、先にも後にも、恐らく彼らしかいないだろう。
その中の1人、直枝理樹が今回の相手。
4人の中で1番面識がある人間でもある。
理樹はメンバーの中で男女問わず可愛がられ、慕われており、佳奈多が女性メンバーと話をする時は誰の口からも度々話題に上る程である。
葉留佳の口からもしばしば彼の名前が飛び出すことがあり、その時の楽しそうな顔を見る限り、妹は理樹に恋をしているのだろうと佳奈多は思っている――本人は顔を真っ赤にして否定しているが――。
当然ルームメイトや妹からそれだけ評判を言い聞かせれていれば、佳奈多であろうとも興味が湧いてくるというもので。
夏季休暇が明けて少し経った頃、初夏の本当に少しだけの会話から半年弱、理樹と佳奈多はようやくまともな初対面を迎えることとなる。
今思えば、それが発端だったのかもしれないと、佳奈多は思っていた。
なまじ知り合ったものだから、理樹を皮切りにリトルバスターズを矯正させようと目論んだ佳奈多であったが、物の見事に彼らの……いや、理樹のペースへと巻き込まれていく。
ただのツッコミ役と舐めてかかってみれば、やはり彼とてリトルバスターズの一員であったことをまざまざと感じさせられたのである。
いくらまともに見えようと、馬鹿は馬鹿。
阿呆は阿呆。
エロはエロ。
リトルバスターズと関わったことで得た、佳奈多の真理であった。

とはいえ、である。
今回の騒動、理樹女装願望疑惑。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、まさかこんなネタで騒ぎを起こすのはどうなのだと、佳奈多はそれを知ってからかれこれ数十回目の疑問を自らに投げかける。
新聞部の壁新聞はお堅いことで有名なのは、佳奈多も知るところではあった。
同時に、あまり人気がないことも。
そんな寂れた壁新聞ではあったが、風紀委員として校内のあらゆる情報を網羅している彼女にとって、その情報の正確さという点は、信用できるものであった。
それは今まで今回の様なゴシップ的な内容を取り扱ったことがなかったからというのもあるが、彼女がこの学校に在籍して早1年と半年強、でっちあげが行われたなんて話を聞いたこともなければ、過去にそんなことがあったなどという話も耳にしたことがなかった。
写真提供している写真部についてはよからぬ噂を聞くこともあったが、調査した限りでは活動内容に不審な点は見られなかったことから、佳奈多のこの2つの部に、『極々普通な部』
という評価を下していた。
つまるところ、佳奈多は壁新聞に載る情報を信頼している面があって。
ということは、理樹の願望も真実だと思っている節が強いわけで。

「変態すぎるでしょうが…っ!」

そういうことである。
直枝理樹という人間をある程度知っているであろうから、もし壁新聞がでたらめ記事ばかり載せていたら、『どうせ嘘でしょう?』と切って捨てたであろう。
また単に噂だけで理樹女装疑惑が飛び交ったとしても、彼女は騒動を起こしたという理由で怒りはすれど、その事自体を信用することはまずなかったろう。
壁新聞という学校で認可されたメディアによって報じられたそれは、騒動のみならず、理樹の人間性という面でも佳奈多のお怒りを買ってしまったということになる。
そこで彼女が失望や怒りを抱くということは、迷惑を被れど、ある程度理樹とは親しみ始めていたという証左であろう。
結局男性女性関わらずリトルバスターズの各々とは、佳奈多も馬が合うとは言わないまでもそれなりの友好関係は築けるらしかった。
それは、一声かければ多数の生徒が集まってくれるという人徳からも、リトルバスターズに所属する彼らが悪い人間ではないことがわかるだろう。
最もそれはこの学校だからこそのものなのかもしれないが、ここをまがりなりにも好いている佳奈多であれば、彼らと打ち解けることも適わないはずがない。
騒ぎを起こすのは御免被りたいことにはやはり変わりないだろうが。
だからこそ彼女の中で、友人に近い関係にまで登りつめた理樹の件の疑惑に、感情的な部分で『まさか』と、信じられない気持ちがあることも事実だった。
それは、佳奈多が思い描いている直枝理樹という人間が、そんな趣味嗜好を持っているはずがないという思いであって。
つまりは、本人から直接問いたださねば納得など到底出来ない、ということであった。

「最低……最低ね」

無際限に沸き起こる怒りを言葉でもって昇華させつつ、ばさっ、とその長く美しい髪を一振りし、廊下を突き進む。

「待ってなさい、直枝理樹……」

もしこの時彼女の姿を見かけた生徒がいたのならば、きっと背後に真っ赤な炎を見つけることが出来たに違いなかった。
いや、もしかしたらどす黒い邪気かもしれなかった。








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