木漏れ日が少し眩しいけれど、顔に降りかかる陽の光が暖かく、頭上にそびえる木々のさざめきが心地よく耳を撫でていく。校舎内から聞こえてくる喧噪もまるで遠い世界のようで、そんな感覚もまた気持ちを清々とさせる。でも、何よりも僕の心を安らがせているのは、今頭を乗せているもののおかげだと断言できる。 日光とも違った温もりは、生命の印。そっと這わした手に、さらさらすべすべとしていて、毬の様な仄かな弾力と筆舌しがたい柔らかさが伝わってくる。 「なんで、わたくしがこんなことしなければならなくて?」 「嫌?」 「全然」 「じゃぁいいじゃん」 「いいですけれど、太ももに触らないでくださります?」
「手つきが厭らしいですわ」と、腿に触れていた手をはねのけられる。はじき出された手は青々と茂った芝生の上に所在なく落ちた。 昼休み。昼食後の憩いの時間。安らかな時が流れる中庭。 僕は、笹瀬川さんに膝枕をしてもらっていた。
「『ちょっとお願いしたいことが』と言って中庭に連れてきたと思ったら、まさかこんなことをしようとしていたなんて、思ってもいませんでしたわ」
声に呆れが色濃く混じっている。けれど、彼女の顔はまんざらでもなさそうに穏やかだ。
「いやぁ、いつか頼んでみようと思っててさ。これはいい機会だ、と思ってね」 「あなたには、恥ずかしいという感覚はありませんの?」 「恥ずかしがってこの至福な時間を手放すなんて、馬鹿げてるね」 「……そんなに、よろしいかしら?」 「最高」
グッ、と親指を突き出してみせる。自身最高の笑顔のオプション付きで。
「大人しくわたくしの手に収まるあなたというのも、可愛くて最高ですわよ」
真正面から打ち返されてしまった。 麗らかな昼下がりにはお世辞にも似つかわしくない、艶やかな笑顔で。 「棗鈴もいない。神北さんも能美さんも来ヶ谷さんもいない」 「………」 「あなたが、わたくしにだけ身も心も委ねてくれている。わたくしを最高だと言ってくれる。それは、わたくしにとっても最高以外のなにものでもないのですわよ?」
僕の頬を両手で挟んで、言い聞かせるように顔を近づけて笑う。 こうして付き合い始めて早半年。あれだけ箱入りでお嬢だった彼女も、男とべたべたすることに対してすっかり耐性がついてしまったらしい。むしろ、こうして主導権を握ることすらある。 あの、あわあわと慌てはしゃぐ彼女が偽物であったかのように、大人びた妖美さを伴って。 知らなかったこと。 わかっていなかったこと。 笹瀬川佐々美という少女は、寄り添えば寄り添うほど、その姿をころころと変えていく。 時には子供らしく。 時には男勝りで。 時にはドキリとするほど色情的。 そんな彼女がたまらなく好き。 そんな彼女の隣に居れることがたまらなくうれしい。 こんな僕を「最高」と言ってくれることが、この上なく脳を甘く痺れさせる。 「笹瀬川さん」 「何です?」 「キス」 「……あなたに、恥ずかしいという感情はありませんの?」 「言っとくけど、今笹瀬川さんがやってることも、相当恥ずかしいよ」
昼休みの中庭で男に膝枕して、互いの顔を近づけさせている。 端から見たら、お目出度いカップルでしかないだろう。
「残念ですけど」
だのに、彼女は笑う。 緩やかな風に髪をなびかせ、目を細めて。
「あなたを好きなようにできる状況を恥ずかしいという理由で手放すほど、わたくしはもう初ではありませんの」
そう言って、彼女はなびくウィスタリアの長い髪をかきあげて。 桃色の唇を、そっと僕の唇へと――。
「お前ら、なにしてるんだ?」 「っ!?」
ぶんっ!
「あれぇー?」
掬いあげられる体。 芝生と校舎と笹瀬川さんと青空。 めまぐるしく回転する視界がこれまためまぐるしく周りの景色を映していく。 自分が芝生の上を転げまわっていると知覚したのは、柵にぶつかり体が止まって五秒くらい経ってからだった。
「……理樹でボーリングでもしてたのか?」 「な、な、な、棗鈴っ! あなた、なぜここにっ!?」 「昼休みの中庭に、あたしがいちゃダメなのか?」 「ダメですわ!」 「んなわけあるか! アホかお前は!」 「アホとは何ですの!? あなたの方が百億倍アホですわ!」 「うっさいっ、ならお前は一兆倍ぼけじゃぼけーっ!」 「何ですってぇ!」
二人が瞬く間に始めた言い争いに、仕方ないなぁホント、な感じで溜息を吐きつつ立ち上がる。 柵に思いっきり当たった腰が痛む。 制服に葉っぱついてるし。 あー、髪にもくっついてるわ。 「こうなったら野球で勝負だっ!」 「望むところですわ!」 「あたしは先に行ってるからな、逃げるなよ!」 「あなたも、首を洗って待ってるといいですわ!」
首じゃなくてボールを磨いておくわぼけー、と叫んでから、鈴はぷんすかと肩を怒らせてグラウンドの方へと去って行った。
「棗鈴、ただじゃおきませんわよ……!」 「……やっぱり恥ずかしかったんだったら、言ってくれれば」 「恥ずかしくないですわ!」 「いや、そんなあからさまな嘘つかれても」 「本当ですわ! ただ……」 「ただ?」 「棗鈴には、見られたくないだけですわっ!」 「あー、なるほど」
やっぱり恥ずかしかったんじゃん。 とはさすがに言えなくて、僕はとりあえず笑っておいた。 「なに笑ってるんですの!?」と怒られたけど、楽しかったから笑った。
「ったく……ほら、いつまでも笑ってないで、行きますわよ」
まだ火照る頬をそのままに、ぷいと子供っぽく顔をそむけながら、彼女は僕の手を引いて歩きだす。 「棗鈴を倒すには、あなたがいないとダメなのですから」
だからしっかりなさい、とぶっきらぼうに言い放つ。言葉を体現するかの様に、握る手の力が強くなる。もちろんそれを指摘したら、今の彼女の心理状態では怒られるのが目に見えてるから、ただ笑ってついていく。 さっきまでの彼女はどこへやら。これが彼女の本当の姿なのか、あっちが本来なのか。 多分、どちらも正解。 ギャースギャースと騒ぐ彼女も。照れて顔を赤くして挙動不審になる彼女も。しおらしく肩に寄り添ってくる彼女も。肉感的な笑みを浮かべてすり寄ってくる彼女も。全部全部、笹瀬川佐々美本人でしかない。 こんなにたくさんの『笹瀬川佐々美』が居る、見れる。恋人という、近しい所で。 これほど楽しいことはなかった。
「笹瀬川さん」 「なんです?」 「頑張ろうね」
ぎゅっと強く握り返す。 キスからのグレードダウン。 それでも、このしっとりとした手を思う存分堪能できるだけで満足だった。
笹瀬川佐々美という少女を書くための整理。 このSSは、そんな意味合いがあった。 かもしれない。
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