「それはダメだ、謙吾!」
 
教室内に、悲痛な声が響いた。
談笑に華を咲かせていたクラスメイト達は、場違いな声にびくりと肩を震わせ、何事かと一斉に声のした方を見た。
 
「なぜ駄目なんだ……理樹っ」

理樹と謙吾だった。
騒ぎの常連、リトルバスターズのメンバーということで、皆『またか…』と一瞬興味を失いかけたが、彼らは再び談笑に戻ることは出来なかった。
何故か。

「それは…それだけは、絶対いけない事なんだよ!」

それは、理樹の悲壮な形相にあった。
リトルバスターズの常識人、直枝理樹。
数々の問題児の集団、リトルバスターズにおいて、唯一一般の思考回路に近い人物。

『奴らを持て余したら直枝に任せろ』

校内の生徒にはそんな合言葉が存在するくらいである。
恭介という防衛線もあるが、彼の場合騒動をより広げる可能性もあるため、穏便に事を済ませるには専ら理樹の方が評判が良い。
そんな理樹が、謙吾に対して、あれだけ必死に説得を試みている。
今までにもぶっ飛んだ行動をしてきた彼らだが、それはくだらない物であったり、皆を楽しませてくれる様な物ばかりだった。
だから、生徒達も笑って済ましてこれた。
しかし、今回の理樹の謙吾へ向ける雰囲気は明らかに異常だ。

『な、何をしようとしたんだ…』
 
皆が続きを見守る中、当人である謙吾が、重々しく口を開く。

「なぜ…」

苦虫を噛み潰した様な表情で、叫んだ。

「なぜ、俺の筋肉で遊んでくれない!」

がたたっ!
 
クラスメイトは盛大にコケた。
それはもう、若手のお笑い芸人に負けず劣らずの勢いで。
 
「なんだよ、結局こんなんかよ…」
「何かシリアスな展開期待して損しちゃったー」
「まぁいんじゃね?これはこれでちょっと面白かったじゃん」

そして、再び自分らの世界へと戻っていった。
 
「………」
「………」

しかし、理樹と謙吾の表情は一向に変化しない。
そう。
彼らは、至って真面目だったのだ。






                 真剣馬鹿














「それは無理というものだよ」

クラスメイトが完全に興味を失った後も、理樹と謙吾の会話は続いていた。
断固として、理樹は謙吾と筋肉で遊ぶ事を拒否する。
何が、彼をそこまで頑なにさせるというのか。

「なぜ真人の筋肉では遊べて、俺の筋肉では遊べないのだ?正当な理由がない限り俺は納得せんぞ」
 
腕を組み、どっしりと席に着く。
論戦の構えだ。
理樹も向かい合う様にして座った。
 
「……だって、かぶっちゃうじゃないか」
「かぶる?何と何がだ?」
「……」
「理樹っ」

言うのを躊躇う理樹に、謙吾が詰め寄る。
それ程までに、謙吾は理樹と筋肉で遊びたいのだろうか。
常人では到底理解できない思考だったが、彼の切羽詰った様子を見る限り、理樹と筋肉で遊べない事は、彼にとって死活問題なのだろう。
いや、それとも自分だけが…という疎外感から来るものなのか。
いずれにせよ、彼にとっては譲れない問題らしい。

「理樹…教えてくれ…」

懇願する様に、言葉を紡ぐ。
口元に手を当て、横目で謙吾の様子を窺っていた理樹だったが…観念した様に、重い口を開いた。

「……真人と、謙吾のキャラがかぶっちゃうじゃないか…」
「………」
 
理樹の告げた事実に、謙吾は言葉に失った。
筋肉と言えば真人。
真人と言えば筋肉。
彼らの間では常識。
ひいては学園内の常識ともいえ、この方程式を結べない人間はこの学園の生徒として失格と言わざるを得ない。
それ程までに、真人と筋肉の繋がりは深かった。
そしてつまり、筋肉ネタを謙吾がやろうとすれば、それは真人と同じ事をしようとしている事に他ならないのだ。

「…だ、だが!俺は今まで筋肉でボケた事はあるし、筋肉さんこむらがえっただってしてきた!それなのに、何故今さらそんな事を言う!?」
「違う、そうじゃない…そうじゃないんだ、謙吾」

理樹が力なく首を横に振る。
何がいけないというのだろうか。
 
「謙吾…確かに、謙吾は今までも筋肉を使ったボケをしてきた事はあるよ。でも、それは自ら行った事だった?」
「……何?」
「ボケた時、誰がいた?筋肉さんこむらがえったを提案したのは、誰だった…?」
「……そ、それは…」

