二月某日。
佳奈多と葉留佳と一時の脱走を謀ってから数ヶ月、無事復学した理樹は寮長室に赴き手伝いをするという、以前と何ら変わりのない生活サイクルへと戻っていた。
三人のいない間に寮長受け継ぎは済んでいたのだが、あーちゃん先輩と慕われる元寮長はその座を明け渡した後もしばしば顔を出すし、また新たな寮長も彼女に勝るとも劣らない人物であったことは理樹達にとって予定調和以外の何物でもなく、新旧の交代による新陳代謝が行われたはずの寮長室は全くと言っていい程変化はない。
むしろ新たな寮長は現在、卒業云々に関わる業務に追われ部屋を空けることの方が多いので、既にポストを譲り自由の身になった先輩と仕事をするという体で、茶を飲みながらまったりするのが理樹の日課となっていた。

今日も今日とて放課後寮長室へやってきた理樹は、先に来ていた元寮長と二人でクドリャフカが差し入れてくれた佳奈多専用――または独占とも言う――の緑茶を拝借していた。
そんなことをすれば佳奈多の妍麗な顔が憤怒で真っ赤に染まることは言うも愚かなことでありそれは回避すべき未来なはずなのだが、佳奈多に対する加虐心において妙な共鳴を起こすこの二人には、佳奈多が遅れてくるという情報を知るや否や芽生えた、茶目っ気九十パーセント配合の悪戯心を抑えることは出来なかったのである。

直枝君、このお茶とーってもおいしいらしいんだけど、飲む?
ええ、喜んで。

「直枝君、これホントおいしいわね」
「ええ。クドのイチオシですからね」
「ふふっ、そうね」

悪びれもせず元寮長は二杯目に手を出していた。
それを止めることもせず、理樹はのほほんと茶を啜る。
以前であれば、二杯目云々の前に手を出す事を頑として止めたであろうに、そんな素振りは欠片も感じられない。
約半年にも及ぶ同居生活によって得た元風紀委員長に対する耐性に並々ならぬ自負を持っている理樹は、口の中に広がる仄かな苦味を感じながら思った。
まぁ多分、ビンタ二発くらいで丸く収まるかな。

「ねぇ直枝君?」
「はい?」
「聞いてもいいかしら?」
「質問にもよりますが……まぁ、答えられる範囲でよければ」
「かなちゃんとはいつ付き合うのかしら?」
「……」

のほほんと今後の被害を計算していた理樹に元寮長から質問が浴びせられたのは、そんな時だった。
沈黙が部屋を支配する。
数拍の間の後、均衡を破る様に理樹が湯飲みを置くと、ちらりと元寮長に視線を投げかけ、ほぅと溜め息をついてから言った。

「……お茶、おいしいですね」
「直枝君? 話を摩り替えるのならもう少し上手にやってね?」

バッサリ切られた。
相変わらずニコニコとした笑顔のままで。
まぁ今のはさすがに唐突すぎたなと、理樹は苦笑を貼り付けた。

「で、何でいきなりそんな質問を?」
「だって気になるんだもの。ずっと進展ないし。私、気になりすぎて夜も眠れないどころか、卒業したくないくらいなのよ?」
「そこまでですか」
「ええ、そこまでです」

キッパリ答えられた。
今度は真面目な顔つきで。
どう答えたものだろうか、と理樹は天井を見上げながらあごを擦った。

「かなちゃんのこと、好きじゃないの?」
「いや、好きと言われれば好きなんですが」
「他に好きなコがいる?」
「さぁ、どうでしょう?」
「お、微妙な返し……ということは、濃厚なのは鈴ちゃんかな? 夜中にこっそり女子寮に忍び込んで勉強教えてあげたりしてるものね」
「うーん、鈴は何と言うか、妹みたいなものですし」
「へー、妹みたいなコにベンキョー、教えてあげてるんだ」
「何を勘繰っているのか知りませんが、深い意味はないですよ? 本当に勉強を教えてるだけですから」
「ふーん、まぁいいけど」

そう言って鈴の話題を打ち切ると、元寮長は茶を啜り、理樹もそれに倣った。
まぁ、ハメを外すのが若者の特権ってものよね、と元寮長は思った。
本来ならば女子寮に忍び込んでいることが発覚した時点で説教モノなのだが、当人は悪びれもせず茶を飲んでいるし、すべきはずの卒業を控える上級生は警告すらも促そうとしない。
真面目な人間の様に見えてこの二人、中々に不真面目な人間だった。

「でも鈴ちゃん以外にもたくさんいるのよねぇ……ほんっと、直枝君ったら女たらしなんだから」
「何言ってるんですか、皆友達ですよ」
「放課後の練習が終わってから部室で野球講座、立ち入り禁止の屋上でおやつタイム、家庭科部部室で試食という名目でのお茶会、放送室で優雅にランチ、中庭で女の子と肩を並べてのんびり読書…………友達?」
「ええ、友達です」
「どれもこれも二人きりらしいけど?」
「親友です」
「今言った場所からたまに喘ぎ声みたいなのが聞こえるっていう報告が来てるんだけど」
「フレンズです」
「……あ、そう」

