恭介の見舞いの為に病院に向かう途中、小毬は駄菓子屋に寄って綿菓子を買った。昼に屋上で大きな入道雲を見てから、今日は綿あめを食べようと決めていた。 二つで六十三円。自分の分と、恭介の分。見舞いの品としては安すぎるかなと思いつつ、でもきっと恭介さんも喜んでくれるよねと自己完結する。入道雲は相変わらず空高く広がっている。二人でそんな風景を見ながら食べる綿あめはきっとおいしいだろう。口の中に溶けて広がる甘みを空想しつつ、小毬は病院へと再び足を向けた。
自分が入院していたり見舞いに何度か訪れていたこともあって、病院の雰囲気にも慣れた。病院内を我が物顔で闊歩し、すぐに恭介の病室へと辿り着く。三度ノックをし、おずおずと室内へと入る。 恭介はいた。いたが、何かを必死に読んでいた。小毬が近くまで歩み寄っても、こちらを窺う気配はない。本の表紙を覗きこんでみると、『全てが学べる自動車免許問題集』という題字が見えた。 「車の免許、ですか?」 「あぁ……って、神北。お前、何時の間に瞬間移動なんて覚えたんだ?」 目の前にいきなり神北が現れてオラびっくりだぞ。 余程驚いているのか口調がおかしい恭介に、小毬は内心で溜息を洩らす。本当に気付いてなかったんだ。 「歩いてここまで来ましたけど」 「マヂか。全然気づかなかったぜ」 「恭介さん、真剣に勉強してましたから」 「まぁ、時間がないからな。できれば退院前に取りたい」 「……もしかして、入院中に自動車学校に通う気ですか?」 「あぁ。というか、もう通っている」 まだ一段階始めたばっかだけどなと言って、恭介は笑う。何度も見たことのある、何かを企んでいるかのような小憎らしい笑みに、小毬は頬をひくつかせる。 「だ、大丈夫なんですか?」 「まぁ別に激しく運動するわけじゃないし、問題ないだろ」 「病院抜け出してる時点で問題だと思いますけど」 「修学旅行にもう一度行く下準備には、車がどうしても必要なもんでな」 「修学旅行、ですか?」 小毬が問うと、恭介は枕の下から取り出した一冊の大学ノートを渡してきた。秋の大収穫祭in修学旅行(素案)、と書かれている。ぱらぱらと捲ってみると、旅行先の候補、そこに行くまでの交通手段、料金、時間、距離が事細かに記されている。その他にも宿先候補、日程などの項目があるが、まだ空白だった。 「俺が退院して学校に戻ったら、皆にこの企画をぶちあげる。俺達の力で、俺達だけの修学旅行に行くんだ」 「……」 「どうだ、面白そうだろ?」 小毬は目眩がした。死の淵から戻ってきたと思ったら、この男はもう前を向いている。活力に満ち溢れている。呑気に綿菓子なんぞつまんでいる余裕はなかった。 「凄いですね、恭介さんは」 「凄い? どこが?」 「恭介さんが生きているから」 「は?」 「私は、ふわふわしてるから」 「ふわふわ?」 小毬は俯く。期待したのが間違いだった、と思った。 親友たちと再び一緒の日々を送れるようになったことをしあわせだと思うが、空しい気持ちが胸を通り過ぎるのも確かだった。小毬は自身に、くたびれた心持があるのを感じていた。全てを擲つ覚悟でいたが為に、今さら先があると言われても、どうしていいのかわからなかったのである。 以前と同じように、はしゃぎ、ふざけ、笑い合う毎日は楽しい。でも、どこか足が地につかないような感じ。何をしても物寂しい気持ちが付き纏う。 もう昔と同じ笑顔はできない。あの場所を愛していると言える自信がない。これから新たに代替を見つけられる自信がない。気力がない。それならいっそ、投げ捨ててしまえばいいのではないか。 「入道雲みたいに、私はあてもなくふわふわとしているんです。綿あめみたいに、甘みの中で溶けてしまえばいいとも思っているんです」 「……そうか。