理樹の問いに、謙吾の表情が紙の様に白くなる。
謙吾にも、何か心当たりが見つかった様だった。
その表情を見て、理樹がずいと前に出て、核心を突く。

「そう、真人だよ。いつも先駆けて筋肉を使ったのは、真人なんだよ」
「あ、あぁ……」

わなわなと体を震わせながら、謙吾はがくりと力尽きた。
先程までの血気盛んな様子など、一切感じない。
そうさせる程、理樹の言葉は正論過ぎたのだ。
 
『すいませーん、暑苦しい筋肉が通りまーす!』
 
あの時も、真人が一緒にグラウンドを駆けていた。
 
『ほう……それはどんな遊びなんだ?』

筋肉さんこむらがえったに乗っかった時も、最初に言い出したのは、あの男だった。

『筋肉さんこむらがえったしようぜ!』

あの男の、一言から始まっていたのだ。

「真面目で、クールだと思っていた謙吾のギャップには大いに驚いたし、笑わせてもらったよ…でも、そこで筋肉を使い始めたらダメなんだよ。馬鹿は馬鹿でも、それじゃ真人と同じ筋肉になっちゃうよ…」

「く、くぅ……」

ぽつぽつと語られる理樹の言葉に、謙吾が苦悶の声を漏らして机に体を預ける。
独創性を見出せず、二番煎じに走ってしまった。
その事実は、彼にとって予想以上に苦痛だったのだ。
窓の外を空虚に見つめる理樹と、うなだれる様に机に上半身をもたれる謙吾。
この光景を傍から見れば、さぞかし深刻な状況なのだろうと憂いでしまいそうだ。
しかし、話している内容は、あまりにも馬鹿だった。

「…なぁ、理樹」
「…うん?」

ぽつりと、謙吾が理樹に問いかけた。
理樹はそれに反応し、窓から視線を外し、謙吾を見る。

「…俺は、どうしたらいい?」
「……」
「鍛え抜いた体を駆使したボケは既に使われ、俺には何も活路を見出せない……なぁ、俺はこれからどうやっていけばいいんだ?…」
「謙吾…」

彷徨える謙吾の問いに、理樹は悲痛な表情を浮かべる。
理樹には、それを教える事は出来なかった。
事実を指摘する事は出来ても、それを改善する術は持ち合わせていなかった。
何故なら、それは人に教えてもらうものではないから。
自らの経験、性格、環境…。
独創性とは、あらゆる要素が複雑に絡み合い、己の中でその産声を上げ……いつしか身につく物なのだ。
他人から言われて発見される物ではないのだ。
いくらでも忠告は出来る。
その中で謙吾が取捨選択すれば良いのかもしれない。
しかし、それは果たして自らが生み出したと言えるのだろうか?
そもそも、真人や謙吾の様な天然を売りにする人間が、何かないかと探る事自体間違いなのではないだろうか?
言いたい事は色々ある。
けれど、それを言うか…言わないか。
縋るように見つめてくる謙吾と対峙しながら、理樹もどう対応していいのか混乱する。

「そんなの簡単だぜ」

しかし、光はすぐそこにあった。
短ラン、赤いTシャツ、赤いバンダナ…。

「真人…」

筋肉の使い、真人が立っていた。
話を聞いていたのだろうか、ゆっくりと教室の出入り口から理樹達の方へ歩み寄ってくる。

「真人……か、簡単とはどういう事だっ!?お、お前には俺がこの先どうしていけばいいのか知ってるのかっ!?」

今度は真人へと詰め寄る謙吾。
今までボケを真人におんぶに抱っこ状態だった彼の中では、今後の展望は相当お先真っ暗だった様だ。
再確認しておくが、謙吾の『ボケ』の話である。
彼らは大層深刻な表情で語っているが、議題は謙吾の『ボケ』という、すべからく阿呆な内容なのである。
詰め寄ってきた謙吾に応える様に、真人は余裕を感じさせる態度で片手を上げた。

「あぁ、簡単だぜ…」

不適な笑みを零す真人。
その自信は全く揺るがない。
真人には、絶対不変の謙吾のボケを見出しているというのだろうか…?

「悩んだらなぁ…………筋肉を使えばいいんだよぉっ!」

ビシィッ!と2人を指差して高らかに宣言した。
謙吾は今の言葉を真に受けれず、ぽかんと呆ける。
そして理樹が、げんなりした様に頭を垂れる。

「いや、あのね真人…だから、筋肉は真人の――」
「理樹、お前は勘違いしているぜ」

理樹の反論を半ばで遮る。
相変わらず、自信満々の笑みだった。
さらに口を開こうとした理樹だったが、その表情を見て口を閉じる。

「確かに俺が筋肉使いの第一人者かもしれねぇ……だがなぁ」

そこで言葉を切り、時間を溜める。
次の言葉を、2人は固唾を飲んで見守る。
そして。

「筋肉は、誰にでもあるものなんだぜ?」

カッ!と目を見開き、ニカッと歯を見せて笑った。
おぉ…と、2人は小さく感嘆の声を上げた。
2人には、真人から後光が差している様に見えたに違いない。
そんな印象を受ける程、理樹と謙吾の目は菩薩を目の当たりにした様に目を輝かせていた。
謙吾の傍まで近づいてきた真人は、謙吾の肩に手を置く。

