「ま、まぁ、落ち着いて。そこに座ってくれよ」
「……」

言われるがままに、安っぽいソファへと僕は腰掛けた。
わずか5人という部員数で運営されている新聞部は、やはりその居城も小さいものだった。
まぁ、人数的には十分な広さを持っていると言えるが、資料を収める棚、その他用具が雑多に押し込まれたその部屋は、言ってしまえば『足の踏み場もない状況』だった。
それでもこいつらは何事もなく闊歩していられるのだから、『住めば都』というものなのだろう。
住んではいないが。
どれだけ散らかっていようが、慣れてしまえばそんなものは些細なことでしかなく、むしろこの状態でなければ落ち着かないのだろう。
平然としながら僕の目の前を行ったり来たりする部員を目細に眺めながら、そんな事を思った。

今朝方発行されたということは、まだ片付けだのなんだので部室にいる可能性が高いと踏んだ僕は、新聞部の部室へと足を向けた。
文化部の部室は校舎内に配置され、そこは『文化部棟』と呼ばれていた。
同好会クラスの部室もそこに与えられており、その規模は運動部の比ではない。
だがそこらへんの配慮はきちんとなされているのか、部室――実際は教室だが――の扉の前に、どの部もきちんと部名を貼っていてくれた。
まともに足を踏み入れた事のなかった僕でさえも、大した時間を掛けずに新聞部の部室まで辿り着けたのには、そういう理由があった。

予想通り、新聞部の奴らはいた。
朝早くに学校に来て仕上げを行っていたのだろう、慌しい物音が、部屋の外からでも聞こえてきた。
片付けでドタバタしているらしかったが……そんな事は、関係ない。
がらりと扉を開ける。
ノックもせずに部室内に入ってきた僕に、どの部員も尻餅をつくくらいの驚きを見せた。

「な、直枝っ!?」
「し、shemale!?」
「ちょっと待てっ、お前の言葉は聞き捨てならないっ!」
「ひ、ひぃぃっ!」

などという騒ぎを初っ端から展開して、5分後。
どうにか僕も、そして新聞部の奴らも落ち着きを取り戻し、話を出来る状況にまで進む事が出来た。
そして今、ソファへと案内されたというわけである。

「ティーパックで悪いけど……」
「いや、そこまで気遣いしなくても……」
「いやいや、客人だからね。出さないわけにはいかないよ」

栗林君――さっき自己紹介してくれた――が、紅茶をくれる。
綺麗な白い陶器に淹れられた、透き通った飴色の液体。
ゆらゆらと立ち上る湯気が、僕の目の前で踊っていた。
何と贅沢な、新聞部。
荒れ放題だった野球部の部室と比較しても、相当に良環境だった。
汚さには目を瞑ったとしても、だ。

「ごめん、待たせてしまった」
「いや……別にいいよ」

パックをゴミ箱に入れている間に、向こうのソファに、部長と思しき人物がやってきた。
3年は既に引退し、部の運営は2年に任されている。
ということは、こいつも2年……のはずだが、僕はこいつの名前も知らなければ、見た事もなかった。

「ん?……あぁ、自己紹介してなかったかな?俺は飯田、一応新聞部の部長をやっている」
「……僕の自己紹介は?」
「するまでもないよ、有名人」

このヤロー……。
怒りゲージが半分くらい溜まる。
さすが無断でゴシップにする部の部長だ、色々となってない。

「あっ、言っておくけど有名人って今回の話じゃないぞ?お前らが有名人って事だからなっ?」
「僕達……?」
「リトルバスターズ。校内で知らない人間がいるはずないだろ?好意にしろ嫌悪にしろ、さ」

なるほど。
怒りゲージが半減する。
栗林君にしろ飯田にしろ、思ったより新聞部のやつらは人が出来ているらしい。
どうも先程の出来事で第一印象が悪いからか、悪い方へと考えてしまうな。
このままではいけないと悟り、心を落ち着けるため、僕は紅茶へと手を伸ばした。

「……で、今回の記事なんだけど」

僕が陶器に口をつけるのを見やりながら、飯田が話し始める。
舌を火傷しないように気をつけながら、ゆっくりと茶を喉下へと流す。
……うん、うまい。

「実は、俺達新聞部はあの情報には全く関知してないんだ」
「……は?」

飯田の口から出た言葉に、思わず目が点になる。
関知してない……だって?
えーっと、つまりは、だ。
全くわからない情報を鵜呑みにして、あまつさえそれを記事にした、と?
なるほど……。
おーけーおーけー、そういうことなんだな?……飯田ぁっ!

