夕暮れの公園には、人っ子一人いなかった。ジャングルジムの向こうに、ぼやけた夕日が山に沈みながら低く浮かんでいて、その光を受けて、公園に設置された遊具の影が真っ黒く地面に伸びている。砂場には子供たちが忘れていったらしいシャベルやらバケツやらがぞんざいに放り投げられていて、そこから少し外れたところにサッカーボールが転がっている。
 外から一回、公園を見回した後に中に入ってから、真ん中くらいのところで立ち止まって、もう一度ぐるりと見回した。
 こんなにこの世界は小さかったかな、と思った。
 広いと思っていた砂場も、長いと思っていた滑り台も、高いと思っていたジャングルジムも、どれもこじんまりとしたものに見えた。いくら強く蹴っても外へ越えていくことはなかったはずのサッカーボールも、今一度蹴ってみると、軽々と向こうの道の方へ飛んでいってしまって、あっという間に見えなくなった。子供というのは、こんなにも小さな存在だったらしい。
 そんなことを思いながら公園をゆっくりと歩きまわっていると、ブランコの前にたどり着いた。
 ブランコは好きだった。多分、サッカーの次ぐらいに好きだった。飛行機の離陸みたいに、最初はゆっくりで、でもだんだんと浮かび始めて、遂にはそのまま高く空へ向って飛べちゃうんじゃないか、みたいなことを思っていた。そんなことを実際にしたら大けがしちゃうってことはわかってたんだけど、でも、あの空に浮かんでいる時の、心が恐怖と昂揚でふわふわする感覚は、子供ながらにスリルがあって、楽しかった。
 試しに一番左端のブランコに座ってみた。小さい。昔は爪先立ちが限界だったはずなのに、完全に足が着いている、というか膝が浮いている。
 大丈夫かな、これ、なんて一抹の不安を抱きつつ、少し後ろから勢いよく蹴りだしてブランコを漕ぎ始めたんだけど、蹴りだしが強すぎたみたいで、一発目で高く飛び過ぎちゃって、おっかなくなって一旦止めた。もう何年とブランコなんて乗ってないから、しょうがないと言えばしょうがないんだけど、昔は意気揚揚と何も恐れずに飛び乗れていたはずの自分がいたことを思うと、加減がわからなくて怖気づく今の自分が、ちょっとだけ切ない。立ち漕ぎとかもしてたはずなんだけどなぁ。
 今度はゆっくり、ゆりかごを動かすかのようにやさしく漕ぎ出す。体の力を上手くコントロールしつつ、かつての頃のイメージを取り戻しながら、時間をかけて漕ぐ。
 感覚さえ掴めば、やっぱりどうということはなかった。すぐに子供顔負けなくらいに高々とブランコを漕げるようになった。高く飛びすぎて一回転しそうになるほどだった。さすがに危ないと思って、それ以降はあまりはしゃがない程度に留めた。
 子供用のブランコだからそんなに高くならないけれど、飛んでいる時は楽しかった。最高点に到達した時に見える景色は、いつも見ているそれよりももう少し高くて、そしてもう少し遠くのものが見えた。かと思ったらすぐに落ち始めて、あーあ、と残念に感じてしまう自分が、ちょっとだけ可笑しかった。
 外の道は誰も通らなくて、人気はこれでもか、というほどにない。カラスの鳴き声すらも聞こえない、夕暮れの公園の中で、ひたすらブランコを漕ぎ続ける。あー楽しいなって思いながら、キーキーと音を鳴らし続ける。
 そういえば、靴とばしなんかもやったっけ、と思いだしたのは、充分にブランコを満喫してからだった。多分、二十分くらい経ってたと思う。
 ちょっと一回やってみよう、なんて考えてしまえるくらいに、公園を満喫していた。誰も通らないし、人目なんて気にする必要もなかったから、恥ずかしいということも感じなかった。せっかくだから。そんな、本当に大したこともない理由で、右足のローファーをつっかけるくらいにまで脱いで、目一杯助走をつけた。そしてちょうどいいぐらいまで漕いでから、最高点に到達するかしないかのところで思いっきり足を振り上げて、靴をとばした。サッカーボールのことがあったからびっくりするくらいに飛んで行くかと思ったんだけれど、直線的に飛んで行った靴は予想よりもずっと近いところで地面に落ちて、少し転がったところで動きを止めた。多分、五メートルもいかなかった。
 こんなもんかぁ、とちょっとがっかりしながらキコキコとブランコを漕いでいて、ふと気付いた。あの靴、自分で拾いに行かなきゃないじゃん、と。それと同時に、さっき蹴ったサッカーボールも拾いに行かなくちゃいかないんだよね、とも思った。あの頃はサッカーは主に二人でやってたし、靴とばしは、とばす側と拾う側、代わりばんこでやってたんだよな、ということを、その時になって思いだした。
 でも今は、拾いに行ってくれる人はいない。友達がいない。誰もいない。何かも、自分でしなくちゃいけない。靴を拾うことも、サッカーボールを拾いに行くことも、もしくはそれを願うのならば、靴を拾ってくれる人を見つけることもサッカーボールを拾ってくれる人を見つけることも、全部全部、自分が動かなくちゃいけない。
 ブランコを漕ぐのをやめた。私を乗せたブランコは慣性の法則でゆらゆらと何度か揺れた後、止まった。左足だけで体を支える。かかとまで完全に地面に着く。膝が少し浮く。夕日が目に染みる。うるんだ視界の先に、暗い影を落とした靴がちょこんと落ちている。なんだかその光景を見たくなくて、自然と視線が下に落ちていく。
 あぁ、何でこんなことになったんだろうなぁ、と思う。でもそれを望んだのはあたしで、あたし以外にありえない。こうして公園に足を運ばせたのも、あたしの意思でしかない。人気の全くない、というシチュエーションまでご所望しちゃって。それで靴を拾ってくれる人がいなくて、なんだかなぁ、なんてセンチメンタルになっちゃってるんだから、ほんとわがままだなぁと思う。
 おひさまが刻々と山に姿を消していっている、かもしれない。もうそろそろ夜が来る、かもしれない。電灯は点くかなぁ。ご近所さんの晩ごはんのおいしそうな匂いとか、漂ってくるかなぁ。
 そんなことよりも先に靴拾いに行かなきゃなぁと考えを改めて、ブランコから立ち上がった。そして片足で小刻みにジャンプしながら進んでいって、寂しげに落ちていた靴を拾って履いた。
 トントンとつま先を地面に叩きつけて履き位置を整えているところで、どこからかカレーの匂いが流れてきているのに気づいて、小さくため息をつきながら、空を見上げた。赤みがかった空が少しずつ色を失ってきているように感じるのは、きっと、気のせいなんかじゃないのだと思った。 




    
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