「何も筋肉は俺の専売特許じゃねぇ。それに、さすがに筋肉を世に知らしめるには1人じゃちと厳しい」
「ま、真人……」
「お前も良い筋肉を持ってるじゃねぇか。俺と一緒に……筋肉旋風を巻き起こさねぇか?」
「……あぁっ!俺は喜んでお前の手を取ろうっ!」

ごしごしと道着の裾で目を擦ってから、肩に置かれた真人の手に、己の手を重ねる。
どうやら涙が溢れたらしい。
何とも涙もろい男である。

「ぼ、僕は……」

理樹は、握りこぶしを作って固まっていた。
奢りは謙吾だけではなかった。
自分も、どこかで慢心していたのだ。
筋肉は真人の物だけだと決めつけ、どれも枠にはめていた。
でも、それは違った。
1人で出来ない事は2人で。
1人で出来る事も、2人ならもっと凄い事が出来る。
皆、違う人間だ。
同じ事をやったって、何か別の物を生み出すのだ。
そんな簡単な事を、忘れていたのだ。
先ほどまで偉ぶって謙吾に説教をしていた自分を恥じる様に、ぐっと目を瞑る。

「さぁ謙吾っ!一緒に筋肉で遊ぼうぜっ!」
「あぁっ!」

謙吾と真人が、腕を上げる。
謙吾の顔に、悲しみや苦しみは、もう感じられなかった。
笑顔だった。
2人とも、笑っていた。
そんな2人を、理樹は目を開けて眺める。
おねだりできず、物欲しそうに見つめるだけの幼子の様に。

「さぁ理樹、お前もだっ!」
「えっ…」

それを見透かした様に、真人は理樹にも声を掛ける。
理樹は一瞬嬉しそうに顔を輝かせたが、すぐに暗くなる。
そして、視線を謙吾に合わせる。

「謙吾……」
「理樹…」

謙吾が理樹を見つめた。
その視線に耐え切れず、理樹は目を逸らす。
あれだけ偉そうにしておいて、結局天狗になっていたのは己だったのだ。
合わす顔がないと、顔を背けた。

「理樹……一緒に、遊ぶぞっ」

しかし、謙吾は笑った。
その声を聞いて顔を上げ、その顔を見て理樹は……涙ぐんだ。
己の失態を流してくれるというのか。
そして尚且つ、手を取ってくれるというのか。
嬉々として腕を振り上げる謙吾に、理樹は救いを見た。

「あ、ありがとう、謙吾…っ」
「気にするな。さぁ、お前も旋風だっ!」
「うんっ」

そして、理樹も腕を上げる。
休み時間。
教室の窓際。
差し込む陽。
その下に……むさい男が3人。
彼らは今この瞬間、完全に心を1つにした。

「ひゃっほーっ!今日は最高に良い気分だぜぇっ!」
「やっほー!」
「わっしょい、わっしょい!」

彼らは踊る。
腕を振るう。
叫ぶ。
周りなど関係ない。
それは、己の為に。
気持ちを共にする、仲間の為に。
彼らは枯れる声をものともせず、叫び続けた。

「よっしゃぁーっ!とことん筋肉旋風だぁっ!」
「やっほーっ、筋肉筋肉ーっ!」
「うおぉ、筋肉が暴徒と化したメーンっ!」

笑顔が眩しい。
陽が当たったからではない。
彼らは、今、最高に青春を謳歌しているのだから。
ひたすらに声を出せ。
高らかに腕を振れ。
彼らの合言葉は……『筋肉』。
果てしなく楽しい瞬間。
ずっとこうしていよう。
こうしていれば、いつしか皆着いて来るだろう。
それこそが、筋肉旋風なのだから。
彼らはそれを信じ、遊び続けた。
彼らの胸の内には、旋風が巻き起こっていたのだから。




「…何をやっているのだ、あの少年3人は」
「さぁ…?まぁ確実に頭沸いてますネ」

しかし、教室に風は一切吹いていなかった。
筋肉旋風の道は、高く、そして険しいものだった。

「それに、謙吾少年には剣道ネタがあるだろう」
「あっ、そうですネ」
「というか、さっき自分で『メーン』と言っていたぞ…」
「にゃはは…まぁ楽しそうだからいんじゃないですか、姉御?」
「騒がしい事この上ないがな…」

ギャラリーを置いてきぼりにしたまま、彼らは授業が始まるまでひたすら筋肉を連呼し続けたのだった。
そして、結局旋風は3人で吹き止んだのだった。






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