「あの世で僕に詫び続けろ飯田ーーーーーっ!!!」
「い、いきなりどうした直枝っ!?」
「はっ!?……ごめん、何でもない。続きをお願い」
「あ、あぁ……」

しまった、つい怒りを爆発させてしまった……集中集中。
話し合いは冷静さが物を言うんだ、しっかりしろ理樹。

「……で、まぁ。答えを言ってしまうと、あれは全部写真部が持ってきた情報なんだ」
「写真部?」
「あぁ。あの写真も、何もかもな……もちろん、記事を書いたのは俺達だけど」

まぁ不思議なことではない。
どちらかが情報を持ちかけてくることなど、ざらにあるだろう。
まして今回の件は、人気のない校舎裏での突発的な出来事。
偶然通りかかった写真部の誰かが偶然に持っていたカメラで激写。
筋書き的にはどうかと思うが、ありえなくはなかった。

「でもさ、普通は僕に許可とか取りに来るもんじゃないの?」
「……確かに、そうだな。反応欲しさについやってしまった」
「それで晒された相手はたまらないだろうねぇ」
「うっ……すまん、これはどう見ても俺達が悪い。ごめん、この通りだ」

ぺこりん、と頭を下げられる。
……僕に、どうしろと。
怒りに身を任せてここに来てみれば、新聞部の奴らは意外にいい奴らで。
しかも、責任も認めて謝罪もされてしまった。
これでは、僕に出来る事といったら、1つしかないじゃないか。

「……もう、いいよ。わかったから」
「本当にすまないな。新聞の訂正は後でしっかりやっておく。周りにもきちんと喋っておくよ」
「うん、頼むよ」
「ただ……」

全てが解決に向かい始めた様な流れだったが。
それを、飯田がせき止めた。
たった一言、二文字の副詞であったが、僕の胸中に不穏な空気を呼び込むには、それで十分だった。
思わず眉を潜めた僕の表情に一度視線を向けてから、飯田が、再度口を開いた。

「写真部の奴らが、どう出るかがわからないんだ……」

未だ姿が見えぬ、黒幕……写真部。
虚偽情報を新聞部へと流した、僕の憎き敵の総本山だった。

「あいつら、どうもパパラッチみたいな電撃情報を入手するのに憧れてる部分とかあるから、俺らが訂正しても、躍起になって言いまわすかもしれないんだ」
「……そんな奴らと、君ら手を組んでるの?」
「きちんとした活動もしてるんだよ?まぁ、だから手に負えないっちゃ負えないんだけどさ」

飯田が困った様に顎を擦った。
まぁ、文字だけの新聞というのも味気ないものだし、新聞部にとっても写真部の恩恵は並々ならぬものなのだろう。
そこには利益だけの関係が成立していて、後は互いがどんな事をしようが知ったこっちゃない……それが、新聞部と写真部の間にある、暗黙の了解なのだろう。
僕が話題になっているのが、何とも困った問題なのだが。

「じゃぁ……写真部に掛け合えばいいんだね?」
「あぁ。俺もついていこうか?」
「いや、いいよ」

飯田の誘いを手で制しながら、腰を上げる。
もうここでの問題は解決した、用はない。

「誰かに力を借りたら、僕の怒りを全て吐き出せそうにないからね……」

そう言い残して、踵を返した。
どうも消化不良な感は否めないが、ここで怒りをぶつけるのはお門違いだし、事が穏便に済むならそれでいいだろう。
今回は言ってみれば中ボス。
ラスボスがまだ残っているんだ……温存しておくのは、常套手段だろう?
僕の女装癖情報をキャッチしてむふふとほくそ笑む写真部を、百烈張り手でボコボコにするイメージを何べんも繰り返しつつ、扉に手をかける。

「待ってっ!!!」

そこでかかる、女の子の声。
首だけを後ろに向けてみれば、眼鏡をかけた女の子が僕を見据えていた。
背中まで流れる髪をゴムで結わえている。
失礼だが……何とも文化部にいそうな、代名詞的な格好のコだなと思った。
そんな地味子さん――僕がたった今命名――が、若干後ろめたそうにしながら、口を開いた。

「あの……女の子の服を着た直枝さんは、きっと素敵だと、思います……」

暫し流れる沈黙の後。
僕は、緩やかに扉をスライドさせて。

「そういうキャラは、西園さんだけで十分なんだよ、地味子さん……」

諭す様に語りかけてから、僕は部室を後にした。
切なげな吐息が、背中の向こうで聞こえた気がした。





一方、時を同じくして。

「いやぁ〜、今日もだるいね」
「その意見には同意だわ。最近寒くなってきたし、朝は辛いわね」
「ほんとほんと。春がずっと続けばいいのにねぇ」

理樹のクラスは、朝の気だるげな雰囲気に包まれていた。
他のクラスは壁新聞で阿鼻叫喚となっているというのに、ここは何と落ち着いていることか。
リトルバスターズメンバーを多数抱えるこのクラスにとっては、あの程度の情報などさしたるものではないということなのか。
だがしかし。
そんな教室内にも、1つのサプライズが訪れる。
それは何てことないかの様に。
至って何事もないかの様に。
空気の中に混じっていたかの如く、唐突にそれはやってきた。

「ちょっと、いいかしら?」
「はいはい……って、げぇっ!?」
「ん?どこか変かしら?」
「あら、誰かと思えば。どうしたの?」

音もなく侵入する女生徒。
ある者は驚きで目を見開き、ある者は身だしなみを整え、またとある者は至って普通に対応する。
クラス中がその女生徒に注目する事により、空気ががらりと音を立てて変化する。
ぬるま湯の様なふやけた空気が、瞬く間に引き締められた。
それ程、この女生徒の存在感は飛びぬけていた。
今までどこにいたのか気取らせぬ手腕も含めて。

「聞きたい事があるのだけれど」
「ははっ。何でございましょ〜か」

あからさまに謙るその生徒に冷めた目を流しながら。
彼女は、単刀直入に問いを投げかけた。

「直枝理樹は、いるかしら?」

二木佳奈多、参上。
校内の秩序を司る、風紀委員会の出動の合図であった―――





 
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