神北も、色々悩んでいるんだな」 真剣な思いを一言でまとめられ小毬がむっとした瞬間、恭介は真面目な顔つきで言った。 「なら、俺と付き合ってみるのはどうだろう?」 「……は?」 「俺と、付き合おうぜ」 「……とりあえず、なぜ?」 「面白いだろ?」 いや、確かに皆のびっくりする顔は容易に想像できるけれども。 親友たちの唖然とした顔を思い浮かべつつ恭介の問いに心の中で肯定した小毬だったが、話の流れが掴めず困惑した。自分の悩みをあっさりと流れたことに少なからず抱いていた怒りは、一瞬にして吹き飛んだ。 あれ、何時の間に恋バナになったんだろう。私、告白とかしたっけか。 「すいません、意味がわかりません」 「最近つまんないんだろ? だったら、自分で笑えるようなことをすればいい」 「それで、どうして私と恭介さんが付き合わなきゃいけないんですか?」 「面白そうだから、じゃダメか?」 「それって、恭介さんが面白いだけじゃないですか」 それに、恋人って、そういう風にしてなるものじゃないと思う。 ふと湧き出た思考を、小毬は溜息と一緒に吐きだす。まだこんな乙女な気持ちがあったなんて。やだ、恥ずかしい。 「なあ、神北」 「はい」 「俺の自惚れかもしれないが、こうしてお前がお前の心の内を打ち明けてくれたってことは、少なくとも、俺は信頼されてるってことだと思っている」 「……」 「残念ながら、今の俺にお前の悩みを解決する術はない。けど、手伝いはできる」 「はぁ」 「だから、一緒に探そうぜ? お前が楽しくなれる日々ってやつ」 「……それは嬉しいですけれど、結局何で私と付き合うという発想に?」 「理樹と鈴がいちゃいちゃしっぱなしで切ないんだ。相手してくれ」 それが本音か。 やっぱり自分勝手な思惑だったことに、不思議と納得した。恭介ならありえる話だった。そして、相手として自分が選ばれたことに、小毬は悪い気はしなかった。つまるところ、自分は気に入られているということなのだ。 そっか、恭介さん、そうなんですね。ふふん。 いつも飄々として女っ気がないこの男の意識を集められているということは、何だか凄いことだと思った。リトルバスターズの皆とは言わず、学校中が驚きに満ちるかもしれない。それはとても楽しいかもしれない。小毬は久しぶりに湧きあがるむず痒い気持ちを抑えつつ、恭介を見据えて言う。 「私、これでも理樹君といちゃいちゃしてたことありました」 「知ってる」 「なんだかんだで、まだ好きかもしれません」 「まぁ、そういうこともあらぁな」 「それでもまだ、恭介さんは、そんなことを言いますか?」 「だったら、鈴から理樹を奪うか?」 何だか学園ラブコメモノみたいで、それはそれで面白いなぁと笑う恭介は、本当にそれでもいいと思っているのかもしれない。小毬もそういう刺激的な日々も今よりはマシかもしれないと一瞬思ったが、すぐに首を横に振った。鈴の悲しむ顔は見たくなかった。 「で、どうする? 乗るか?」 恭介が手を出してくる。何だか縛られるような気がして逡巡したが、この男と居て退屈することはないだろうと思い直す。 そう、退屈しのぎ。イヤならすぐやめちゃえばいいんだ。 小毬が差しのべられた手を握る。 「恭介さん」 「ん?」 「私、海にドライブに行きたいです」 「そうか」 「連れてって、くれますか?」 「最初の助手席に理樹が座るのを許してくれれば」 「この期に及んでまだ理樹君ですか!」 珍しく大声を上げてツッコんだ小毬に、恭介は声を上げて笑う。それを見て頬を膨らませた小毬が手の力を強める。ささやかな反抗を肌で感じたのか、恭介はさらに大声で笑った。
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