ぴったりガード、多い日の夜も安心と言わんばかりの理樹の鉄壁ぶりに、元寮長は深々と溜め息をついた。
あの頃の可愛い直枝君はどこに行ってしまったのかしら。
今でも髪はさらふわで可愛らしいのに、何で心は横モレも後ろモレも防ぐくらいにガッチリなのかしらと、後輩の妙な成長ぶりに落胆した。

「ところであーちゃん先輩」
「なーに?」
「その話、どこから?」
「匿名による投書だからわかりません」
「……本当は?」
「話す話題が漫画と妹と直枝君で七割超える三年生がポロリと」
「……そうじゃないかと思ってましたけど」

『恭介は一体どこからそんな情報を……』と神妙な顔でぶつぶつ呟く理樹に、元寮長は出かけた言葉をそっと飲み込み、胸中で呟いた。
直枝君が大好きで仕方がないのよ、あの人は。
『理樹の事なら任せとけ! 何でも知ってるからな!』と言って小一時間語り続けた同級生を思い浮かべ、あの時の棗君は最高に気持ち悪かったな、と思った。

「失礼します」
「あら、かなちゃん。早かったのね」
「放課して一時間も経ってるのですから、十分遅いと思いますよ。それとかなちゃんって呼ばないでください」
「はーい」

『全くいつまでもあーちゃん先輩は……』などと呟きながら、佳奈多が部屋へと入ってくるのを含み笑いしながら見送っていると、途中で理樹の視線とかち合った。
じっと見つめてくる理樹。
元寮長は一拍の思考することもなく、それが何を言わんとしているのか理解することに成功していた。
かなちゃんには、秘密ってことでしょ?
そう言わんばかりに見つめ返してやると、理樹は満足した様に一つ頷いた。
それを見やり、元寮長はやはりと言った具合に笑みを深くした。
わかってます、直枝くん。
でもね。

「やぁ、佳奈多さん」
「ええ、こんにちは直枝。早速なんだけど――」
「うん?」
「さっきの話の続き、聞かせてほしいんだけど。詳しく」
「………」

かなちゃん、教室の外で聞いてたわよ。
途中から扉の向こうに隠れる様にして盗み聞きする者がいることを、このおばさんくさいともっぱらの元寮長さんは知っていたのであった。
ついでに言えば、そこにいたのが誰なのかも、そして何故隠れる様な真似をしたのかも手に取るようにわかっていた。
そしてさらにさらに言うと、人の気配に気づいたのと理樹に件の質問をしたのは、ほぼ同時刻だったりした。
なーんか最近おませさんになってたけど。
私と棗くんがいる間は、もう少し可愛い直枝くんでいてほしいのよね。
出かけた言葉を全て飲み込んで、何でもお見通しの元寮長は高見の見物と言わんばかりに、にまにまと笑った。

「……何の事かな?」
「あら、まさかしらを切る気? いい度胸ね……」
「い、いや、本当に何の事だかてんでさっぱりこれっぽっちもわかりませんというか――」
「いいから……」
「へ?」
「いいから、あなたの今まで築いてきた淫らな不祥事の数々を、あーちゃん先輩と見詰め合ってる暇があったら、事細かにっ、詳細にっ、洗いざらい吐き出しなさいって言ってるのよこの外道っ!!!」
「いいいい、いやいや! あれはただの作り話で、うん、そうっ、ウソなんだよっ。ねぇ、あーちゃん先輩?」
「ウソかどうかはわかんないけどー、ここに証拠写真が三十枚ほど」
「裏切り!?」
「んなっ!? こ、こんな事を、あの子達に…………そこに座りなさい!!」
「ち、違うんだよ佳奈多さんっ、これは合成かなんかで――」
「いいから正座!!!」
「は、はいぃぃぃ!!」

椅子から飛び降り、着地と同時に正座をする理樹。
それとは逆に、元寮長は満面の笑みで二度大きく頷くと席を立つ。
やっぱり直枝くんはこうじゃなきゃ。
うんうん、満足満足。

「じゃ、私帰るね」
「えっ!?」
「当分誰も来ないと思うから、かなちゃん自由に使っていいわよ」
「ありがとうございます。お疲れ様でした、あーちゃん先輩」
「うん、お疲れ様ー。それじゃ直枝くん、頑張って」
「ま、待ってくださいよあーちゃん先輩っ。一人取り残されたらマジで死――」
「こっちを見なさい」
「い、いたっ、向く、向くから無理矢理はやめて! 首そんなに曲がんないからっ!」

理樹の悲鳴を愉しげに耳に入れつつ、元寮長は踵を返した。

私の可愛い可愛いかなちゃんに悲しい思いをさせる直枝くんには、少しばかりお仕置きが必要なのです。

はてさて決着はどうなるのかな、とにやにやしながら結末を予想していた元寮長は、扉に手をかけたところで、ふと思い出した様に立ち止まった。

「そうそう直枝くん。これは極秘中の極秘情報なんだけど……来年、女の子が転校してくるそうよ。しかも、直枝くんへのご指名つきで」

楽しみね、うふふと笑いかけてから、元寮長は教室を後にした。
その言葉に返事を返すかの如く、扉が閉まる瞬間、強烈な殴打音と絶叫が木霊するのであった。


ビミョス。
ハーレムの練習のために書いたんだけど、どうやらおれはその手の話を書くのは苦手らしい。
前途多難だ。

仄かに転校生フラグ。
誰かとは言わない。
そして続かない。







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